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The Tower 第6話【創作大賞2024 応募作品】



 「僕はなんのために生まれてきたのかを考えていました。
 それは、誰かを不幸にし、誰かに不幸にされ、その分、誰かを幸福にし、誰かに幸福にされる。それを繰り返していくことなのだと思いました。」

 20歳そこそこの学生が、何故そんなことを言える?
 楠村の告白を聞いたその晩、匡之はなかなか寝付けず、缶ビールと煙草を持ってベランダに出た。
 匡之の住むマンションの4階の部屋からは近くに広がる田園がよく見え、実り出した稲穂が9月の夜風に揺れていた。
 ビールを煽り、ぼんやりと景色を眺めながら、匡之は楠村の言葉を脳内で反芻していた。
 なんのために生まれてきたか…? 
 そんなこと、真面目に考えたことなど俺にはない。人が生まれる意味などない。ただ、生きて、働いて、稼いだ金でいいもんを食い、いいもんを買い、暇を潰して、死ぬ。俺は、俺の一生なんてそんなものだと思っていた。
 しかし楠村は、他者との関わりの中に人生の意味を見出したというのか。何年間も引きこもりで、両親以外の他者との関わりをほとんど持たなかった彼が。

 それはきっと、三島さんのおかげなんだろう。
 匡之は三島とともに仕事をしていた日々を回想した。
 俺は、本当は三島さんみたいになりたかった。
 生徒に一心不乱に向き合い、夜遅くまで残業し、本当にいい教育とは何かを突き詰めようとしたあの姿に、憧れていたんだ……。
 三島が潰れてしまったのは、不器用なせいもあったが、利益を最優先させる会社の方針によるものであることを、匡之は知っていた。
 民間企業である限り、利益を上げることを目指すのは当然のことだ。そうでなければ、自分たちの食い扶持に困る。
 その上で、すべての生徒に高品質な授業を提供し、生徒の未来の可能性を広げていくのが我々の仕事である、と会社は謳う。

 しかし、実態は違った。
 お金を出す裕福な家庭には手厚いサポートをし、反対にお金を出せない家庭の対応は後回しで、授業の質も低い。大事なのは金持ちの家庭からいかに授業料を取れるか。いかに教室の売り上げを出せるか。とにかく、数字が何より求められる。数字が伸びていなければ、上から「どんな手を使ってでも売り上げを出せ」と詰められる。そこに「高品質な授業」や「未来の可能性」などはない。
 三島は、そんな会社のやり方に疑問を感じ、どの生徒にも平等な授業を受けさせることを目指した。授業料によって提供できるものに差はできてしまうが、その中で最大限できることをした。
 本当は週3日ほどは授業を受けたいし、教材も買えるだけ買いたいが、経済的な事情で週1回しか授業を受けられない。
 そういう生徒がいれば、教室に置いてあるいくつかの教材から、問題をピックアップして印刷し、渡してやる。そうすれば、無料でその子のオリジナルの問題集が出来上がる。
 授業がない日でも教室に来て自習するよう勧めることもあった。わからない問題があれば空いている講師を捕まえて聞けば、タダで授業が受けられるようなものだ。
 お金はもちろん大事だし、多く払ってくれる方が嬉しい。しかし、支払われるお金だけで教育の価値を決めてはいけない。価値は、僕たちが作り出すんだ。
 そう言って三島は、毎日のように残業をし、すべての生徒に平等に時間をかけていた。
 そんな三島の働き方に、会社は黙っていなかった。タダで問題集を渡すなんて何事だ、教材を売りつけろ。自習なんて来ても無駄だ、授業数を増やさせろ。利益を上げることを考えろ。それが無理なら、これ以上時間と労力をかけるのはやめろ。金が払えないやつに時間をかけても無駄だ。
 仕事として考えた時に、それは会社が正しいのだが、三島はそれでは納得しなかった。
 あの子は母子家庭で、週1回でも通うのは大変なのに、それを簡単に増やせだなんて。ましてや、それができなければ切り捨てるなんて、あまりにもむごいじゃないか。私は、教育者としてそんなことはできない。

 三島は会社に反発し、理想を追いかけたが、現実は厳しかった。
 どれだけ時間をかけても、三島の授業プランにはいつも欠陥が生じ、保護者からのクレームも多かった。こちらの理想を押し付けても、相手側が納得しなければ意味がない。
 保護者から、会社から、三島は毎日のように怒られ続けた。みるみる顔がやつれ、初めて会った時とはまるで別人のようになっていた。

 ある日、三島は匡之に声をかけた。
 「吉見くんは、どうしてこの会社に入ったの?」
 匡之は、学生時代のアルバイトの話を、そして楠村の話をした。三島は光のない目で匡之を見て、
 「そうか」
 とだけ言った。
 翌日、三島は仕事を休んだ。その次の日に匡之が出勤すると、知らない中年の男が待ち受けていた。そして、三島が本日付けで退職する、と告げた。
 引き継ぎも何もできていないが、何やらのっぴきならない事情があるらしく、仕方がない。今日からは自分がここの教室長となるが、突然のことなのでいろいろとサポートしてくれると助かる。
 新しい教室長はそう言って、パソコンに向かい、鈍臭い手つきでキーボードを叩いた。
 あまりに唐突なことで、匡之は事態を飲み込めなかった。だが、三島の「事情」とは確実に鬱だと思った。昨日の欠勤は、病院に行っていたのだろう。そこで診断書を出され、即日退社、といったところか。

 この出来事は匡之に大きく影響を与えた。
 すべての生徒に平等に教育の機会を提供する。それを第一に仕事をする三島こそ、匡之の理想の教育の体現者だった。不器用だけど、自分の信念を曲げずにひたむきに仕事をしていた三島を、匡之は尊敬していた。
 その三島が、最終的にはこんな形で終わってしまった……。
 「ああいう人はな、ボランティアとかNPOとかに行けばいいんや。塾業界っていうのは、熱意だけじゃどうにもならないってことや」
 新しい教室長就任後、教室の様子を見に来た本部の部長が、匡之にそう言った。
 「三島くんはいい人すぎたんやなぁ。ああいうのをバカ真面目というんや。あんな人はいなくてもええ。君もこの業界に長くいたかったら、賢いだけじゃだめや……狡賢くならんとあかん」
 匡之は絶望を覚えた。
 真っ直ぐに生徒のことを考え、会社の掲げる「生徒の未来の可能性」を最も追求していた三島が、あんな人はいなくていいと言われ、潰されてしまう。そんな業界に、未来はない。
 その日から、匡之は憧れていた三島を反面教師とし、手抜き技術と話術を磨き、狡賢く生きることに決めたのだった。

 そんな三島が、再び教育業界に戻り、そして楠村と出会い、京大合格へと導いた。
 そんなことってあるんだな……。
 匡之は、夜空を見上げた。下弦の月が浮かんでいて、朧な光が田園や住宅街や、遠くに見える山々を照らしていた。
 俺も、もう一度頑張ってみようかな。
 匡之は、胸の中でぽつりと呟いた。


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