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励ましと労わりと愛【歌詞】ゲワイエンタフ(TMネットワーク / Get Wild )

ゲワイエンタフ。久しぶりに心地よい英語のカタカナ表記にまみえた。「シェキラベイベー」とか「ゲロンパ」とか「グッジョブ」とか、英語を聞こえたままカタカナ表記することを推奨するものとしては見逃せない逸材だ。似たようなことは以前にも書いた。

この度 B'z がTMネットワークの Get Wild をカバーすることになって、関連ニュースがいろいろ流れてきているが、ある動画で「歌詞の意味はわからないが、雰囲気でかっこいいのがスゴい」と称賛されていた。

確かに、意味を考えたことはなかった。

ので、今さらだが、真剣に Get Wild の歌詞の意味を考えてみた。

通読して気がつくのは、主語のわからない文が多いことだ。

登場人物は私(一人称は、 my pain, my dream の my のみ)「君」(および your)、「誰か」(および somebody)、そして「車道で踊るあの娘」である(注1)。

まず「明日に怯えていたよ」「何も怖くはない」「甘えていたくはない」と心情を吐露していることから、第二連の途中までの主語は、夜の街を車で疾走している明示されない「私」であると言っていいだろう。

そして第二連の途中で「君」が登場する。「君だけが 守れるものがどこかにあるさ」と言っているが、「君」が誰なのか、「私」とどういう関係なのか、そもそもこの部分の語り手がそれ以前の語り手と同一人物なのかは不明だ。

次の行では「ひとりでも 傷ついた夢を取りもどすよ」と言っているが、取り戻すのは誰なのか。「君だけが守れるものを見つけ出したら、もう君はひとりでも君の傷ついた夢を取りもどせるよ」なのか、「君は君だけが守れるものを探したまえ 私はひとりでも私の傷ついた夢を取りもどすから」なのか。こちらの英訳では後者を採用しているようだが、私は前者を採用したい。理由は後述する。

次。二番の歌詞では3人目の登場人物、3人称の「車道で踊るあの娘」が登場する。車に乗っている「私」が見ている見知らぬ女性だ。そしてまた主語のない「誰かのために愛せるのなら きっと強くなれる」(注2)が続く。件の英訳では主語を「私」としているが、これは明白な誤りだろう。これはもちろん「私」のことでもあるが、「君」をはげます言葉でもあり、「車道で踊」り「悲しくおどけてい」る「あの娘」への思いでもあるからだ。

3人の登場人物が登場して、サビ前のふたつの英詩フレーズ It's your pain or my pain or somebody's pain と It's your dream or my dream or somebody's dream の意味がわかってくる。

「私」も「君」も、「車道で踊るあの娘」に代表される「誰か」も、みな「消せない痛み心に抱いて」いるが、「やさしさに甘え」ることなく「守れるもの」、愛を注ぎ生きる目的となるような「誰か」を見つけることができれば、「傷ついた夢(pain, dream)」を取り戻せる(癒せる)のである。

この詩に主人公はいない。「私」かもしれないし「君」かもしれないし、どこの誰とも知れない「車道で踊るあの娘」かもしれない。 

人はひとりでは生きてはいけない。「ひとりでは解けない愛のパズルを抱いて」いるその一人ひとりに対して、別の愛のパズルのピースを持っている誰かを愛することで「きっと強くなれる(wild and tough)」とエールを送る、不特定多数のリスナーへの励ましと労わりを歌った愛の歌なのである。


注1) 出だしの「アスファルト タイヤを切りつけながら」の「アスファルト」は「アスファルトが」ではなく「アスファルトに」だと作詩者本人が言っているそうなので、ここでは登場人物に含めない(「アスファルト」という名のタイヤ切り裂き魔の可能性は除外する)。

注2)ふつう日本語の「愛する」に自動詞の用法はない。英語の love は「愛する」「恋をする」という意味で自動詞として用いられるが、 love for somebody (誰かのために愛する)という言い方はふつうしない(上記の英訳ではそのように訳されている)。ここは「誰かのために愛を抱けるのなら」という意味で、語呂を優先した誤用ではないかと思う。




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