大衆店は大衆店、高級店は高級店の意識で働く
のがいいんじゃないかな?
って思います。
接客業に携わるサービスマンがね。
まず、大衆店ってことは店員も「それなりの給料」しかもらってない、ってことですよね。「それなりの給料」しかもらってないのに、「給料以上のサービス」をしたら、その分は確実に奴隷ですよね。
店員側もしんどいし、客も店員として働いた時にしんどくなるし……結局金持ち・資本家・経営者(要は常に客側でいられる人)しか得をしません。
これがこの記事↑で言っていることです。
ただ、世の中には
まだまだ次のような思想が根強いです。
そういう風に意識を下げたら、
サービスの質が悪くなるんじゃないか?
って。
強いでしょ?
こういう一見
正しく見える思想。
そもそも値段相応のサービスをするのが仕事でしょ、って私は思うんですが(良いサービスを受けたいなら高い店に行けばいい)
しかし、別の側面から見ても、
そうとも言えないよね?
っていう部分があります。
まず、大衆店で意識の高いサービスが基本になってたら、一部の意識高い接客業命みたいな店員以外の、【大多数の店員がしんどい】ですよね?
・・・そうなると、その大多数の店員は色々消耗しますよね? 心身ともに。
消耗した先に素晴らしいサービスがある(できる)んでしょうか?
素晴らしい接客って強制されてするものじゃないと思うんですよ。本当に素晴らしい接客をするには、まず自分が幸せじゃなきゃ無理だと思うんですよね。私は日本人のあの、「仮面おもてなし接客」、正直好きじゃないです。
奴隷は磨かれても、奴隷ですよね。
更にそうなると、店員辞めますし、入って来ても続きませんし、募集しても人来ませんよね? 大して給与が良くないのに高サービスをしなきゃいけない仕事なんて、誰もしたがりません。
すると、人員不足、つまり供給不足になり、一部残っている意識の高いサービスマンと奴隷根性が染み込んだサービスマン「だけ」でお店を回さなきゃいけなくなり、当然、店員が少ない分サービスの手が回らなくなり、サービスの質が落ちます。
どんなに凄いサービスマンでも、普通のサービスマン3人分の仕事はできません(物理的に)。
よって、無駄に(給料に見合わない)意識の高いサービスをするのって、(少なくとも我々一般人からしたら)悪いことだらけ、なんじゃないかな、って私は考えます^^;