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11.貧しいけど豊かな時代やった

 1960年までの高度成長期前の日本の農山村は、良きにつけ悪しきにつけ、有史前から続く食料・燃料を自給する相互扶助の地域社会がありました。重労働、不衛生で、ときに因習に捕らわれる日常がありつつ、老若男女を問わず心身ともに発散できる非日常の祭りや行事がありました。コバノミツバツツジが咲く季節は、苗代づくりなどの稲作の準備をして、その年の豊穣を神に祈る大切な時期であり、日常の労働から解き放たれたハレの場でした。人が里山に手を入れることで古代から里山に増えてきたコバノミツバツツジは、東海以西の西日本で、この春のハレの場を飾ってきたのです。

春日神社境内の春祭 2016年4月2日 

 2016年4月2日、大阪府豊中市の春日神社の境内では、琴の雅楽を奏で、お茶をふるまう春祭が行われていました。鎮守の森のコバノミツバツツジは鬱蒼とした常緑樹に覆われて枯れてしまったので、宮山つつじ保存会が、森の一部をコバノミツバツツジが咲く開けた宮山つつじ園に整備しなおしました。神社のホームページには「全山花盛りというと往時の面影はいまだ程遠いのですが」と記されています。次の取材場所へ急ぐためにタクシーに乗ると、高齢の運転手は「妻が子どものときは、親戚が集まって、宮山で1日お弁当を食べて遊びました。数年前、宮山つつじが戻ったときに、何十年かぶりに親戚一同集まって、なつかしかった」と、妻から聞いた話を語りました。 

大人も子どももつつじ園で一句詠む 2016年4月2日

 奈良県の馬見丘陵公園の管理館で、2017年4月20日、著者より年配の受付の女性から、園内のコバノミツバツツジの群生場所を聞いたときのことです。兵庫県上郡かみごうり町が出身の彼女は、幼いころは、4月3日に旧暦の雛祭りがあって、ツツジが咲く丘に親戚一同集まって、お弁当を食べて1日中遊んだことを教えてくれました。そしてぽつりと、「貧しいけど豊かな時代やった」とつぶやきました。

上郡アルプスと呼ばれる里山 2024年4月4日
受付の女性が教えてくれたつつじ咲く丘の雰囲気

 滋賀県甲賀郡信楽町宮の古老から2018年春に、「子どもたちだけでお弁当を持って、山つつじ(コバノミツバツツジ)が満開の山に登り、1日中遊ぶ、ツツジ狩りをした」と聞きました。

信楽高原鉄道 紫香楽宮跡駅の裏山 2018年4月23日
真砂土の上を流れる清流の自然のツツジ園が子どもたちの遊び場だった

 有岡利幸は、「岡山県美作地方では、旧暦3月3日に大人も子供も、重箱に御馳走を詰めた弁当を持ち、連れだって山に登った。ここではハナミ(花見)とよんでいる。久米郡柵原町吉ヶ原では、子どもは重箱をもって山に登り、旗を立ててその下に集まって遊ぶ。・・・岡山県東北部の美作みまさか台地とよばれることろで生まれた筆者も、4月3日の月遅れの雛祭りには花見と言って、母親に弁当をつくって貰い、近くの小山に行って、ツツジの花を眺めながら遊んだ記憶がある。したがって、花見とは、ツツジの花を見ることだと長い間思い込み、桜花を見ることが花見であることを中学生になるころまでは知らなかった。・・・ツツジの花を折って帰ったことは、覚えている。」と記しています。

三休みやすみ公園 岡山県三崎町 2024年4月16日
有岡利幸が花見をしたのはこのような美作みまさか台地

 秋里籬島あきさとりとうは1796(寛政8)年の『和泉名所図会』4巻 躑躅岡つつじがおかで、現在の大阪府泉南市岡について、「岡村は中村の内なり。北の方に平山あり。たて十四五町によこ三四町。満山躑躅つつじにして、花の盛には最も壮観そうかんなり。近隣ここにあつまりて、爛熳らんまんしょうず。」と記しています。

『和泉名所図会』躑躅岡つつじがおか 国立国会図書館所蔵
画質補正して載せました

躑躅岡つつじがおか
 山家集
  つつじ山の光たりといふ事を
  つつじ咲く 山の岩影 夕映えて 小倉はよその 名のみなりけり
                           西行

 西行が詠んだのは、京都嵐山は小倉山の夕映えです。小倉山には、今もコバノミツバツツジが咲いています。この名歌を、秋里は引用しました。

小倉山 ソメイヨシノと同時に咲くコバノミツバツツジは外国人にも大人気 2019年4月6日

 白幡洋一郎は、貴族文化的な要素として「かつては多様な『花』見があった。桜のほか、梅・桃・桜草・山吹・藤・躑躅つつじ・牡丹・萩・菊など、四季折々の代表的な花はすべて、広い意味での『花』見の対象だった。・・・いっぽう農民の間では、古くから花の咲き始めるころに、飲食物を携えて近くの丘や山に登り、一日を過ごす行事があった。民俗学で『春山行き』とか、『春山入り』などと総称されるものである。」と述べています。そして、貴族文化と農村文化が融合した花見は、群桜・飲食・群集という特徴があり、他国にはない日本独自の行事だと論じています。

 ちょうどコバノミツバツツジが咲き始める旧暦3月3日前後の、子どもだけの雛祭りの行事にせよ、老若男女すべての行事にせよ、経済的に貧しくても、春のハレの日に、豊かな野遊び、山遊びをして集う、麗しい風習が古代から続いていたのです。東海以西の低地以外の、東日本や山地でも、コバノミツバツツジに代わる象徴的な花がありました。1960年の燃料革命までは、国土の1割以上が草原で、農村の周りの里山も、下草がほとんどなくて、自由に遊べる場所でした。その傍らに、明るい場所で群生するコバノミツバツツジが咲いていました。土地と心がともに豊かとは何か、続く話で再考したいと思います。

参考文献
有岡利幸『里山Ⅱ』法政大学出版 2004
白幡洋一郎『花見と桜 日本的なるもの再考』八坂書房 2015
秋里籬島『和泉名所図会』1796


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