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【音楽と街】散歩のススメ

歩くことが好きである。
散歩好きである。

人より些か悠長な性分で、マイペース、のんびり屋だった。

そう言えばまだ聞こえはいいかもしれない。
が、この性格は同時に、要領が悪かったり、効率的に考えることが苦手だったり、周囲のペースに合わせることが難しいという面もある。

仕事でもプライベートでも、あらゆる場面でイライラされたし、たくさん怒られてきた。

なかなか苦労の多い性格で、治そうと思っても難しい。ぶっちゃけ生きづらい。
どうしてみんなそんなに要領よく、器用に生きられるんだろう。
どうして僕にはできないんだろう。


そんなふうに悩むこともあるけれど、前向きに捉えることも必要だと思う。
僕はこういうふうにしか生きられないんだから。
無理に治そうとするより、受け入れた方が楽だったりする。

この性格で良かったなって思うことの一つに
「歩くことを楽しめる」ことがある。

みんなが合理的に、効率よく移動している時、
僕はちんたら歩いてきた。
歩くことで、僕は人一倍いろんなものに目を向けてきたし、いろんなことに価値を見出すようになった。歩きながらいろんな音楽を聴いて、いろんなことを考えてきた。
それは僕の心に豊かなものをもたらしてくれたと思う。

だから、仕事は遅いし、会話のテンポもズレがちだし、集団で行動すると置いていかれやすいことも多いけど、僕は自分が結構好きだったりする。


こういう話をする時に思い出すのは、
大学に入学して間もない頃のこと。

都会の人たちの感覚となんだか噛み合わなくて、もしかしたら自分はずいぶんのんびりした人間なのかもしれない、という自覚が初めて芽生えた日だった。


2013年、4月下旬。

北海道のど田舎から関西の大学に進学した僕は、
初めての一人暮らしとキャンパスライフがスタートしたばかりで、毎日をワクワクしながら過ごしていた。

新たな住まいは、大学のある兵庫県西宮市。
西宮市は阪急電車で梅田にも神戸にもすぐ行けるほか、駅前には大きなショッピングモールもあり、かなり便利で住み良い街。
田舎育ちの僕にとって、夢のようなアーバンライフだった。

4月は各部活、サークルの勧誘が盛んな時期で、僕は入部を検討していたとある演劇サークルの新歓イベントに参加した。

内容はみんなでボーリングをしたあと、駅前の飲み屋でご飯というものだった。

参加者は大学に集合して、バスで移動という段取りだったが、僕の住んでいたアパートはそのボーリング場のすぐ近くだったため、僕は現地に直接行くことにした。

ボーリングを楽しんだ後、みんなでバスに乗って阪急西宮北口駅へ向かう。
この駅が一応僕のアパートの最寄りにはなるのだが、その距離は徒歩でおよそ25分というものだった。

今思えば結構、いやだいぶかかる距離だが、僕にとっては大したことはなかった。

僕が育った北海道の田舎は、お店や家の間の距離がずいぶん離れていて、バスや電車が全然通っていない、不便な町だった。大人は車が必須だったが、子供にとっては徒歩か自転車が当たり前のザ・田舎の町だった。

基本的に歩くしかなかった生活だったが、僕にとっては苦ではなく、むしろ歩くことが好きだった。
自転車を使わないと大変な距離や、雪の積もる冬場に学生のために臨時バスが出される時でも、僕はあえて歩いてきた。
それだけ散歩が好きで、時間の感覚が悠長だったのだろう。

その感覚は、交通網の発達している都市においても遺憾なく発揮され、僕は引っ越してきて以来、駅まで行くのに当たり前のように25分かけてテクテク歩いていた。(のちに自転車は買っていたが。笑)


駅前でみんなでご飯を食べて、解散の段となる。
電車で来てる組は駅方面へ。
僕は「こっちなんで」と家の方角を指す。

「あれ、家どこなん?」と先輩。
「僕んち、さっきのボーリング場あたりなんですよ」と僕。
「バス停ならあっちやで」と先輩。
バス停の場所を親切に指し示してくれた。

それに対して「いや、歩いて帰るんで」と返す僕に、その場にいたほぼ全員が「ええ?!?!」と叫んだ。その時のみんなの目ん玉が飛び出んばかりの勢いに、僕も驚いたのをよく覚えている。

