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自分を見つめる勇気

 「あなたはどんな人ですか?」と質問されたら即座に答えが浮かぶだろうか。自分の長所と短所をきちんと説明できるだろうか。他人のこととなるとスラスラしゃべれるのに、自分のこととなるとそう簡単にはいかないものである。

 誰しも自分にはあまり自信がない。されどその自信のなさを他人には悟られたくないという矛盾した思いをもっている。その思いは年を取るにつれ強くなる。30、40と年を重ねるとともに、周囲の期待も高まる。それに比例して、認められたいと思う自己の欲求も高くなる。でもなかなか自分に自信が持てない。そんな人は、特に、年下の者から批判されることに、恐怖と嫌悪感を抱いてしまう。だから、コンプレックスを隠すために、相手にナメられまいと、次第に他人に対する物の言い方が横柄になり、威張ってしまうのである。つまり、「威張る」という行為は自分の自信のなさの裏返しなのである。

 自分に自信をつけるためには、まず、しっかりと自己認識(メタ認知)することが必要である。そのためには、できるだけ多くの人に、自分の評価をしてもらわなければならない。自己評価は甘くなり、不正確だから。でも、これは、なかなか大変な作業である。私達は周りから快く思われたいと願っている。だから、自分の欠点を他人から指摘されることには極度の不快感を覚える。しかし、ここで耳をふさいでしまっては元も子もない。「忍」の一念でぐっとこらえて冷静に聞くことが大切である。

 そして一人になったときに、果たして自分はどうなのかを問い直し、少しずつ自己改革していくのである。本田宗一郎、松下幸之助、後世に名の残す大人物は皆謙虚である。

 たった一度きりの人生。嫌われ者として寂しく過ごすより、皆から慕われて尊敬されて、ワイワイ楽しく過ごす方がよいに決まっている。

★私は常々、生徒に「威張っている人は信用するな」と言っている。これは私が半世紀生きてきて、間違ったことがない定理である。同級生でも先輩でも、政治家の先生でも、高名な経営者でも、学校の先生でも。威張っている人は器がちっちゃい。尊敬には値しない人物である。友人はそれを「実るほど頭を反らすイナバウアー」と揶揄した。言い得て妙である。

 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」これを実践できている人を尊敬し、自分もそうでありたいと強く思う。

※写真は尊敬する鍼師、内田勝久さん。十条銀座、内田治療院院長。全盲のアスリートでもある。


学校教育には矛盾がいっぱい!