見出し画像

"価値観のズレという言葉の違和感"_恋愛観

よく、有名人のゴシップで

価値観のズレで、、、

と離婚や破局話のテンプレートとしてこの文言は使用される。

んー、、、個人的にはこの文言は違和感を感じる。
なぜなら、

大前提として価値観はみんなズレているから。

そもそも育った環境も、生きてきた過程も全く異なるパートナーと過ごしているのだから、価値観は違うことは付き合っていく上で覚悟として必要だと思う。

出会って、付き合えて、好きでいれば
「価値観」は合ってくるのか?
残念ながら、それは迷信。

どんな夫婦も元は他人。
たとえ血縁関係のある母でさえ、共感できないところで小競り合いかあるくらいだ。
元他人であるパートナーなんて、わからないことだらけ。毎日がThe不思議発見なのだ。

では、価値観を少しでも埋めるにはどうしたらよいのだろうか?

それは、、、


「よく話し合える関係性を積み重ねる」

これに尽きると思う。

どんなズレも始めは小さな不満やもやもやからくる。
この段階で
「私は(俺は)○○なのがいや。きをつけてほしいな、、、」

と伝え合えて、互いに解釈しあって解決させる。伝え方が相手に苛立ちを与えてしまうのなら、相手の意見を聞いて伝え方を変えてみる。
何回もおんなじことを言わせてしまったら、アイスを奢るといったほっこりしたルールを2人の間でつくるでもいいと思う。

価値観のズレの芽は大きくなるうちに摘む。

摘めば摘むほど、相手への理解度合いも深く積み重なっていくはずだ。

逆にあなたが相手と話し合おうとする熱量と相手で大幅な乖離がある場合は、パートナーとして要検討事項だといえる。

今後、お別れをするカップルで「価値観のズレが原因で」と伝えようとしていたら、

「価値観のズレを埋め合わせることが難しかった」と訂正する方がよいかもしれない。

今日の学び:価値観のズレは、小さな不満の芽を地道に摘む。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?