「いやいや、さっきのボーリング場ってめっちゃ遠いやろ!」
「いや、まあ、いつも歩いてるんで」
「どれぐらいかかるん?」
「25分くらい…」
「25分!?」「やっぱめっちゃ遠いやん!!」「アホちゃう?」

その時の僕は、なぜみんながそんなに驚いているのか全然ピンと来なかった。
え、だっていつも歩いてるんだけど…。
とりあえず「歩いて帰ります」と再度言う僕に、ある先輩が諭すように言った。

「ええか。バスの運賃なんて200円程度やろ。200円でもっと早く帰れるんやで。タイムイズマネーや。いいからバスで帰りぃや」

「はあ……わかりました」

そして僕は歩いて帰った。

夜道を歩きながら、頭の中で先輩の言葉を反芻する。
タイムイズマネー…?
なんだそれは…?
なんだかモヤっとするので、少し考えてみることにした。

例えば、バスに乗った場合。
バスを待つ時間、各バス停で停車する時間、バスを降りてから家まで歩く時間。
それぞれわずか数分だろうが、積み重ねていけばそれなりの時間になる。よって、バスを使って短縮できても、10分程度のものだろう。

仮に10分早く帰ったところで、一体なんだというのか。
マネーというなら、そこに確かな価値があると言いたいのだろうか。

また、バスに乗ればほぼ確実に僕は酔ってしまう。かなり乗り物酔いしやすい体質なのだ。僕にとってはバスに乗る方が疲れてしまう。
そっちの方が、結局損をしていないだろうか。

まあ、乗り物酔いのことなどは、先輩やみんなは知ったことではないだろう。そんなことまで分かってくれというつもりはない。

僕が言いたいのは、
歩くこと=大変なこと。無駄なこと。
そう決めつけ、有無を言わさずバスで帰らせようとしたこと。
そこになんだかモヤっとしてしまったのだ。
親切で言ってるのはわかるんだけどね。


そんなことないんですよ。
散歩はいいもんですよ。と教えてあげたい。

歩きながらイヤホンをはめて、好きな音楽を聴きながら、街の風に吹かれ、同じようでどこか日々変化する景色を眺め、そしていろんなことを考える。

そうしていると、小さな物事にも価値があるように思えて、日々が楽しくなる。

そうやって歩いて、歩いて、僕はいつのまにか18歳になり、そして新しい街へやってきた。

タイムイズマネー。時は金なり。
1分1秒を無駄にせず、効率的に、要領よく行動せよ。ということ。
これはもちろんすごく大事な考え方。


でも一方で、無駄に思えるようなことにたくさん時間をかけて、あらゆる物事に目を向けて、あれやこれやと思考を巡らせる、そんな悠長な時間にも価値はあると僕は思う。

この日初めて、そんなことをじっくり考えた。
北海道にいた時は意識していなかったけど、僕ってのんびりしてて、無駄の多い人間なのかもな、と思った。
そんで、そういう自分って結構いいかもな、とも思っていた。

歩きながら、エレカシを聴いた。
『明日も頑張ろう』というサビが、リスナーを元気づけてくれる名曲だった。

風が誘いにきたようだ
少し乾いた町の風が
俺達を誘いにきたようだ

毎日何処かで町の空仰ぐ俺がいた

ああ 何処へ行くのやら
明日は何があるのやら
ああ 教えてくれ
風がささやく気がした

エレファントカシマシ『四月の風』

明日は何があるのやら。
そんな気持ちって、きっと時短で帰ってきた家の中でゴロゴロしてても湧いてこない。少なくとも僕にとっては。
風に誘われるように歩いてこそ、明日に期待が膨らむ。

演劇サークルに入ったら、どんな活動をするんだろう。こんな僕でも舞台の上で輝けるかなぁ。
裏方もやってみたいなぁ。きっと全部が楽しいだろうな。

スポットライトのような街灯の光を浴び、イヤホンから流れるエレカシの歌に身を揺らしながら、僕は夜の西宮の街という名もなき舞台を、一人歩き続けた。


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