教師の力量
子どもの能力を評価するのが難しいように、教師の力量もなかなか量りにくいものである。ある一部の子どもにとってよい先生がクラスの子ども全員にとってよいかどうかは分からない。
比喩的な言い方になるが、私は、教師の力量は、その先生が心の中に持っている「引き出しの数」で決まると思う。その「心の引き出しの数」は、教師が仕事に必要な指導のための手段、方法を幾つ持っているかで決まる。様々なタイプの子どもに対応するためには、多ければ多いほどよい。
例えば国語の授業で生徒が短歌に興味を持ったとき、その関心の程度や生徒の能力に応じてどれだけ多くの資料を呈示できるかが勝負である。現代でも親しまれている百人一首。そして数年前にベストセラーとなった俵万智さんの「サラダ記念日」。その中でも恋の歌を抜粋すれば、中高生は必ず興味を示す。また、能力のある生徒には詩の世界に触れさせるのもよい。作者は、いかに少ない言葉の中に多くの思いを込めるかに苦心する。そんな作り手の思いを、自らの想像力を使って読み解いていく楽しさを伝えられればしめたものである。さらに、子どもたちに「詩を作ってみたい」と思わせられたら素晴らしい。
最近、小中学校を舞台としたドラマが放映され高い視聴率を記録した。それは、とりもなおさず、日本の子どもたちが、いかに金八先生や平泉先生を心の中で求めているかを物語っている。
「ドラマはあくまでフィクションで、あんなにうまくいくはずかない」とおっしゃる先生方も多いだろう。しかし、一人ひとりの子どもたちの心の揺れをきちんととらえ、心の引き出しから子どもにあった手立てを探し、問題解決のために全力で取り組むドラマの中の先生の姿を、本物の先生方はもっと見習った方がよいのではなかろうか。
★私は、生徒に、過去に結婚していたこと、子どもがいることを話している。そして、最近、教師に成り立ての若手に「彼女がいます」と生徒に言ってみたらと水を向けた。すると若手は「そんなこと言えません。とんでもないです。」という答えが返ってきた。
プロの教師は、「プライベートもネタにできる人」だと私は考えている。プライベートと言っても、100%さらけ出せという訳ではない。この場合、彼女の人物像は、実在の彼女とは変えても良いのである。
大切なのは、プライベートを晒すことで、生徒に「私は、本音で君たちに話しているよ」というメッセージを伝えることである。すると、生徒も心を開き本音を見せるようになる。
大人同士の関係でも同じである。得体の知れない、プライベートが黒いベールで包まれた、秘密の多い人には、本音で話す気になれないのが人情である。
どんな生徒の発する波長にも瞬時に周波数を合わせ、適切なコミュニケーションが取れる教師になるべく、さらに修行せねばと思う。
学校教育には矛盾がいっぱい!