深刻な運転手不足の問題は,学校教育が抱える先生不足と全く同じ構造である
🟧これまでそれに甘えていたから
ここ数日,朝のニュースでも取り上げられている運転手不足による事象。
労働時間や労働環境が見直されるようになって,いきなり適正にしよう‼️
と,舵を切った結果です。
こういう事態に陥るということは,これまでは適正ではない状態がそのまま放置されていたにも関わらず,それを受け入れていたということです。
過酷な状態でも,運転手が無理をして社会を回していたんです。
それを無くせば,その代償は必ずどこかに生まれます。
教員不足も全く同じ構造です。一昔前は勤務時間という概念すらなく,とにかく現場の先生たちによる「無理」で学校教育を保ってきたのが事実です。
時代は変わり,働き方改革・勤務時間の適正化という言葉が叫ばれるようになりました。運転手問題と同じく,必ず代償が生まれます。
ところが,学校の先生たちが「無理」を放棄するとその代償の対象は目の前の「子ども」であり「保護者」です。
全員が勤務時間を守って出退勤したら⁉️
朝,登校しても先生たちは学校にいません。そうなると困るのは子どもや保護者で,大変になるのが結局自分たちだということは,現場を見れば明らかです。どんなに偉い人が命令しても,早く出勤せざるを得ない状況になり,先生たちが「自主的に」子どもより前に早く門をくぐることは簡単に想定できます。真面目で一生懸命な先生ほど,そうします。
それを知っているから,あえてそこにメスを入れません。
早朝出勤しても,残業しても報酬はいらない・・・
命令しなくても勝手にたくさん働いてくれる・・・
先生たち「無理して」くれるんです。甘えるの,やめませんか⁉️
🟧代償を分かち合う
どちらも根本的な構造は同じです。
どこかに無理の代償を押し付け合うのではなく,その代償を
きちんと社会で分かち合ってより良くなる社会に変わらなければなりません。われわれ大人が痛みを受け入れた上で,より良い社会にするために「学ぶ事」が求められているんだと思います。
🟧何かを「手放すこと」が難しい
物理的にはとても豊かな時代になりました。
物騒な事件も当然ありますが,
銃で撃たれたり,食料がなかったり,寝床の心配をしたり・・・
基本的に怯えながら生きて行かなくても大丈夫です。
大体のものが手に入ったがために
「失うことへの恐怖」と共に生きていかなければならなくなりました。
人は無意識の領域では確実に「損失を回避する」という行動を取るようになっています。一度手にれてしまったものを手放すことは,意識しないとできません。ですが,現状を変えたいなら何かを手放さないと新しい景色には出会えません。
思うに,みんな今の日本の社会には課題がたくさんあることもわかっているし,自分たちが変わっていかなければならないことも何となく知っている。
それでも変わるためには「何かを手放す」必要があるが,それがなかなかできない。これが根本にあるのではないでしょうか⁉️
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