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たぶんフェチ

 なぜ私は時代小説を書くのが好きなんだろうかと時々考えます。他のジャンルももちろん好きだし色々読むのですが、なぜだか書くのはもっぱら時代物。思うに、答えはきっと時代物フェチだから。それも、言葉フェチの小物フェチ。「煙管の雁首で灰吹きの縁をとんと叩く」とか、「刀の鯉口を切って抜き放つなり、ぴたりと青眼に構え丹田に力を込めた」とか、「かすかな歌声に川面を見遣れば、腰切り半纏に三尺をきりりと締めた船頭が、猪牙舟の上で棹を操りながら舟唄を唄っている」とか、「御番所の表門の石畳は霙まじりの雨に黒々と濡れ、薄い草履を通して冷たさが足を這い上がってくるかのようだ」だとか(どんどん長くなる)、少し書いてみただけでも萌えポイントが満載です。使用する言葉と小物の組み合わせがたまりません。「重畳である」だとか「おきゃあがれ」なんかもいいですね。小説では実際に当時使用されていた言語よりもかなり現代語に近づけてあるとはいえ、やっぱり独特。リズム感と音の響きが刺さります。

 「鞠躬如」という言葉がありますが、読める人はどれくらいいるだろう?「きっきゅうじょ」と読みまして、語源は論語です。身を屈めて、つつしみかしこまるさま、という意味だそうです。私は藤沢周平の時代小説で目にするまでは見たことも聞いたこともありませんでした。別に江戸言葉というわけではないので現代物に使ったっていいんですが、まぁまずお目にかからない。使用すべき場面が極端に少ないし、あまりにも時代がかっていて違和感満載になりそうですし。絶滅危惧種の言葉です。こういう失われつつある言葉に巡り会って、世界が広がるのを感じられるのが時代小説の楽しさでもあります。

 言葉だけではなく、時代物に登場するような小物や和装を眺めるのも好きです。着物男子、大好きです。棋士の藤井聡太さんの装いが素敵過ぎて(棋士として素晴らしいのは今更言うまでもなく)、ニュースなどで拝見しては見惚れております。濃紺の着物に粋な透ける黒の羽織、さらには仙台平の袴とか、爽やかな藍のグラデーションの羽織に清々しい白の着物だとか、心臓を射抜かれまくります。コーディネートを考えて下さった方、グッジョブ。小説の登場人物に着せたい!とうずうずします。そうそう、邦楽囃子などの演奏者のびしーっとした黒紋付姿も、凛としていてうっとりします。華やかな着物もいいけれど、ストイックに黒で統一するのもこれまた素敵。黒紋付の演奏者が一斉に三味線や鼓を鳴らし始めた日には、日本人でよかった!と胸がふるえるわけです。私自身は着付けも出来ないんですけれども。

 ちなみに、好きな幕末重要人物を三人挙げろと言われたら、松平容保、山岡鉄舟、土方歳三を選びます。え、どうして幕末なのか?特に理由はありません。たまたまです。前者二人は国の安寧という大きな目的のために黙々と死力を尽くしたところが魅力ですが、土方歳三の超個人的な意地の貫き方も非常にかっこいい。おまけに美男子。姉が高校生の頃司馬遼太郎にはまり、「燃えよ剣」を読んで土方歳三の写真(あの有名な洋装ざんぎり頭の)のプリクラなんて自作していました。今のプリクラではなく、二十年以上前のプリクラですよ。今にして思えばどうやって作ったんだろう…カメラに写真を思い切り近づけたのだろうか。姉の土方愛を感じますね。私も分けてもらって、ペンケースやらファイルやらに貼り付けてときめいていました。土方歳三も、まさか自分が20世紀にプリクラで撮影されるとは、夢にも思っていらっしゃらなかったに違いない。

 おかげで私も新撰組沼に見事に落ちて(そんな沼があるのか)、土方ファンになりました。思えば時代小説を書くきっかけはその頃に遡るのだろうか。お姉ちゃんありがとう。「坂の上の雲」を読んで、姉のたっての希望により戦艦三笠を見に一緒に横須賀へ出かけたのもいい思い出です。私ははまるととことんなオタク気質の中高生でしたけれど、姉はオシャレで華やかな高校生だったんですけどね。今振り返ると姉も結構たいがいだな、と血のつながりを実感いたします。

 そういうわけで、今日もちまちま小説を書きながら、主人公にどんな景色を見せて、何を着せて、何を食べてもらおうか、と考えながらひとりほくそ笑んでいるのでした。時代物フェチ万歳。
 

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