『今日から俺はロリのヒモ!』というラノベを読んでこれは凄いんじゃないかと思ったけれど、同じような感想を書いている人がいないっぽいので、ひとまず私が書き留めておく。

はじめに

 ハロにちわ。ささやかです。最近ずっとBOOKWALKERの読み放題で読みたかったり興味があったりしたライトノベルを読んでおります。その中で、『今日から俺はロリのヒモ!』というラノベを読んでこれは凄いんじゃないかと思ったのですけど、読メで感想をさらってみても同じような感想がなかったので、備忘録も兼ねてnoteに書き留めておこうかなというのが、以下に続く雑文の趣旨です。

 あらかじめ言っておくと、現時点においてBOOKWALKERの読み放題で読める6巻まで読み進めてますが、本シリーズはあくまでロリとクズが甘っと戯れることが主眼のコメディなのだと思います。しかし私は蝶々がブラジルで羽ばたいたことによってハリケーンが生じうることについて肯定的な人間であり、すなわちこれから記す私の感想は、針小棒大な解釈に基づく戯言であるので、その点に留意して流し読みして頂ければ幸いです。

あらすじ

 今回ポイントにしたいのは、ストーリーが主ではないので、ざっくりいきましょう。タイトルどおりです。主人公・天堂ハルの大ファンである超絶金持ちな女子小学生=ロリがパトロンになることによって、画力はあるが後は駄目な漫画家志望の主人公が、高校を中退し、ロリとその友人ロリ二人と巨乳秘書と交流しつつ、漫画を描かず自堕落なヒモ生活をするという具合です。なお、以下ではストーリーにふれる=ネタバレみたいな記述があるので、念のため注意勧告しておきます。

天堂ハルをクズと断ずるだけでよいのか。或いは人生の価値論

 主人公の天堂ハルは、クズです。これは確定です。彼のクズっぷりを事細かに説明する気は面倒なのでないのですが、あらすじの説明だけでもまあクズなんだなとわかると思います。

 高校中退、生活能力なし。漫画家志望で画力は高いものの漫画家としてはストーリーが破綻していてとても商業にならず、同人としても評価されない。性格も能力も、まあ社会的にみて天堂ハルは価値のない人間であるとの誹りを免れないところでしょう。

 では、天堂ハルに価値はないのか。ひいては彼の人生に意味はないのか。私はあると思うんですよね。誰にも見向きもされなかった天堂ハルの漫画は、しかしながらヒロリインの二条藤花の心をつかんだのだから。二条藤花は、自分は天堂ハルの漫画を読むことによって救われたと言い、彼女と親しい間柄の人間も、彼女が天堂ハルの漫画を読みだすようになってから、二条藤花が(性格的にも業績的にも)良い方向に進んでいるとの認識を示しており、ついでに1巻終盤で、天堂ハルは漫画を描くことによって彼女と友人二人の仲をとりもつ。

 すなわち、結果として天堂ハルは、(投資家として今後も社会的価値の極めて高い)少女の人生を救うことに成功しているわけなんですよね。

 私、これは本当に凄い偉業だと思ってて、だって考えてもくださいよ。果たして、自分の一生を賭けたとして、それで誰かを本当の意味で救うことができますか? 難行です。しかし天堂ハルはやってのけたわけです。あのクズで社会的価値もない人間と評価されるであろう天堂ハルが。

 無論、この天堂ハルの偉業が偶然を多分に含んだものであることを否定するつもりは毛頭ないですが、これを我が身に落として考えれば、たとえどんなにクズであっても、誰を救える可能性を持っていることを意味しているに他なりません。大袈裟ですが、これは劣等感、そして実際に能力の足りなさにのたうち回っているような人間にとって、これはある種の福音と言っても良いのではないでしょうか。あなたはあなたであることで十分な価値を有している、というのはまさにライトノベルを読む年代に届いてほしいメッセージ性だと思うのです。まあ作者はそんな壮大なことまで考えて書いてないと思うけどね(笑)! でも天堂ハルだって誰かを救おうとして二条藤花を救ったわけじゃないですから、誰かのお蔭で勝手に救われてもいいし、あなたがその誰かにいつだってなり得るってことですね。

天堂ハルが持つ裏返しのヒロイン性

 まーこれも作者は絶対にそんなこと考えてないでしょうけれど、天堂ハルって少女小説(ここでは、ビーズログ文庫や一迅社文庫など読者層を少女又は女性を想定した恋愛系ライトノベルやWeb小説の意味。特に最近のファンタジー要素のあるライトノベルがわかりやすいか)のヒロイン(主人公)の裏返しみたいなヒロイン性を持っていると思うんですよね。

 どういうことかというと、少女小説は読者が共感しやすいようにヒロインが平凡だったりちょっと変わってたりするだけで、ヒーローに愛されるような展開が多いかなと私なんかは思うんですけど、これは要するにスペックの高い優れた存在に無償で(あるいは軽労力で)愛されたいという欲求を叶えている内容だなあと感じるのです。

 さて、ここで天堂ハルを見ると、クズでほぼ無能でも、資産家の女子小学生に、天堂ハルということで愛され、養ってもらっているわけで、つまりこれは少女小説における役割を逆転して、(男性を主たる読者層とした)ライトノベルの文脈でやっていることになるのでないでしょうか。

 じゃあ、それでだからなんだと言われると、まあ特にどうしても言いたいことみたいなのはないんですが、男が愛されるヒロインで、女が愛する主体みたいな少女小説や(男性を主たる読者層とした)ライトノベルが増えたら面白いね、とは思います。

おわりに

 これを読み終えたのは2月頭で、そこからこの記事の最初の方だけ書いた後、面倒だなってしばらくほっておいたのですが、まあやっぱり完成させようと思って書き終えました。もっと長々と書くのはできるかもしれないけれど面倒なのでやめます。

 私が言いたいことは、結局、今日から俺はロリのヒモ! (MF文庫J)は面白いよということです。意外な読み方をしている自覚はありますが、しかし、新しい解釈をみつけること、これもある意味、読書の醍醐味ではないでしょうか。

 私はこんな感じで読書して考えることが儘あって、まあ需要はないと思うのですが、気が向いたらまたなんか書くかもです。以上、ささやかでした。





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