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日記 1月6日

1月6日

寝た時間 :23時半
今日起きた時間:6時半

少し体調が悪かったので、昨日は早く寝た。

今日、仕事をしていると窓から雪が斜めに落ちていくのが見えた。それは時間を追うごとに春の嵐の花びらみたいに増えていった。雪を見ていると時間も音も吸い取られていく気がするのは何故だろう。しんしん、という雪が降る音の形容もまた、どこから生まれたのだろう。不思議なオノマトペ。

行きの電車の中で、滝口悠生「やがて忘れる過程の途中」を殆ど読み終えた。この本を読みながら、これはどこかで味わった感覚だと思い、それを思い出そうとしていると、それが友達といった沖縄旅行からの帰りの飛行機の中の感覚だと分かった。当時僕は、それは「楽しかった思い出を折りたたんで、何かの形に変換し直す感じ。小さくして、デフォルメさせる。」という感じで確か思っていて、そんな感じだった。それは、この本と一緒に旅行をしたのか、呼応をしたのかは分からないけれども、それでもそんな気分だった。職場最寄りの駅の地上出口に出て、空気が凛と張り詰めるなかで、信号が変わるのを待ちながら、生きることは思い出し続けることなのだろうと思った。思い出し続けて、それを新しく繋ぎなおすこと。僕の人生は安全で、特に語るべきエピソードなど何もない。どこにいっても、どんな人でもとっておきの「笑える話」とか「笑われる話」とか、「陰惨な話」とか少なからずあるが、僕にはそんな突起物のようなものはないように思える。それでも何もないわけではない。少なくとも僕自身にとっては意味のあることはあるし、振り返れば意味が後に付託されていく体験が沢山ある。自分や、もしくは自分以外にも起きたことを思い出し続け、それを新しく繋ぎなおしていくこと、それによって引き起こされる新たな立体を作ること、それが生きていく意味なのだろうと信号が青に変わるのを見ながら考えていた。僕にとって、滝口悠生「やがて忘れる過程の途中」は自分が変容し、変節した本だから、大切な本となった。図書館で借りたのだが、買わなくてはいけない気がしてきた。

明日は5時半起き。朝、路面が凍結しているだろうから、転ばないといいが。

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