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Celesteの感想

はじめに

Twitchにて「Celeste」を初見プレイしクリアしたので、本記事ではその感想を書いていきたいと思います。
(↓はその配信のアーカイブです。見てもらえると滅茶苦茶喜びます!)

感想

ドット絵の美しい死にゲー系2Dアクションゲーム

僕が「Celeste」に初めて出会ったのはRTA in JapanだかGDQだかのRTA(スピードラン)イベントだ。
超絶テクニックと共に、目にもとまらぬ速さで高難易度コースを駆け巡っていた。
会話パートはスキップできるのでRTAプレイヤーは当然タイムの為にスキップする。
よって僕の目には「ドット絵の何か難しそうなコースがあっという間にクリアされていく」ゲームという印象だった。
しかしそれでも、ドットの美しさや自分が高難易度ゲームが好きだという事もあり、いずれプレーしたいと思うようになった。

絶妙な難易度は、努力が裏切らないことを示してくれる

「Celeste」ではプレイヤーは「マデリン」という少女を操作し、「セレステ山」を登ることになる。

基本的にプレイヤー(マデリン)ができるアクションは、移動、ジャンプ、(空中)ダッシュ1回、崖登りだけだ。
最初のチャプター(ステージ)の特に最初の方はそれらを単純に駆使するだけで乗り越えられる簡単なコースとなっている。

しかし、進むにつれて段々と複雑になっていき、ギミックも増えて難しくなっていく。
大きく飛べるジャンプ台や、空中ダッシュを回復できる(もう一度空中ダッシュが使える)ダイヤ、集めることで道を塞ぐブロックを動かせるコインなど多種多様なギミックが組み合わさり、前述した単純なアクションしかないとは思えないような飽きの来ないゲームになっている。

またチャプターごとのギミックも用意されている。
掴んだり乗ったりすると反応して動く足場や、一度触れると即死判定の出る(二回踏めない)足場、ダッシュに反応して動く足場などがステージの雰囲気と相俟って各チャプターの印象を強くさせており、チャプターごとに新しい感覚でプレイできる。

また、このゲームには乱数/ランダム要素は(恐らく)ない。
敵が飛んできたりはするが、自機狙いだったり自分の動きを追従したりで、全てプレイヤーの行動の結果によって敵の動きが決まる。
自分の死は全てプレイヤーの責任なのだ。

そして死にゲーとして優れているのが死んでしまった際のリスタートの速さやテンポ感だ。
死にゲーらしく、当然何度も同じ場所をプレイすることにはなってしまうのだが、死んでしまう演出も決して長すぎず直ぐにチェックポイントからリスタートできるのでストレスがない。
プレイヤーが起動してきたギミックたちもあっという間に元に戻るのでサクサクと挑戦しサクサクと死ぬことができる。
しかも前述の通りランダム要素は無いので理不尽な死はない。
やり直しになることへのストレスがこれでもかと軽減されているゲームだ。

そうして何度も同じ場所を試行錯誤している内にプレイヤーの中に経験値が蓄積されていき次の場所へ進むことができる。
数々の難所を努力して超える事ができる快感にプレイヤーは虜になっていくのだ。

セレステ山とマデリン、Celesteと僕

ここからはストーリーの内容に触れつつ、僕の感じたことをつらつらと書いていく。

実は初めて「Celeste」に出会って(スピードランイベントで見て)から実際にプレイをするまで、期間が長く空いてしまった。

その期間、僕は精神を病んで仕事を休んだり、無理に資格の勉強をして体調を悪化させたり、食べる寝るの生活を繰り返したり、調子がいい時に少し動いてはまた寝込んだりしていた。
そんなこんなで少しずつ体力精神力を取り戻し、「自分」というものを取り戻し始めたとき、何かを成し遂げたい気持ちになっていた。

そんな中でふと頭をよぎったのがこの「Celeste」だった。
所詮ゲームではあるが、「高難易度」「死にゲー」と言われるゲームをクリアできれば何かしらの達成感が得られるだろうと見込んだ。

