見出し画像

家を出てくるまでの話_5 ゲシュタルトの祈りに救われ私の人生を生きることにした。

こんばんは。
適応障害で休職し、復職して2.5ヶ月くらい、今は不登校気味長女の不登校が結構本格的になってきている
bungyjump2726です。

家を出てきたのはもう約6年前のことですが、
私が3人の子供を連れて、夫から逃げ、家を出てくるまでの話です。
※前回同様、死ぬ死ぬの話が多発します。
苦手な方はスルーしてください。

私が家を出て逃げるまでの準備は、下記のものでした。
時系列的には③→②→①でした。
今回は、③から②への移行に当たる部分がメインです。

①支援者となる方々と出会い協力を求めた
②家を出るべき、逃げるべきだと気づくために、カウンセラーさんや身の回りの人からの「普通の感覚」からの指摘、助言をもらった
③元夫に離婚の意思を伝えた。しかし全く受け入れらず、DV夫であることがわかってきた

家を出てくるまでの話_4の
この警察沙汰の前くらいまでは、
まだ私、元夫に死なれたら困ると思っていました。
私のせいで死ぬ?
私が離婚したいと言ったせいで人が1人死ぬ?
子供らにとって母が父と離婚したいと言ったから父が死んでいなくなった?
というふうにはなりたくないという気持ちを持ちつつも
もう勝手にしてほしい、自分の人生を私のせいにしてほしくない、私は自分のための人生を生きたいと
考えたりしていました。

元夫は私に
自分の生きづらさを助けてほしい
みたいなことを言っていました。
昔から、生きづらい人だったのも少し知っています。
助けたいと考えて結婚してこれまでやってきました。
連日連夜子供達の前でも
離婚するなら死ぬ死なないやったり
助けて欲しいと懇願されたり、
あと◯年、◯ヶ月したら離婚するから普通に過ごしてほしい、とか言われたりしても
普通になんて過ごせない。
やっぱりここまでくると、もう無理でした。
こんなことを警察沙汰後半年くらいやっていました。
警察沙汰前もやっていました。死と引き換えに離婚回避の話し。

普通に過ごしてるっぽくしていれば、あの人は少し落ち着いている、私の苦しみから一時的には逃れられる、と、
私はストレスMAXのまま死んだような目で、仕事と家庭での生活をしていたのでした。

そんな時。
ゲシュタルトの祈り
という詩を、ある人から教えてもらいました。
これを読んで、やっぱり
元夫とは離れて自分のための人生を生きたいという気持ちを強く持ちました。

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ」

(原文)
I do my thing, and you do your thing. I am not in this world to live up to your expectations, And you are not in this world to live up to mine. You are you, and I am I, and if by the chance we find each other, it’s beautiful. If not, it can’t be helped.
フレデリック・S・パールズ(ドイツの精神科医)


はじめに書いた
準備項目の②
②家を出るべき、逃げるべきだと気づくために、カウンセラーさんや身の回りの人からの「普通の感覚」からの指摘、助言をもらうことにやっと繋がったのが
前回の投稿_4の、警察沙汰の後のこの頃でした。

この頃は、お金とか仕事、ギャンブル、借金などのトラブルとか
そういうことよりも
自分の死と引き換えに私の気持ちをコントロールしようとしてきたところが
死ぬか離婚か、もうどちらを選択しても、どうにもならない、何も選択できない、考えられない心境にさせました。
本当にすぐにでも離婚したい、逃げたいという気持ちの確定要素になりました。

今となれば、そんなに死にたいなら、いいよと言いたい。

普通に過ごしてくれるならいつか離婚してやる、なんて言われても無理。
普通にも過ごせないし、なんだかんだ言ってそんなこと言ってないだの、離婚しないためにまた死ぬ死ぬ詐欺をしたりするだけ。
問題は先送りが得意な人でした。

この頃
元不登校長男は小学校中〜高学年、
不登校気味長女は保育園幼児組〜小学校低学年でした。
この子らの、モデルとなる大人として
自分たちの父親が記憶として存在しているはずなのですが、
あまり良い意味での目標としたくはない大人であったのだと思われます。
こんな大人になりたい、と言う人にたくさん出会って欲しいと願いますが、
こんな大人になりたくない人が身近にいた、なんとなく今の思春期の不安定な気持ちに影響しているような気がします。
私は申し訳ない気持ちというか、今更どうにもなりませんが、自分がなりたい大人像になるか、ほかのなりたい大人像となる人にいつかどこかで出会わせてあげられるようなチャンスを得られるような関わりをしたいとは思ってます。

不登校とかちょっとヒッキーな彼らには
現状なかなか難しい課題です。
次女は部分的にしか覚えていない父親、その人に大人像としてなにか強い印象はあまりなさそうですが、どうなることやら。

長々と書きましたが、今回はこの辺で。
また不定期で更新します。
同じような境遇の方がもしこれを読まれていたりしたときに、
ゲシュタルトの祈りの、
わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる、という言葉や
逃げてでも自分や子供の気持ちの安定を得ることや
行政の協力もあること
などが伝われば良いなと思っています。 

スキ、コメントいただけると嬉しいです。
ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?