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人間性を育む教育

 私自身もまだまだ若輩者(当時は29歳)で、偉そうに言える立場ではないのだが、最近、社会人になりたての若者達と接していると、その考え方の幼稚さに驚くことがある。

 子どもの数の減少により、昨今の教員採用の厳しさには目を見張るものがある。その難関をくぐり抜けてきた若者、特に、大学卒業と同時に採用になる方々は、飛び抜けて優秀なはずである。確かに、知識は豊富で秀才には間違いない。しかし、話をしていて感じるのは、精神的未成熟、いや、成長過程で精神的に大人になる機会を与えられてこなかったのではないかということである。学生時代は模範的な生徒で、親や先生に叱られたことがない。挫折した経験がない。心のどこかで学生時代の依存性を抱えたまま、教師になってしまう若者達。その原因は、日本の学力偏重の教育システムにあるのではないだろうか。

 「心の成熟とは、無理に強がったり虚勢を張ったりしないで、自分の弱さを語り合うことのできることをいう。」『困った人たちの精神分析』(小此木啓吾著・大和書房)

 「他人と接するには、自分の“幼児的な万能感”というものをひとまず押さえ込まねばならず、人は所詮平等だということに耐えねばならない。」『なぜ心が病むのか』(町沢静夫著・PHP文庫)

 上記二氏の言葉を借りると、心が未成熟で、本当の“強さ”を知らず、“幼児的な万能感”を持ったまま社会に出てしまったのが、現代の若者と説明することができる。

 21世紀の日本に必要なのは、自分の頭で考え国際社会の中でも意見をきちんと主張できる人材である。真の国際人を育成するためには、学力重視の教育から、人間性重視の教育への一刻も早い転換が望まれる。

★現在の教員採用は3倍~5倍程度の低倍率になっている。団塊の世代の大量退職期を迎え採用数が増えているのに併せ、「学校はブラックな職場」という報道がなされるため、学生の受験者が減っているのではないかと推察できる。結果として、一昔前なら試験や面接ではじかれたであろう人材が採用されている。幼児的な万能感を持ったまま教壇に立つ教師が増えている。教師の質が低下している。

 さらに、挙手方式で管理職候補者を決めている東京都では、管理職の劣化も激しい。生徒と良好に人間関係が築け、信頼される教師は管理職になることを敬遠する。僅かな手当と、不毛な事務作業により消費される膨大な時間を天秤にかけると、時間を優先するのが賢い選択。したがって、いわゆる、「良い先生」は管理職にならない傾向が強い。

 ただ、偉くなりたい、教師としても、人間としても、中身はないけど尊敬されたい、難のある輩が管理職を目指し、すんなり合格している。そんな阿呆管理職が理不尽で自己中な発言を繰り返し、職員を混乱させ、時に、病気休職させ、ひいては地域のひんしゅくを買い、学校教育をピンチに追い込んでいる。さあ、どうしたものか。

私は選考方法を指名制に変えるしかないと考えている。

学校教育には矛盾がいっぱい!