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Cafe Sati | カフェ サティ

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#マインドレスネス

放てば手に満てり

「放てば手に満てり」 道元の言葉で正法眼蔵に出てくる言葉だ。まずはこの言葉の意味をGPTに聞いてみたので載せるよー。 「放てば手に満てり」という言葉は、禅宗の開祖である道元禅師によって語られたもので、『正法眼蔵』に記述されています。この言葉は、禅の教えの核心を象徴するものであり、非常に深遠な意味を含んでいます。 この言葉を直訳すると、「放すと、手に満ちる」となります。ここでの「放つ」とは、執着や欲望、先入観などを手放す、すなわち放下することを意味します。一方、「手に満て

ジャーナリングで妄想から抜け出し、現実へと戻る。

妄想が強くて酷い状態だとジャーナリングを行うのにも支障をきたす。浮かんでくる思考をそのまま書くが、書いていることと言えば、妄想の中の人物の発言内容ばかり・・・しかも浮かぶ速度が早くて、全てを書き切れないし、書いても発言が飛び飛びに文章で並んでいて、よく分からない有様・・・。それでもジャーナリングを続けていると、妄想の内容を把握、客観視することが出来、心が妄想の中の世界から、現実の世界へと引き戻される。 妄想を可視化することで、客観視することが出来、妄想から現実の世界へと戻っ

マインドフルネス|心を今ここにあらしめる。

マインドフルネスとは、今ここにある五感の感覚に、評価や判断を加えることなく、注意を向けること。そのことによって、心を今にあらしめる。未来や過去、今ここではないどこかに彷徨う心を、今ある五感の感覚に注意を向けることによって、今ここにあらしめる。 かわいい言い方 → 心がどこかにお出かけしてしまったら、五感の感覚に注意を戻す。 五感の感覚は心を今に繋ぎ止める碇(いかり)である。 マインドフルネスはパーリ語のサティの英訳。サティは「気づき」と訳される。禅では、「念」と言うらし

ジャーナリングの習慣化

私はジャーナリング(書く瞑想)を習慣にしている。 毎日、紙に思考を書き付け、自分の心を見つめている。 ジャーナリングは自分の心に光を当てる行為だ。 自分では気づかない無意識の領域。それを意識化する。無意識の意識化。自覚していない自分の心に自覚的になる。自分の心をありのままに見る。ヴィパッサナー瞑想で言う心随観と言っていいかもしれない。 まさに書く瞑想だ。 私はジャーナリングによって、いくつかの思考の癖が明らかになった。それらの思考の癖は、根っこの深い部分で繋がっていた。 ネ

ジャーナリング(書く瞑想)のやり方|効果|私のジャーナリング体験|ジャーナリング講座

プロフィール名前:永井 陽一朗 私はマインドフルネスの源流であるヴィパッサナー瞑想の実践者です。約2年間ジャーナリングを続けてきました。ジャーナリングは自分の心に光を当てる行為です。マインドフルネスで言う「無意識の意識化」が起き、自己理解を深めることが出来ます。 ジャーナリングについて 「ジャーナリング」とは自分の頭に浮かんできた思考を紙に書き出すことで、 可視化し、客観視する為の手段で、「書く瞑想」とも呼ばれています。 ジャーナリングのやり方紙とペンを用意します。頭に

サティとサマーディ

ヴィパッサナー瞑想は・・・ 気づきながら集中するのじゃ。 サティ・・・サマーディ・・・。

「サティが入らない」とサティを入れる。

GPTとの会話。 私の発言 サティが入らない。妄想が止まらない。止めるのを諦めるか。妄想が湧くままにしておくか。消える消えないにこだわるのはやめるか。「サティが入らない」とサティを入れる。「サティが入らない」のを認知する、観察する。「サティが入らない」ありのままの状態を見る。サティを入れるのを諦める。←最後のも合ってる? ChatGPTの発言 サティ、つまりマインドフルネスや意識の在り方に関して、あなたが経験している困難は、瞑想やマインドフルネスの実践においては珍しく

サティを入れて思考の後続切断

対象→六門→識→受→想→尋→行 原始仏教が説明する認識のプロセス。 対象と六門(五感+意門(頭の中のイメージや思考を捕える感覚器官があるとブッダは説いている。))と識(認識する作用)が触れ合って受(感受作用)が生まれる。感受した内容から、概念やイメージが想起される。これが「想」。そしてより深く対象にフォーカスし(尋)、対象がなんであるかを知る。カラスの声を聞いたなら、「想」の段階で、「音」と分かり、「尋」の段階で、「カラスの声」だと分かる。そして「カラス嫌だなあ・・・」とい

ヴィパッサナー瞑想の実践者によるマインドフルネス、ヴィパッサナー瞑想入門

マインドフルネスとマインドレスネス マインドフルネス。この言葉は多義的で巷では、瞑想という意味でも使われることがあるが、意味は大体、下記の通りだよ。 「評価や判断を加えることなく、今の体験に注意を向けること。」 マインドフルネスという言葉について理解する為に、まず、ほぼ反対の意味である、マインドレスネスという言葉について話しておきたい。 マインドレスネスとは、「無意識の状態、ぼーっとした状態」である。なんとなく行動していたり、何かをしながら、ひとつのことに集中せず、

ジャーナリング(書く瞑想)で明らかになった思考の癖 | やり方も

ジャーナリング(書く瞑想)とは、紙にペンで自分の思考を書くことで、自分の思考を可視化し、客観視することの出来る瞑想だ。その結果、自分の思考の癖や思考パターンが明らかになることもある。 ジャーナリングのやり方。紙とペンを用意する。 頭に浮かんできたことをひたすら紙に書いていく。この際、ペンを走らせる手を止めないようにする。何も浮かんでこなくて、ペンを走らせる手が止まりそうになったら、「何も浮かんでこない」という意味のことを書く。 何分続けても良い。タイマーをセットするのも良い

マインドフルネスとマインドレスネス(改訂版2023年7月13日)

心は過去や未来に彷徨う。過去の嫌な出来事を思い出してイライラしたり、 未来のことを心配して不安になったり・・・。 そういう時、心は今ここではなく未来や過去にある。 未来や過去は頭の中の概念であって、実際には無いものだ。 現実にあるのは今だけ。未来はまだ無いし、過去は既に無い。 だが心は過去や未来に彷徨う。頭の中の概念の世界に彷徨い、囚われる・・・。 現実にある今に注意を向けることによって、心を今にあらしめる。 瞑想は呼吸に注意を向け続けることによって、心を今ここにあらしめ

ヴィパッサナー瞑想とマインドフルネス瞑想の違い

マインドフルネス瞑想とはヴィパッサナー瞑想の宗教色を排し、現代風にアレンジしたものだ。 マインドフルネスはパーリ語のサティの英訳なのだが、巷では、瞑想という意味でも使われている。 ヴィパッサナー瞑想とマインドフルネス瞑想の違いは、宗教色があるかどうか、だ。 広義の意味でのヴィパッサナー瞑想は、五戒を守り、ブッダの行っていた瞑想を行い、悪いことはせず、善いことを行うことを指す。 狭義の意味でのヴィパッサナー瞑想は、ブッダの行っていたヴィパッサナー瞑想そのものを指す。 広い意