生と死の狭間に生きた少女時代
唐突だが私は産まれた時に、産声をあげなかったらしい。
体重は1680グラムしかない未熟児で保育器に入れられていたと聞かされた。
今ではADHD、ASD、HSPと言うワードも世に広がっては来ているが、当時はそんな言葉は存在しなかった。
瞼の裏に甦るのは母親が父親と口喧嘩をし、リストカットをする光景。
確か、私が幼稚園の頃。
忘れられない。
あの美しくも儚い鮮血が。
忘れたい。
でも忘れられない。
どこに向かえば良いのか、どこに逝けば良いのか。
それすらも自分でわからない。
迷い込んだ迷路の出口は存在するのか。
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