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ドラマの切れ端

現実世界のドラマチックな展開に、多少なりとも憧れはある。けれど、それで溢れた毎日が送りたいわけじゃない。
だって、そうなってしまったら、もうそんなのは「ドラマチック」じゃない。日常があるから、劇的なそれが眩く見えるとわたしは知っている。

高校生の頃の、ある夏の下校中に、家の近所の横断歩道で信号が変わるのを待っていた。そこの信号は、赤信号と青信号の点灯時間の差が著しく(今も直っていない)、50m走で青信号の点滅に勝てなかったわたしは、息を整えながら足元に目を落とした。

そこに、QRコードがあった。
携帯で読み取るあれだ。白地に黒い印字の、あれが書かれたステッカーが、わたしの茶色のローファーの2cm前方に貼られていた。

どこへ繋がるんだろう、誰が貼ったんだろう、昨日はこんなのあったのだろうか、等々のクエスチョンマークが頭の中を駆け巡った時間がどれだけだったかも、それからわたしがスクールバッグから携帯電話を取り出すまでの時間がどれだけだっかも、何一つ思い出せない。
ただ覚えているのは、携帯電話を開く前に、信号が赤から青に変わったことだけだ。

だからわたしは、あのQRコードがどこに繋がるものだったのか知らない。因みに、次の日の朝登校時にはもうそのステッカーはなかった。だから、わたしが見たのは間違いなかったか、それさえも自信がない。もしかしたら、夏の暑さで見たたわいもない幻覚だったのかもしれない。

どうしてこのことを今になって思い出したのかというと、数日前の晩の仕事帰りに、同じ横断歩道でまたおかしな物を見たからだ。
その日のわたしの、グレーのハイヒールの4cm前方には、蓋が取れた黄色とピンクの蛍光ペンが落ちていた。すぐに青に変わった横断歩道を渡った先には、その蓋が落ちていた。…何故、ばらばらなのか。
翌朝は、プチ寝坊の所為で電車に乗り遅れそうになり、いい歳して100m走を青信号及び満員電車に挑んだため、それがどうなったのかは知らない。帰り道には、もうなかった。

ドラマチックな展開に溢れた毎日なんていらない。
そんな展開にわたしを誘ってくれそうで、だけどその力を本当のドラマの中で使い果たしてきてしまったような「ドラマの切れ端」は、わたしの靴の数センチ前方に現れる。決して毎日じゃなく、わたしが日常にそろそろ飽きてきたかな、という頃合いを見計らったかのように。
わたしはその、切れ端で十分だ。それだけでわたしは、いくらだって想像の世界でドラマの中に飛んでいける。

なんの話かというと、歩きスマホしてない方が、面白いものって目に入ってきますよ、危なくないし、という話でした。

#エッセイ #ドラマ #日常

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