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恋愛茶屋 12月24日午後3時

そのお店は、山深く水のきれいな川のそば、けれど東京都内にある。国道沿いにあるけれど、行くにはどこからも遠い場所にある。

お店の置時計が3時を鳴らした。山の中なので日はもう陰り始めている。今晩も冷えるかなと店主が窓の外を眺めていると、駐車スペースにフィットが入ってきた。

ドアがそっと開いた。

—いらっしゃいませ。

—あ、あの。。。お店、やってますか。

—はい、お好きなお席にどうぞ。

カウンター席にぎこちなく座ったその女のひとは、コートを脱ぐとこれからデートに行くような、きれいな刺しゅうの入った落ち着いた色合いのワンピースを着ていた。けれど目は腫れぼったかった。

—あの、コーヒーはないんですか。

—はい。

—じゃ、じゃあ、ミルクティーをください。あと、アップルパイ。

ーかしこまりました。

出されたお冷をひとくち飲んでから、女のひとは話し始めた。

—わたし、失恋したんです。こんな年齢で失恋したんです。好きになったのは同じ会社の1歳年下のひとです。2年前から仕事でチームがいっしょになったことがきっかけで好きになりました。でも、好きですって言いませんでした。言えなかったんです。

—先週、別の仕事仲間から聞いたんです、結婚するって。社内のひとで彼より8歳くらい年下で、わたしとはぜんぜん違うタイプのひとでした。彼女のことは知っているから、違うタイプだってわかるんです。

—それを聞いた日は、ショックで涙も出ませんでした。でもいまは思い出すたびに涙が出てきます。朝起きると失恋したことを思い出します。情けないのは仕事にも影響してて、以前みたいに進められなくて周りに迷惑をかけてしまってます。

—彼女は仕事納めの日に退職します。結婚の報告も最終日に聞くでしょう。わたしは笑っておめでとうって言わないといけないんです。

—こんな歳になって、なんでこんなにつらい思いをしなきゃいけないんでしょうか。自分がみじめでばかに思えて仕方ないです。彼を好きになった記憶を消してしまいたいです。もう逃げたい、消えたい、消えたいです。

そう言い終わると、女のひとはポロポロと涙を流し始めた。

—ミルクティーとアップルパイです。

置かれたアップルパイにはカスタードクリームがかかっていた。意外だったのか女のひとが顔を上げると、店主は温かいおしぼりを用意していた。

—よろしければ、明日もいらっしゃいませんか。アップルパイは今日のメニューです。明日は別のメニューになります。

まだ涙と鼻水でぐしゃぐしゃの女のひとは、ひとくちアップルパイを食べた。カスタードクリームもアップルパイも温かくて甘かった。ふたくち目に行く前に、席を立ってお手洗い室に向かった。

外はだいぶ日が傾いていた。店主は入口のランプに灯りを点けにドアを開けた。

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