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日記 1月1日

1月1日
昨日寝た時間 :1時
今日起きた時間:8時半

朝寝坊。冬休みに入ってからずっと。

朝、新年初ジョギングしようとしたのに
新年初日から初心を絶たれてしまう。

朝から子供たちはお笑い番組や録画したテレビ番組を見ている。
もはや遅く起きてきた父親には何も注意することはできず、
何も言えなかった。

子供たちがテレビを見ている間にパジャマ姿で外に出て
ポストから新聞(毎日新聞)を取ってきて、記事にさっと目を通す。
新年なのに1面がロシアの情報操作に関するもので、
この新聞は大丈夫なのかと心配になる。
ほかにはジェンダー関連の記事が複数あった。

あとは、別冊(?)で1週間のテレビ番組をまとめたものが来ていて、
それに目を通す。高橋一生と岸井ゆきののNHKのドラマが楽しみ。

朝ご飯(妻が作ってくれたお雑煮)を食べながら、
子供にお年玉を渡す。
それぞれ、今年の抱負を言おう、という定番の話となり、

妻    :ポケモンユナイトで、マスターになる。
           もしくは作ったラインスタンプが夫(僕)以外の人に買ってもらう
長女:アイリスペイントという作画アプリのデイリーランキングに入る
長男:空手の大会で勝つ
二女:ひらがなを覚える。自転車に補助輪無しで乗る

という感じだった。僕は、とにかく毎日日記をつけることを目標に据えた。

ご飯を食べているときは何かしら音楽を流すのが、僕の習慣で、今年初めて掛けた曲は、カルロスリラの「voce e eu」だった。

お風呂洗い、食器洗いを終え、コーヒーを飲みながら一息ついていると、
子供がまたテレビを見ているので、隙を見て読みかけの本(「LISTEN」、「村上T」)を流し読みする。

僕はなかなかに自分は村上春樹が好きだと思っているが、
それでもこの本は買わなくてもよかったし、読まなくてもよかったと思ってしまう。たまたま、酔っぱらって入った飯田橋のブックオフで600円だ買った本だ。「LISTEN」はNEWS PICKSで記事になっていたので中身を確認せずに買った本。これも、まあ読まなくても良かったと思う。要は、話を聞くときは真剣に聴こう、ということだから(人はただ話を聞いて欲しいから話すわけで、さえぎったりアドバイスをしたり、要約することを求めていない)、ちゃんと人と対峙しましょう、ということがたくさん書かれていた。分かってはいる。ただ、それはなかなかにできない。

 ニューイヤー駅伝の放送中、三菱重工のCMで興梠の姿が出てきて、切なくなる。今年のレッズはどうなるのだろうか。ここまでメンバーが大きく入れ替わって不安も大きいが、期待も大きい。今年のオフのメンバーの入れ替えを見ていると、レッズの抱えていた構造的な俗人的構成というものが透けて見えたように思う。特にプレーできる時間が限られるスポーツ選手のチーム構成は、徐々にマイナーチェンジを試行し続けることが必要だったが、安定期にあったと思われていたため、それまでのレッズの幹部はそれを敢えてやってこなかったのだろう。それを選手の契約年数に合わせ、まずは大槻監督がそれまでの現状メンバーでなんとかやりくりをし歪な構成やプレーになっていたチームをフラットにして、リカルドロドリゲスが少しいびつな状況のなかにあっても戦術を落とし込み、そして選手の契約が切れたタイミングで一気に選手構成を変えた、ということなのだろう。CMを見ながら様々な感情が去来した。
     
とにかく風が強い。そんななかで、父親と母親に新年のあいさつに行く。車で約1時間。大手ショッピングモールに行く車で片側が混雑しているなかで、スイスイその脇を走っていく。みな朝からショッピングに行くし、夕方もやはりそこに行く道は混んでいた。

父親とか母親の家は僕の実家であるが、リフォームして内装も変わっているし、家具や家電も僕がいたころから変化しているので、もはや少し身近な他人の家という感じで落ち着かないのが正直なところ。父親と母親には11月末に会っていたので(コロナ禍以降なかなか会えていなかったので、コロナが落ち着いている11月に会いに行った次第)、近況報告するネタもなく、会話を継続させることがなかなかに難しい。結局、ご飯を食べるか、子供たちの話をするか、であった。それでも、父親と母親が子供たちとカルタをする姿はほほえましかった。思わず、スマホを取り出し、写真を撮る。父親が、すき焼きづくりに失敗した。真鍮の鍋に強火で火をかけ放置し、その後油を入れ、鍋を焦がした。定年退職後、父は家事を手伝うようになったが、自尊心と自負心と、母よりも自分が立場を上だと思っていることから、家事について母から注意や小言を受ける時があり、その都度「うるせえな」というのだった。この時も部屋に煙が充満し、火事かと思うほどに部屋がモクモクと塗れた。5歳の二女からも「モクモクしているよ、おじいちゃん失敗したの?だめじゃん」みたいなことを言われ、僕はこれは絶対腹を立てて怒るパターンだろうな、と不安になった。できればそういう姿は小さい子供たちには見せたくはない。案の定、父親は自分の部屋に閉じこもってしまい、あーあー、これはまずいと心配していたが、少ししてからまたリビングに戻ってきた。その後はちょっと不服そうな、不穏な空気も少し出してはいたけど案外普通で、ただ母から少しその後すき焼きの作り方について説明を受けると「うるせえな、俺には無理だからやってくれよ」とは言っていたが、それでも語調は荒い感じでもなかったので、母から指摘されることに対し、耐えられる力が着いた父を見て僕は嬉しく思った。前だったら部屋からもう出てこないか、もっときつい態度を母にとっていただろうから。とはいうものの、僕もこういう感じのことを妻にやってしまうことがあるから、今から少しづつでも直していかなくてはいけないと反省した。

実家には3時間ほど滞在し、帰宅。長女がドンキホーテ―に行きたいというので帰宅途中に立ち寄り、17時までに帰宅し、現在に至る。少し疲れたのか、熱っぽい気もするが、勘違いかもしれない。

帰ったら年賀状を仕分ける。年賀状を自分から書くのはめんどくさいので、来た人に返すことにしている。元日に僕宛に来たのは10枚。そのなかには住宅会社とトヨタもあったから、実際は8枚。当たり障りのないメッセージを書く。「いつか会えたらいいですね」「今年は飲みましょう」「僕もついに40代突入です」など。

そんな感じで元日が終わった。冬休みは子供とずっといるので、本も読めないし、映画(DVDなど)も見れない。自由な時間なんで、子供が寝たあとの本の少しだ。その時間にこれを書いていた。

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