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1日1実験を目標にすれば、小さくても、何かが変わる気がする

問題を解決するためには、「こうすれば良くなるんじゃないか」という仮説を立てることが重要だと聞いた。

なるほど、と思った。

そして、仮説を立てると、人はその説が正しいか確かめてみたくなるようだ。このことについては、以前から薄っすらと気づいてはいた。

オンラインゲームで負けたとき、「こう動けばいいんじゃないか」「次はこう動いてみよう」という方法論が浮かぶことで辞め時を見失うことが多かった。自分で立てた仮説が見事に的中して相手を出し抜けたりすると、恐ろしい高揚感に包まれて、ゲームにどっぷりとハマってしまう。

再度挑戦したくなるゲームというのは、失敗した時に”もう一度やればクリアできるような気がする”という感覚をプレイヤーに残すようバランス調整されている。『無理、絶対にできない』と判断したときに人はその問題を解くことをあきらめる。逆に”こうすれば上手くいくんじゃないか”という解決の糸口が見えていると、人はその問題を解きたくなる。つまり、仮説を立てるとは解決の糸口を探る行為なんだと思う。

仮説を立てる際の問題はごくごく身近なものでいい。(むしろ身近なものじゃなければ、解決は難しい)

たとえば、昨日、祖母の部屋のテレビの調子が悪いので見てもらいたいと言われた。正直、めんどうだと思った。いつものようにリモコンのいらぬ箇所を押したせいで映らなくなったのだろうと確認したが、地上波に合わせても画面は真っ暗なままだった。チューナーかケーブルかモニター、いずれかの調子が悪くなっているが、どれが悪いのか判別のしようがない。モヤモヤするが、どうしようもないので諦めてもらうことにして、部屋に戻った。すると、自室に使っていないチューナーがあることに気がついた。

こうなると、どうにも試してみたくなるのが人間心理らしい。実験大好きっ子キャラの気持ちが、今なら少しだけ分かる気がする。

チューナーの調子が悪いなら変えれば映る。治らなければ、モニターに原因があるのだと特定できる。ダメ元で、チューナーを持って祖母の部屋に行った。

チューナーの電源を差してるコンセントが非常に煩わしい位置にあったが、僕は見つけた解決の糸口をつかみ取りたさに突き動かされていた。

ブラウン管モニターの乗ったテレビ台を押し、チューナーを差し替えると見事に誰かの顔がぼんやりとモニターに映った。

モヤモヤが晴れてスッキリした。祖母の感謝を受け取る。まぁ、やってよかったかな、というくらいの気持ちにはなる。世界は何も変わってないけど、幸福の総量はほんの少しだけ増えたと思う。

今回は偶然にも成功したが、もちろん失敗する可能性もある。しかし、実験のいいところは失敗してもいいところだ。失敗も、次の成功の糧になる。失敗を前提に恐れず取り組もう。

2020年。

1日1実験を目標にして、少しずつ自分の理想に近づけていく。

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