そして奇遇にも、主人公「マデリン」は似たような境遇で、似たような決意と共に「セレステ山」へ挑戦することを決めた少女だ。
彼女も心に深い傷を負い精神を病み、何かを得ようとして「セレステ山」という厳しい試練に挑もうとしていた。

登頂中、マデリンは自分の嫌な部分の分身(通称バデリン)と出会う。
実はこのセレステ山、自分の内面を映し出す不思議な力がありバデリンはその力の影響によるものだった。
マデリンはバデリン(=自分の中にある嫌な自分)と衝突を繰り返すが、次第にバデリンの存在を認め始める。
そして最後にはバデリンの存在を認め一つになることで共にセレステ山への登頂を成し遂げるのだ。

バデリンと二人で(=自分の嫌な部分が存在することを認めて)セレステ山の山頂へ向かうこのチャプター、ゲーム内ではチャプター7になるが、それまでのギミックが全て再登場しまさに総決算と言った具合のチャプターだ。
自身と対話し、共に乗り越えて山頂に登り切った際の感動は、自分のゲーム体験の中でも随一のものだった。

かくして僕とマデリンはCelesteをセレステ山を登り切ったわけだ。
マデリンは己の嫌な部分を消しさることなく、それも自分であると受け入れて人間的に大きく成長した。
これはまさに今僕が日々のリワークデイケアで学んでいる内容の一つだ。

ここからは僕の話をするが、少し前まで、僕は僕自身の嫌な部分を消し去りたかった。

20歳くらいまでの僕は、自分と違う意見を言われるとすぐに人にキレたり、人が傷つくようなワードを平然と使うような人間だった。
今思えば自分を守る事ばかりを気にして、他者との融和や共存を図ることをしてこなかったのだろう。
自分と違う意見の人間、自分とは反する意見の人間を見ると「敵」だと認識して、端的に言えば成人が近づいても「ガキ」のまま成長していなかった。
それで友人と喧嘩をしたり、喧嘩別れをしたり、こちらから縁を切ったり…段々と僕の周りから人が居なくなっていった。

自分の周りから人がいなくなって孤独を恐れた少し前(20~直近)の僕は、過去を省みる振りをしながら過去を受け止める事をせず、表面的に「人に怒りを向ける事が悪い事」だと学習した。
それだけには収まらず、「自分は口を開けば人を傷つける言葉が出てくる人間だ」と過度に戒めるようになってしまった。
その結果人に本音が言えなくなったり、何も意見を言えなくなってしまったり、「怒り」の感情を不要であるとして抑え込もうとした。
昔の自分のようになってしまうことを恐れ、昔の自分を恐れた。

Celeste風に言うなら、20までの僕はsatikumoならぬbadikumoだ。
僕は成人してから、badikumoという名の自分自身を恐れ、距離を取り続けていた。

自己を否定し認めず、自己を確立しないまま社会に出てどうなったかと言えば…前述の通りだ。

共に山を登ったマデリンがかくも自己の嫌な面を許容し成長した。
果たして自分はどうだろうか。
次に進むためには、自己の嫌な面と対話し、存在を認めていくことが必要なのではないか。
これが「Celeste」をプレイし終わった僕の率直な気持ちだった。
どうやらセレステ山の不思議な力に僕も影響されたようだった。

そして今リワークデイケアで心について学んでいると、「Celeste」の内容が心理学的にも間違いがないであろうことを日々感じている。
badikumoは「インナーチャイルド」を包含している、あるいは僕の「インナーチャイルド」の中にbadikumoがいる。(インナーチャイルドについては下記のリンクを参照したり、独自で調べて欲しい)
まだbadikumoとの対話が不十分なためインナーチャイルドとbadikumoの関係性について明言はできないが、少なくともどちらかがどちらかに包含されている。

