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★人権感覚

 12月4日から人権週間が始まった。教育界では「人権感覚」と言う言葉をよく耳にする。教師の「人権感覚」を高めるための研修が、東京都では、毎年2学期の終業式の後に行われている。

 「人権感覚」とは、人が生まれながらに持っている、何人からも侵されることのない「基本的人権」をきちんと理解し、様々な差別、例えば、女性蔑視、いじめ、障害者差別、外国人差別、最近ではLGBT差別、パワーハラスメント等、人権侵害事案について鋭敏な感覚を身につけることではないかと、私は理解している。

 では、「人権感覚」は付け焼き刃の研修で身についたり、高まったりするのだろうか。答えは否である。

 「人権感覚」は、その人が育ってきた環境によって養われる。長年かかって徐々に養われ高められる感覚である。障害者と友人レベルで接したことがない、LGBTの知人がいない、いじめに遭ったこともなく、傍観者でいること多かったという人に、「人権感覚」が育っているとは言いがたい。もちろん、差別はいけないという表層的な知識理解はあるかもしれない。しかし、表層的な知識理解と経験に基づいて身につく、真の「人権感覚」とは似て非なるものである。

 しかし、私の身の回りの教師を見回してみても、私の考える「人権感覚」を持ち合わせていると感じられる方は極めて少ない。ほとんどの方は、常識的な社会規範、知識に基づいた、薄っぺらい「人権知識」があるだけである。

 「人権感覚」の無い教師が、子どもの「人権感覚」を醸成することはできない。体験を重視した真の「人権感覚」を身につけさせるための教師教育、研修が必要であると考える。


学校教育には矛盾がいっぱい!