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江戸川乱歩、津田青楓、と祖父のこと

 当地は昨日からハリケーンが接近しまして、どうなることかとドキドキしていたのですが、幸い多少雨が降った程度で済みました。台風シーズン嫌ですね。日本も天候が不安定な様子ですが、気をつけてお過ごしください。
 さて、最近読んだ本。夏に日本で購入してきた古本で、積ん読状態になっていたものを消化中です。
 江戸川乱歩(新保博久編)『明智小五郎全集』講談社大衆文学館。(絶版)

 江戸川乱歩は学生時代に怪奇物コレクションを読んだら「…(絶句)」という感じだったので(「芋虫」とか「人間椅子」とか。読みきったけど感想は…十代にはちょっと無理だった)、以来あまり食指が動かず。とりあえず古本を買っておいたけれど本棚の肥やしになっておりました。でも最近noterさんが少年探偵団に触れていらしたし、読んでみようかと本棚から探し出して来ました。
 結果、楽しめました…!!
 古くささを感じない、小気味よく端正な語り口。読者を飽きさせない工夫が随所に凝らしてあって、毎回新鮮な気分で読み進められました。読んだことのある短篇も収録されていましたが、どれも個性的で、万華鏡を覗いているような気分でした。ボタンのネタを使いまわしすぎな気もしたけれども(トリックに詰まったのだろうな…と作家の苦労がうかがえなくもない)。
 「何者」、「心理試験」、「屋根裏の散歩者」、「月と手袋」なんていいですね。乱歩本人は「幽霊」と「黒手組」は駄作だったと語っていたそうですが、私も他に比べると肩透かしだったなという印象…。ちなみに「D坂の殺人事件」も地味だなぁと。しかし、近代日本における探偵物の記念碑的作品なのだなぁという感慨を覚えます(デビュー作は「二銭銅貨」ですけれども)。

 こういう本は解説を読むのが楽しいんですが、案の定横溝正史が編集者だったとか、この頃は乱歩は廃業の危機だったとか小ネタが出てきて面白かったです。本当は本格推理物で売り出したいのに、明智小五郎シリーズや少年探偵団、怪奇物などが売れ筋となってしまい忸怩たる思いでいたとか、文豪と呼ばれる作家もなかなかどうして、思うに任せぬものがあったんだなと親近感を覚えたり。本格歴史小説で名を上げたいのに、シャーロック・ホームズシリーズばかりを求められて悶々としていたコナン・ドイルを彷彿とさせるものがあります…。
 次は『孤島の鬼』を読んでみようかと思っているところ。「芋虫」みたいに怖くないですよね…?よね?

 もう一つ、何だかよくわからないまま、雰囲気のいい文章なので購入した津田青楓『書道と画道』小山書店。昭和8年初版で、こちらは16年版。

達筆過ぎて読めませんが、「書道と画道」と書いてある…

 津田青楓は明治・大正・昭和期を洋画・日本画・書・随筆などを手がけて活躍した他、良寛研究家としても知られる方なのだそうです(浅学にして知りませんでした)。夏目漱石らの本の装画を手がけたことでも有名だそう。
 でね、青楓の書を見ても正直私には良し悪しがよくわからないのですが、文章はたいへんやわらかく、心地がよいのです。平易な語り口で装飾もなく、縁側でお茶を飲みながら話を聞いているような空気があります。
 内容も、大家の作品をすっかりわかった気持ちになって、真似をして得意気に書き散らした若かりし頃が冷や汗もので恥ずかしいだとか、関東大震災直後は無常感に苦しめられ、法然や西行や良寛の詩歌集に没頭して心の拠り所としたことなどが気負いなく綴られています。夏目漱石と仲が良さそうなのも微笑ましい。
 ここなんて、よかったですね。書道とは巷で言われるような精神統一の方法として優れているのではなくて、自分自身を見詰め、自分の姿の発展の跡を見ることをできるのがいいんですよ、という部分。

ピンボケ…

 人間は集団の中に生きることに意義を見出す生き物なのだけれども、集団の歯車となる個々の人間は、自己を顧みて、自分という歯車に溜まった埃や錆をチェックし、手当てすることが難しくなる。ひいてはそれが集団全体に歪みをもたらしてしまう。だから時々集団から離れてみて、書道などをして自分の姿を正しく見つめるのがいいのではないでしょうか、とおっしゃる。
 文章を書くという営みもまさにこれだなと一人納得していました。ものを書くということは、自分の内面を見つめる作業ですから。
 心にすっと入ってくる言葉が多い本です。

 それでですね、夏目漱石の著書の装画と聞いて、思い出しました。

 大正時代の夏目漱石の古書、持ってる!
 もしや青楓の装画ですか…!?
  
 と思って調べたらビンゴでした。こちら、母方の祖父の形見の『道草』です。母から譲り受けました。着物の柄のようでかわいい。お洒落な装丁ですよね。

 初版は大正6年で、こちらは大正13年のもの。

 年季入ってます…開くのが少々怖い。

手描き風で素敵です

 希少なお宝というわけではありませんのであしからず。プレミアはさしてつきません(笑)。
 しかし、大好きな祖父の蔵書だったので思い入れがあります。この祖父が風変わりな人で、一族ひっくるめて小説が書けそうな逸話が種々あります。九州の士族で東京育ちのお坊っちゃんで、家長の兄に医者になれと命じられて京都帝大に入ったものの、素知らぬ顔で哲学へ専攻を変えてしまった怖いもの知らずでした。どういうわけか語学に長けていて、数ヶ国語を操り通訳までしていました。若い頃はバンカラで、手ぬぐいを腰に下げてマントを羽織り、下駄をがらがらいわせて京都の町を闊歩していたそうです。
 後に社会運動に傾倒して挫折したりと波乱に富んだ人生を送りましたが、私の記憶している祖父は非常に物静かで忍耐強かった。祖母を溺愛していて(えらい美女で祖父が一目惚れした)、祖母の体が弱かったもので、毎日祖父が母たちの朝ご飯を作ったとか。この世代にしてはちょっと珍しいタイプでした。
 祖父の兄は明治生まれの海軍将校で(20以上年の離れた兄弟だった)、祖父曰く「頭がいいとは兄貴のことをいう。俺は努力しただけ」というくらい尋常ではない秀才だったそうですが、家のために色々と犠牲になった人でもありました。破天荒な弟を何だかんだと可愛がっていたようで、自分がそう生きられなかった分祖父には甘かったのかもしれない。私の武士のイメージは結構その辺りから来ていたりします。
 祖父の家は戦後の農地改革や資産運用の失敗により全財産を失い、『斜陽』を地で行く感じで没落しました。今は全然何も残っておりません。オヨヨ。こういう家の人というのは、およそ経済観念というものを持ち合わせていませんね。大伯父はお金というもの自体見たことがなかったのではなかろうか。祖父も相当なものでした。階級社会に生きた人々は、その崩壊と激変した戦後社会に適応できず消え去る運命だったのでしょう。祖父はそれを乗り越えようと抗ったけれども、やはりできなかった。
 などと、祖父の形見を眺めつつ、つらつら考えたのでした。
 


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