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★「変人」のススメ ~電子出版あとがき~

 私は、ここ、noteに掲載したエッセイをKindleから電子書籍として出版しようと考えている。以下はその際のあとがきとして書いた文章である。

 1995年。29歳の私は盲学校の教師をしていた。しかし、普通の平凡な教師ではなく、少々、変わった環境の中にいた。

 当時の盲学校には管理職よりも幅をきかせていた主のような先輩教師Mがたた。M教諭には全盲の視覚障害があった。当時、オウム真理教なる新興宗教団体が連日マスコミを賑わせていた。超エリート大学のエリート学部を卒業した若者が得体の知れない宗教団体へ入信していくことに、世間の人々は皆、驚いていた。マスコミはそれを「マインドコントロール」と呼んだ。

 既出のM教諭は初任者の指導を担当していた。中学校での指導経験はあるが、知的発達障害のある生徒を指導した経験がない、私を含めた若手教師は、M教諭に指導を受けざるをえなかった。M教諭は最初は本来の役割である知的発達障害児指導についてレクチャーしてくれた。しかし、しばらくすると、自分の好き嫌いについても講義するようになった。その中には、管理職を含め、自分の意に沿わない職員を卑下する内容が含まれていた。

 心理的に近い関係になっているM教諭、視覚障害者の代表でもある彼からもたらされる情報は、若手教師にとっては、無条件に正しい情報として吸収されていった。これが、オウムが行っていたマインドコントロールと同等な「洗脳」であった。

 私の両親は視覚障害者である。父は全盲のマッサージ師。母は弱視。二人とも盲学校の卒業生である。そんな両親に育てられた私はM教諭の言動に疑問を抱くようになった。しかし、当時の私は、初任者指導担当教諭という、逆らえない立場に君臨するM教諭に反旗を翻す勇気はなかった。

 そのジレンマから発生するストレスは、次第に私の精神を蝕み、盲学校着任五年目の平成6年4月に抑鬱状態を発症するに至った。年が明けて平成7年1月。私の鬱は阪神大震災が起きた直後から急激に回復した。2月に職場復帰を果たした私に見えたのは、M教諭に牛耳られた盲学校の惨状であった。

 平成7年4月。新年度を迎えた職員会議で「M先生の発言はおかしいです」と、私はついに反旗を翻した。そこから、私に対するM教諭シンパの教員のバッシングが始まった。これは、正に、大人のイジメである。

 その頃、私は身の回りで起こるアンビリーバボーな出来事をエッセイの形で記録することを始めた。それが、ここに収録されている文章である。ありのままを書くのではなく、かみ砕き、昇華して、一般の人が理解できるレベルに普遍化しながら書き進めた。当時、私に味方してくれる数少ない仲間に読んでもらった記憶がある。

 どこに発表する当てもなく眠っていた文章達を荒井誠一氏が整理し、電子ブックの体裁を整えたくれた。勿怪の幸いである。このnoteも荒井氏の勧めで始めることになった。


 自画自賛になるが、20年前に書いた文章であるが、今読んでも古さを感じない。それは、私の文才ではなく、世の中を取り巻く状況が、ここ20年解決に至っていないからではないだろうか。

 この文章を読んでいただいた読者の皆様が、課題解決のために何か行動を起
こす契機となれば幸いである。

★このM教諭のあと20年を経て、この3年間で、私は、サイコパスに、立て続けに二度も遭遇した。明言は避けるが、それは、友人、知人、同僚という同等のレベルではなく、M教諭と同じく、逃れることが難しいポジションの人物である。結果、立て続けに二度、抑鬱状態を再体験することになった。

 そこでようやく、私はサイコパスを引き寄せやすい体質であること、サイコパスが至近距離にいると鬱を発症することを悟った。神様が与えてくれた試練の意味がやっと理解できた。と同時に、私がこの世に生を受けた使命も悟った。

 普通の人が気付かないところに気付いてしまう体質は、得をすることよりも損をすることに方が多い気がする。特に、人間関係上、私の考えを理解してもらうことは非常に困難である。私にははっきり見えていても、他の人にとっては見えていない。スコトーマ(心理的盲点)だからである。

 「変なところに気付かずに、普通に過ごせたらもっと楽だろうな」と思うことがある。しかし、それは無理なので、人からは「変人」と言われつつも、我が道を行くしかないと覚悟を決めた。

 Going my way.  怖いものなし。

学校教育には矛盾がいっぱい!