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豊かさの追求によって失ったもの

 戦後50年(現在は70年)、空襲の爆撃で何にもなくなった焼け跡から、日本は目を見張るばかりの復興を遂げた。昭和30年代後半から40年代にかけての高度経済成長を経て、日本はアジア諸国随一の経済大国、世界的にも豊かな国の代名詞になった。物質的には確かに豊かになった日本。しかし、そこに暮らす人々の心は、逆に貧しくなってはいないだろうか。

 『病院で死ぬということ』の著者で、ホスピスの医師である山崎章郎さんは、5月31日付の朝日新聞でつぎのように述べている。「都心に並ぶ豪華で立派な行政施設。豊かさの象徴のようですが、本当に豊かな社会だと思いますか。この都会の片隅で人間が死を迎える環境を知れば、それが幻想だと気づくはずです。(中略)患者だって自分が末期だと信じたくないから、医者が『がんばりましょう』といえば、そちらを信じますよね。でも、それは不信を生み、周囲の人や医療に恨みを持ったまま最期の場面を迎えることになります。どんな生き方をするかは、患者一人ひとりが自分で選択していくべきだと考えます。」

 現在の日本の豊かさを作る原動力となったのは“競争の原理”である。しかし、“競争の原理”には「人間関係を稀薄にする」という恐るべき副作用がある。幼い頃から「他人に負けるな」と言われ続けた人々は、「人を思いやる心」を失っていく。日本で現在起こっている出来事を目や耳にするにつけ、日本社会がその副作用に、ひどく毒されている感を否めない。2002年サッカーワールドカップ日韓共同開催。なぜ日本人はもっと喜べないのだろうか。日韓関係をより友好的に深める絶好のチャンスである。

 21世紀に向け、いかに「心の豊かさ」を取り戻すか。我々日本人に与えられた大きな課題である。

★人間関係の希薄化は、20年前よりも、さらに進んでいる。職員室では本音が言えない。特に、若手と本音で語るのは難しい。

 私は、相手の器の大きさを忖度して、話す内容を変えるのだが、今は、若手教師の心の奥に閉ざした器の大きさを測るのが非常に困難である。結果、うわべだけのつまらない話にならざるをえない。

 教育技術はテクニックではなく"技”である。先輩から伝承されて初めて自分のものとなる。本も読まない、先輩の話も聞かない若手が、一人前の職人教師になることは永遠にない。それに気づけない本人もかわいそうだが、教わる子ども達がもっと気の毒である。

学校教育には矛盾がいっぱい!