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#多様性を考える、で学ぶWEEKにしよう。

先週末、名古屋のレインボープライドに参加してきました。

友人の影響もあり、どんな性自認のひとであっても、生きていく上で同じ権利をもてるべきだと考えています。

レインボープライドにて

ブースを回っていくなかで、学校や自治体への出張授業をしているというNPOがあり、興味があって話を伺ってみました。多様な性の在り方を理解して、認め合える人を増やすべく、子どもだけでなく、特に親や先生を対象とした講演も積極的に行っているとのこと。

わたしの関わる高校でもぜひ!思ったのだが、企画や依頼の前に、私自身の勉強も必要だと考え、関連の記事や、書籍などに当たっていこうと思います。

そんなとき偶然、noteの#ハッシュタグで「多様性を考える」というテーマがあり、おもわずクリックしました。

とりあえず...と今日読んでみたのは、有田絢音(ありたあやね)さんの記事。とてもわかりやすく勉強になり、共感できる内容でした。

記事の中で、特に心に響いた文章を引用させていただきます。

“ちょっと過激すぎるな〜とか、時代に逆行してるな〜など思ってしまうと、スルーしてしまいがちですよね。でも、そういうことを思ったときこそ、わたしは一旦立ち止まるようにしています。過激だと思ったのは、もしかするとわたしが鈍感なのかもしれないとか。時代の流れと逆のことを主張しているこの人には、どんな信念や背景があるのだろうとか。正直、考えたところで納得できなかったり、感覚的に理解するところまでいけなかったりすることも多いです。でも、それはそれとして頭の片隅においておくと、数ヶ月後にすとんと納得できたりすることもあるし、納得まではできなくても「こう思考して、こういう考えを持つようになったんだ!」といった思考の流れが分かることもあります。”
note、以下の記事より。

このあと記事内にあったセクシャリティ分析anoneもやってみました。

表現としては、Xジェンダー。だが好意を抱くのは異性だ、という結果。

なるほど。幼い頃から同性にも興味を持つことがあったり、スカートやいわゆる女の子らしい格好は苦手でした。(いまでも苦手)。

性はパキッと2分はできない。身体は女性、表現は若干男性寄り、そして恋愛対象は異性寄り。時にそれが揺らぐこともある。

だから、どんな考えや価値観を持つ人であっても、否定されてはならない。多様だし、時期によっても変わるから。

まずは聞く、違和感があるならなぜそう思うのか、自分自身に、また相手にもその背景を掘り下げて聞くなど、しばらく議論してみる。

その語り合いや理解しようとする一段階を踏んでも分かり合えないときは、同意することはできないが、その人自身やその考えを尊重することはやめてはならない、とおもう。

その時の心地よい自分を表現していける社会、なんだかもやっとした表現だが、より自分らしい姿を堂々と表現していける社会でありたい。そういう社会こそがかっこいい。そこに近づくために何ができるのかを考えていきたい。





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