最近の自分は、怒りを問題なく出せるよう日々意識している。

勿論以前のように軽い怒りですら人に当たり散らすようでは逆戻りだ。
しかしどうやら沸騰寸前の怒りを無理やり抑え込むのも自身にとって相当負荷がかかり、心が傷つくらしい。

最近怒りの感情が出た時にはその感情を殺そうとせず、しかし感情に任せて何も考えずに発散しないようにしている。
何故怒っているのか、何をして欲しかったのか、それを相手に傷つけないように伝えるにはどうすればよいか日々考え、実践しながら周りの人とやりとりしている。

badikumoは成人前のとげとげした僕なので、もしかするとバデリン以上に対話は厄介かもしれない。
対話が完了するまで複数チャプター(人生のステージ)かかるかもしれない。
しかし日々を重ねるにつれ、以前より打ち解けてきていることは実感している。
badikumoを理解し、許容し、共に歩める日がそう遠くない未来にあることを感じている。

こうして「Celeste」は、僕の人生に大きな影響を与えたゲームの一つになった。

余談1:発作の対処

ゲーム内でマデリンにパニック発作が起きてしまった時、セレステ山で出会った「セオ」というキャラが冷静に対処して発作を収束させたシーンがある。

その際の対処法は「空中に浮かぶ羽をイメージする。そのままでは羽はふわふわと落ちていくが、息を吹きかけると羽が上昇する。羽を真ん中に保つように優しく静かに深く息をする」というものだ。

テオがマデリンに対処法を教えているシーン

この対処は自分のストレス対処(コーピング)にも取り入れており、心がざわついたときなどに実践している。

緊張してしまったときや気分が悪くなった時にも使える対処なのでおススメだ。

余談2:リアル登山

何の因果か、最近僕はリアルで山登りを始めた。

元々漠然と屋久島に行きたい願望があった中で、
最近「屋久島行ってきたんだけど縄文杉がもう腐るので危ないらしいから行ける時に行った方がいいよ」と知人から言われたのだが、屋久島は相当な距離を歩ける体力が必要だ。
そこで手近な山を登りつつトレーニングをしようと決めたわけだ。

ついこの間高尾山に上ってリアル登山の魅力を知ることができた。
それと共に、「Celeste」をプレイすることで得られる体験が登山で得られる体験と遜色ないことに気づき改めて「Celeste」の素晴らしさを感じた…と言えば少し大げさだろうか。
そんなこんなで僕にとって成人最初の登山は紛れもなく「『Celeste』の『セレステ山』」である。

そしてこの記事を書くために調べて知ったのだが、どうやらカナダに本当に「セレステ山(Mt.Celeste)」が実在するらしい。
とはいえ形も高さも異なっており名前を拝借しただけのようだ。
難易度も何もまだ調べてはいないが屋久島を越えてまだ登山の気持ちが続くようであれば…いつか挑戦してみたいものだ。

終わりに

「Celeste」の感想…というか「Celeste」によって自分に気づいたという内容は僕がずっと書きたいと思っていたことでした。

人生に影響を与えたゲームは他にもありますが、心理面で大きく成長するきっかけを作ってくれたこのゲームは唯一無二だと思います。
ありがとう「Celeste」。

そしてスピードランイベントにてこの「Celeste」というゲームを楽しく魅力的に紹介してくれた名前も知らぬ方々にも感謝を。
あなた方が魅力的に紹介してくれなかったら僕はこのゲームには出会えていなかった(=自分を見直すきっかけを見つけられなかったあるいは見つけるのにもう少し時間がかかっていた)でしょう。

僕のプレイ中コメントで支えてくれたリスナーにも感謝。
応援があったおかげでめげずに楽しく登山できました。

僕の人生という山道は、まだ一合目。
途中で下山…というか滑落?してしまったけど、今また一合目から登っている最中。
登頂する頃にはどんな自分になっているか…日々の道中楽しみながら登っていきたいです!

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