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不思議のすみか~毎日がスピリチュアル~

 一昔前の日本人の生活の中には、様々な“不思議”が宿っていた。沼や湖には必ず“主”が棲んでいた。森や海、田や畑にもにも神様がいた。各々の家には神棚があり、人々は毎日、家内安全を祈っていた。そして節目節目には、神様が豊かな恵みを施してくれるように、平安な日々が過ごせるように、人々は祭りを行って神を称えてきた。そうして人々は、目に見えない不思議な力を信じ、生活に取り入れ大切に守ってきたのである。
 

 しかし、アスファルトとコンクリートで塗り固められた都会生活には、不思議が入り込む余地がない。会社と家を往復する毎日、隣人との付き合いどころか家族団欒の時間も取れない。子どもの遊びは家の中でのテレビゲーム。さらに、学校と塾と習い事で大人並みの過密スケジュールである。
 

 人はすべからく不思議の世界が好きである。占い、お守り、怪談、宗教等々、不思議な世界には誰でもが興味を持つ。それは、毎日を生きる不安の裏返しでもある。どこかの大学教授が「すべての現象は物理学で説明できる」とおっしゃって、火の玉の研究をしておられるが、私はとてもナンセンスだと思う。人間の奢りだと思う。
 

 少し前、キリスト教の神父の方に、「私はアダムとイブによって人類が始まったという聖書の言葉がどうしても納得できない。」と話したことがある。すると彼は「地球に生命が誕生した理由をきちんと説明した学者はいない。だから、アダムとイブを誰も否定することはできない。」と答えた。
 

 生活の中に不思議のすみかを作ることとは、とりもなおさず、自然を畏れ敬うことである。不思議と共に生活できる余裕が、今の日本人には必要ではなかろうか。


★私たちの日常は、科学的には説明できないスピリチュアルな出来事の連続である。「いや、私は平凡な毎日で全然スピリチュアルなことなど起きません」と言う人がいるかもしれない。それは、気付いていないだけである。

 エンジェルナンバーという概念がある。車のナンバーや看板の電話番号など、日々目にする数字の並びの中で気になった数字があったら、それは、天使からのメッセージである。という考え方である。

 最近、こんなことがあった。朝、自分の車のオドメーターを見たら888を示してしていた。夜、首都高を走っていたら、私の車の直前に車線変更してきたトラックのナンバーが888であった。8は財運を表す数字。事実、その後、私は数十万の臨時収入があった。その他、私は自分の誕生日や知人の誕生日と同じナンバーを毎日目撃する。

 最近購入した小型自動二輪のスクーターのナンバープレートがバイク屋さんからメールで送られてきた。それは、19969。1996年9月、私は国立がんセンター中央病院の院内学級で仕事をしていた。そして、9月は30歳の誕生日を迎えた月である。そのとき教えていた、羽田香織さんは、落語家の桂枝雀さんの大ファンだった。翌年2月の退院日近くに病院近くで独演会があり、点字で手紙を書いたところ、枝雀さんは香織さんとの対面を快諾してくれた。

 香織さんは97年9月に天国へ旅たった。数年後、桂枝雀さんも天国へ。バイクのナンバーは二人のいたずらではないかと、私は考えている。

 「そんなの偶然でしょ」という突っ込みが聞こえてきそうである。確かに、これが必然、意図的な出来事だと証明する術はない。でも、私は必然だと信じている。

 世の中は不思議な出来事であふれている。そういう構えで生活していると、実は、幸せに近づく鍵は目の前に落ちているかもしれない。

学校教育には矛盾がいっぱい!