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話し上手のすすめ

 人は誰しも、他人から尊敬されたいという願望を持っている。「どうも人前で話すのは苦手で…。」と謙遜なさる方でも皆から注目され賞賛を浴びれば、心地好い気分になるのは間違いない。

 けれど、普通の人々が脚光を浴びる場面というのは、芸能人にでもならない限り滅多にあるものではない。だから、結婚式のスピーチなどで注目されたりすると、人はその快感の心地好さに、それが長く持続するようにと無意識のうちに願うらしい。すると、カッコよく話そうという思いだけが空回りして、だらだらとまとまりのない話になってしまう。また、「これだけは言っておきたい。」が多すぎる人も聞き手を辟易させてしまうものである。

 では、どうすれば話し上手なれるのだろうか。話し上手になるための条件。それはとても簡単。「聞き手への思いやりを持つこと」である。自分の話が、聞き手にどう響いているのか、おもしろいのか、つまらないのか、聞き手が眠たくなってはいないか、飽きてしまってはいないかと、常に気を配りながら話すことである。

 本当に話しがうまい人とは言いたいことを要領よく短時間でズバッと言える人である。日本には、昔から、短歌や俳句といった、短い言葉で感動を表現する素晴らしい文化があるではないか。

 「聞き手への思いやりを持つ」 教室で子どもたちに催眠術をかけておいて、「居眠りするな!」とおっしゃるセンセイ方にも是非お願いしたい。

★私は比較的良い教師に出会ってきた。しかし、例外もいる。特に高校時代には「なんだこの教師は?」と感じる教師が複数いた。参考書を見ながら授業をし、膨大な板書をする数学教師。お経のような抑揚に乏しい語りで生徒を睡魔に襲わせる地理教師。しかし、つまらない授業をしている教師と、居眠りをする生徒では、後者の方が批難の対象になってしまう。理不尽である。教師は落語や漫才を聞き「語り」を追究すべきである。生徒が眠る隙を与えない話術を身につけるべきである。新鮮なネタを授業で下ろすべきである。子どものせいにせず、失敗は、己の未熟さを顧みる糧にする。そういう教師であり続けたいと思う。

学校教育には矛盾がいっぱい!