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先生はエライ?

 世間には、「センセイ」と呼ばれる方がたくさんいる。医者、弁護士、議員、そして学校の教員。「センセイ」という呼び方は相手に敬意を表す言い方、つまり尊敬語である。私の身の回りにも仕事柄多くの「センセイ」がいらっしゃるが、心からの敬意を持って『先生』と呼べる人はほんの僅かである。
 

 人は「センセイ」と呼ばれると何となくエラくなったような気がするらしい。大学を出たばかりの22、3の若者が、学校に就職した途端に生徒や親から「センセイ」と呼ばれる身分になってしまう。友達の間でも「スゴイ!エライ!」ともてはやされ、親戚や近所のおじさん、おばさんまでも褒めちぎってくれる。見知らぬ人からも一度身分を明かすやいなや「スゴイ!エライ!」と喝采の嵐。つまりは周りから祭り上げられてしまうのである。当の本人がよほど謙虚で腰の低い人物ならいいが、豚もおだてりゃ木に登ってしまうのが人情。そこで何かを勘違いして、自分を見失ってしまう人が多い。悲しい現実である。 

 私は、先生に人一倍必要なのは「想像力」だと思う。子どもの気持ち、親の気持ちを的確に推し量り、とらえられる力だと思う。怒られて、怒った人の言うことを素直に聞こうと思う人がいますか?欠点ばかりを指摘されて喜ぶ人がいますか?ちょっと考えれば分かりそうなものだと思うのだが…。先生に子どもの気持ちを想像する力さえあれば、「いじめ」や「不登校」の問題など起こりようもない。
 

 「センセイ」と呼ばれる立場の方は、果たして自分が他人の尊敬に値する人物か、今一度我が身を振り返って考えてもらえませんか。そして反省してください。自分のためはもとより、あなたより弱い立場の人たちのために。

★福井県の指導死事件も、想像力の欠如した「センセイ」によって引き起こされた。免許更新時に民間企業に1年間派遣してCS(お客様は神様という考え方)を学ばせる必要がある。学校しかしらない教師は井の中の蛙。生徒にだけキャリア教育、職業体験をさせているのでは本末転倒。


学校教育には矛盾がいっぱい!