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真冬の修行、アメとムチ 〈石垣島〉

(2021年1月)

石垣島で歴史的な大寒波に遭遇した、という少し前の話をひっそりと語ってみる。それは去る年末年始の大晦日のことであった。めっちゃヤバいのが来るらしい、と巷はザワついていたが、本当にヤバいやつだった。まるで修行のような一日を懐かしく振り返ってみたいと思う。


前夜

大晦日に近づくにつれ日に日に天候が荒れ、みるみる気温が下がっていった。いよいよ明日が底、という大晦日前夜、お金持ちダイバーの友人KGさんと、石垣友だちの女子ダイバーAさん、Iさんと食事をしていた。

例年この時期の石垣島は寒くても最低気温が17℃ぐらいで、昼間はたいてい20℃を超える。むしろ21〜23℃の水温にいかに耐えるかがメインテーマとなるのだが、今晩から明日にかけては最低気温が11℃というとんでも予想なのである。あったかロクハンスーツの安心感も揺らぎに揺らぎ、不安しか感じない。

そんなこんなで、話題はもっぱら「明日という一日の乗り越え方」であった。そして海沿いのイケてるイタリアンでダイバー4人が膝突き合わせ至った結論は、以下である。
①水温が急変することはないので、ダイビング時は今日までの装備でなんとかなるだろう(なんなら外が寒いぶんむしろ温かく感じるかも)。
②問題はダイビングの合間の水面休息時間である。ここでダメになってしまうと一貫の終わりだ。ありったけの着替えとあったかグッズが必要だろう。
③最後はいかに体の中から温めるか、ではないか。そう、必要なものはコーンスープのようなドロっとした温かい飲み物だ。何スープが一番だろうか。いやそうは言ってもマイボトルがないぞ、足りないぞ。
…ということで、話題はこの島でこの時間にいかにマイボトルを手に入れるかという方向にシフトした。Iさんは、半分石垣島民のようなAさんの人脈を辿って借りることになり、マイボトルのないお金持ちダイバーKGさんとスープ用にもう一本欲しい私は、金にものを言わせてどこかで購うことにした。
食事もそこそこに切り上げ、近くの大きなドラッグストアへ走る。比喩的表現ではなくマジで走った。寒かったのだ。息を弾ませ駆け込んだ店内にはしかし、なかった。見上げるとここが南国であることを心の底から疑いたくなる寒空。即断し、タクシーで大型ショッピングモールへと向かう。ダイソーの高額商品コーナーに期待を寄せたが、ここにもなかった。最後の砦マックスバリュへ入る。日用品コーナーへ走る。…すると、あった。

なぜかマーベル柄の小型ボトルだけが売られていた。マーベルAかマーベルBの二択である。背に腹はかえられない。マーベルぐらいで二の足を踏むわけにはいかないと、マーベルAを手に取った。KGさんはAとBを両方手に取っていた。明日船の上で初めて出会う人がいたら、アメコミ好きのバカップルだと思うかもしれない。でもそんなことはどうでもいいし、誤解を解こうというモチベーションもない。何度も言うが背に腹はかえられぬのだ。そしてコーンスープを買って…と思ったところで、素晴らしいダークホースを発見した。日本伝統のあったか飲料、生姜湯である。ドロっと感も十分な上に天下のホットスパイス、生姜入り。これだ、これしかない。頼む。お願い。そんな思いでがっさり買い込みホテルへ帰る。


その日

そうして迎えたその日。 
昨日は警報が発令されるほどの暴風が吹き荒ぶ中、全員が「今日ほんとに船出すんすか?」というテンションだった。しかしそんな昨日以上に、今日は全員のテンションが低い。というか、重い。重たい。悲壮感すら漂っている。そして10人前強のある種の決意のようなものを乗せ、ついに出航してしまった。
ボートは昨日に引き続き東海岸へ向かう。一本目。エントリー前に少しだけ海に足をつけてみる。予想通り温かく感じた。水温は変わらないのに不思議なもので、足湯のようだった。いい湯じゃぁ、なんてのんびりする間もなく、ここから3本の修行がはじまる。深呼吸して丹田あたりに力を込めてエントリーした。入ってしまえばいける。特にバブがシュワシュワと生きているうちは入浴中のように温かく快適だ。光が射さない海は暗めだが、マクロ生物たちは変わらず可愛く、かと思えばオオテンジクザメがものすごい寝相で寝ていて笑えたりする。
うーん、やはりダイビングは楽しいな。そう思っているうちに第一の試練、船へ上がる時間その1が訪れた。上がった瞬間、吹き荒ぶ寒風。歯の根が合わない。震える手で上半身乾いた服に着替えてホッカイロを握りしめショウガ湯を飲む。尋常ではない湯気がショウガ湯と自分からもうもうと立ち上る。こんなんだっけ、石垣島。そんなことをぼんやり考えているうちにほぼ飲み干してしまった。完全にペース配分を間違えた。後悔を抱えつつ、2本目にエントリーする。これまた海の中は楽しい。旬のウデフリツノザヤウミウシ(通称ピカチュウ)を見つけ、達成感を感じたりした。

そして二度目の試練、船へ上がる時間その2がやってくる。生姜湯はほとんどない。恐る恐る上がると、昼食の年越し八重山そばが用意されていた。なんということでしょう。そそくさと濡れた水着を脱ぎ捨て乾いた服を着込み、そばにむしゃぶりつく。

なんとか命を繋いだ。温かいものを食べる以上に体を温める方法はない。ほっとしたところで、修行もクライマックスの3本目だ。女性の着替えスペースが一箇所しかないため、エントリー前にAさん、Iさんと相談してエグジットの順番を決めた。船上で濡れたまま待機するのは自殺行為だからだ。とはいえ何らかの限界でピンチの際のサインも決めておいた。相変わらず海の中は静謐で神々しく気持ち良い。そう思っていると、安全停止もそこそこにIさんがものすごい勢いで上がっていった。予定では私が先だったのだが、後々聞くと水中での記憶がほとんどないほど寒さにやられていたそうだ。そんなハプニングはあったが、何とか無事に3名ともエグジットし、着替え終わる。全員が海から上がり帰路に着く頃には、そこはかとない脱力感と達成感が漂っていた。

この一日を乗り越えたことで、今後のダイビング人生に余裕が生まれた気がする。事実、翌日もやや寒かったのだが、「まぁ昨日を乗り越えたわけだし」と思えた。そう言う意味では非常に貴重な修行の場であった。ただ、あれ以来、少なくとも次の年末までその機会はないはずなのに、そして次の年末にはこんな寒波に見舞われるつもりもないのに、無意識にあったかグッズを追い求める自分がいる。裏フリースのニット帽や、充電式のカイロ、何なら湯たんぽとかどう?みたいな自問自答を繰り返している。確実にどこかで修行を求めている自分がいるようだ。病みつきとはこのことことで、恐ろしい話である。


そのあと

夜は何年も夢見た石垣島一番の焼肉屋やまもとで肉をたらふく喰らい、明くる元日は予報に反して晴れ間が見られ、200本をお祝いしてもらい、翌日にはパナリでマンタの乱舞に出会えた。アメとムチどころか、ムチに対してお釣りが来るほどのアメ具合である。

ダイビングの神様、ありがとう。来年も楽しみにしています。

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