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「大人になりなさい」

 「もっと大人になりなさい!」目上の人にでも、言いたいことをポンポン言ってしまう私に対し、常識的な人たちはこう忠告する。言われるたびに私は、さて「大人になる」とはどういうことだろうと考えてしまう。
 

 私が感じるに、大部分の方々は、「言いたいことがあっても我慢して周囲の人達との間に波風を立てないこと」を「大人になる」という言葉で表現しているらしい。言い換えると「『タテマエ』をうまく使えるようになること」である。一見するともっともらしく聞こえるが、果たしてそれでよいのだろうか。
 

 確かに、仕事仲間とうまくやっていくことはとても大切なことである。毎日顔を合わせる人たちといがみ合っていては、仕事はうまく進まないしストレスにもなる。けれど、ある人に自分にはどうしても受け入れられないところがある場合、そして、それが自分以外の人にも悪影響を及ぼしていると考えられる場合、さらに、その欠点に気付かないことによってその人自身も損をしているなと思われる場合、「さわらぬ神に祟り無し」と見過ごすのが「大人」なのだろうか。私にはどうしても納得できない。もし、それが大人の常識だとしたら、私は誰から何を言われようと大人にはなれないし、なりたくない。
 

 国語の授業の中で、子どもたちに作文や詩を書かせると、その観察力や表現力の鋭さにハッとさせられることがある。それは、カッコつけてやろうとか、みんなからよい評価を受けようという“大人にありがち”な計算がないところから生まれるのである。
 

 子どもの頃に誰でもがもっているストレートな考え方や感受性。大人になっても決して忘れないでほしい。

 

★これは30歳の時に書いた文章だが、50を超えた今も考え方は変わっていない。大人になれてない、ワタシ。いや、変わる必要はないのだ。ぶれていないワタシを褒めてあげたい。

学校教育には矛盾がいっぱい!