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僕は、こんな気持ちで英語塾キャタルを作りました

逃げるようにして辞めた投資銀行
入社4年目の僕は、仕事に本気になれずに、ただ自分はもっとできるんだと言う根拠のない、自己肯定感を抱えながら、半ば逃げるように新卒で入社したメリルリンチを辞めていました。当時世の中からはもてはやされていたインベストメントバンカーという仕事は、給料もステイタスも高かった分、自分にそれだけの価値がないことも気づいていました。だからこそ何か価値があることをやらなきゃ、会社というメッキを剥がしたら価値がない自分だけが残ってしまうという危機感がつのり、気がついたら会社を辞めていました。

ただ、同時に大きな使命感も持っていました。それは英語ができると人生が変わるということを、大学に入ってからまざまざと見せ続けられたことがきっかけに、なんとか次の世代には同じ思いをさせたくないという思いです。

強烈な帰国子女コンプレックス
私は大学に入ってから、社会人になるまで、帰国子女という人に囲まれ彼らに強いコンプレックスを感じていました。群馬には帰国子女などいなかったので、大学で出会った帰国子女たちが、これ見よがしに英語で会話をしているのを聞いて、中に入って会話をすることはおろか、正直何を話しているかさえも分かりませんでした。彼らの高校時代の話をしているのを聞いて、やれニューヨークの現地校だ、ロンドンのボーディングスクールだ、パリのインターナショナルスクールだ。そんな話を聞きながら、正直に僕は「群馬で何をしていたんだろう」って思いました。英語は得意科目だったはずなのに、浪人までして大学入ったはずなのに、英語も話せないなんて。「俺の高校生活返してくれよ」「俺も海外に留学したかったよ」と強く思いました。

その思いは社会人になっても変わることはありませんでした。むしろ大きくなったとさえ思います。当時の日本は、日産もまだ元気に見えて、スターバックスも銀座に一軒しかなかった頃です。外資系の企業に就職するなんていうのは、それほどまだメジャーな選択肢ではなかったのですが、僕は何を間違ったのか、英語の世界に憧れて投資銀行に就職することになりました。そこで見たのは、英語ができないと出世できないという、世知辛い現実です。

当たり前だけど外資系で英語ができないと出世はない
アメリカの会社では、英語ができる人が出世をしていくことは顕著でした。真面目でひたむきで、仕事ができるハードワーカーよりも、英語ができてアメリカ人のマネージャー達と、上手に政治活動ができる帰国子女達の方が出世して、高い給料をもらっているという現実を、いやというほど見せつけられました。英語ができると有利なのは、仕事だけではありません。憧れていたアメリカの大学院進学も、結局同期でトップ校に留学をしていくのは、海外で一定期間以上過ごして英語力に問題のない帰国子女たちでした。

次の世代の子供たちに同じ思いをさせない
これほどまでに、英語ができるかどうかで、見える世界や選択肢の幅が変わってしまうなら、今の日本の英語教育を変えないと、僕みたいな悔しい思いをする人がもっと増えていってしまう。タイムマシーンに乗って私自身が高校時代に戻って留学をし直したりすることはできないけれど、せめて次の世代の子供たちには、帰国子女と呼ばれるような英語ができて、世界を経験している人が同世代にもいることを、そして日本にいたままでも彼らと同じように英語が使えるようになるチャンスがあることを伝えたい。そう思って、作ったのがこの英語塾キャタルです。

この塾のコンセプトは、帰国子女の中でも英語力が高いバイリンガル達が、どのようにして英語ができるようになったかを、バイリンガルから生徒たちに直接伝え、モチベーションや目線を高めて英語を学ぶこと。また、帰国子女がバイリンガルになった勉強法を、日本にいてもできるカリキュラムとして再現し、それを自学自習の習慣獲得と共に、英語力を身に付ける授業を提供することです。

英語を通じて夢を広げる
20年近くこの塾を続け、たくさんの人がここで学び、中には海外留学を成功させたり、高い英語力を使って大学に合格し、さらには夢を実現していくような生徒達もたくさん輩出してきました。日本の英語教育全体を変えることは難しくても、一人ひとりの英語学習を正しい方向へと導き、彼らの体験を変えていくことは可能でると確信しています。このnoteの中では、僕の起業からの体験や、アメリカ留学時に学んだこと、そして今感じているこ、さらには生徒の成功例をお伝えすることを通じて、未来の子供たちが僕が感じたような英語力による劣等感や不平等さを感じることがなく、次の大きなチャレンジに向かっていけるようになってもらうことです。

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