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★慇懃無礼(いんぎんぶれい)

 慇懃無礼とは、言葉や態度などが丁寧すぎて、かえって無礼であるさま。あまりに丁寧すぎると、かえって嫌味で誠意が感じられなくなるさま。また、表面の態度はきわめて礼儀正しく丁寧だが、実は尊大で相手を見下げているさま。

 私は約30年教師をしている。学校で働いている限り、あまり、慇懃無礼な人物に出会ったことがない。しかし、役所で働いたとき、あるいは、役所の人間と関わるときに、慇懃無礼な人物に遭遇する確率が高い。

 約十年前、私は、道徳の研究をするために、教員研究生という立場で、1年間、教職員研修センターという役所で働いた。そこでは、指導主事3人と統括指導主事1人が私の指導役として決められていた。その1人に、慇懃無礼なA指導主事がいた。年齢は私よりも一つ下の男性である。

 A指導主事は、月に一度行われる、私の研究の進捗を報告する会議で、私の提案をことごとく否定した。その言い方は、超上から目線。言葉は丁寧だが、私には「馬鹿にされている」としか受け取れなかった。この人は、小学校教師をどのように務めていたのかと疑問に感じた。

 年齢は下だが、役所での関係は指導主事(主幹教諭相当)と研究生(教諭)である。始めは自分にも知識不足があることは事実なので、大人しく聞いていた。しかし、その物言いが二度三度と繰り返されるうちに、私の中でぷつんと何かが切れた。いわゆる、堪忍袋の緒が切れた瞬間である。

 「A指導主事は私の意見をことごとく否定しますね。こんな会議を開いても無駄ですね。」と言い残し、私は会議の席を立った。こんな訳の分からない人間と付き合うくらいなら、教員研究生は辞めてもいいやと感じていた。

 その後、人格者であった統括指導主事の計らいで、研究を継続することができ、研究報告書を作成できたのだが、A指導主事への不信感は最後まで拭いきれなかった。

 そして、つい最近。私は、校長のパワハラ事件で区教委のB係長と話す機会があった。B係長は、「私は教員ではないので教育の専門家ではありませんが・・・」と前置きし、ニヤニヤしながら、憶測に基づいた、世間一般的な組織論を展開し、私の言動が組織を逸脱していると指摘した。また、慇懃無礼な人物に遭遇したなと感じた私は「あなたの話は憶測に基づいた内容であり、私の体験した状況を理解しようとする態度に欠けている。失礼な態度である。」と告げた。B係長は、ばつの悪い表情を浮かべ、発言を控えるようになった。

 立場の違う人物と交渉しなければならないとき、慇懃無礼な態度は、大きなマイナスになる。丁寧な言葉の裏に、相手を見下す態度はないか、細心の注意をしていきたいものである。

学校教育には矛盾がいっぱい!