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豊かさとの距離感について in Morocco🇲🇦

アフリカ大陸初上陸となるモロッコ旅は、「豊かさとの距離感」にはっとする体験だった。

海外ボランティア探しを始めてから半年後に実現した、教育支援補助と観光ができるモロッコのスタディーツアー。
旅は”青の街”で知られるシャウエンからはじまり、1200年以上の歴史がある世界最大規模の旧市街フェズ、サハラ砂漠の民ベルベル人が暮らすハミリア村、砂丘のなかのメルズーガ、市街で賑わうマラケシュと順に回って、様々なモロッコの日常を覗いた。

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モロッコの魅力のひとつは、やりたいことができるまで少し時間がかかるということ。
市街地から砂漠まで、車で9時間かかる。乾燥した砂漠で目覚めても、テントには水場がない。市街地の狭い道にロバやバイクが走って入り組む。日本人女性で幅がぴったりな階段。シャワーの水圧はチロチロ。仄かに灯る電球の光の下、勘でお化粧をする。学校の子供たちとの交流は、ガイドさんにアラビア語の通訳をお願いした。

日本で当たり前に感じていた、揃った交通手段や整備された道路、安定した水回り、通じる言語や文化・・・・・・。モロッコでは、手が届くまでにちょっと距離があって、ひと手間必要。でもその手間によって、自然の魅力や人の優しさに気づく瞬間がたくさんあった。

面倒なことはアウトソースに任せて、自分にしかできないことをやる

これはモロッコに行く前に読んだ記事の一文で、まあ極端な言い方だけど、私はわりと納得していた。
旅行前に「豊かさってなんだ」と聞かれたら、「自分の目的で選択ができる豊かさ」がまず頭に浮かんでいたと思う。恥を忍んで言うと、私は自己実現の探求に汗水流すのが心地よいと思っている人間で、成長に繋がらないと判断したことは最小限で済ます癖がある。

そのタイミングで今回の旅はいい刺激だった。
最適化・合理化された環境が故に、私が自分自身の目的に侵されていないかは問う必要がある。
旅の途中で、日本の生活で埋もれていた「ひと手間から生まれる豊かさ」にじっくり対面することで、自分のなかの尺度が整っていく感覚があった。

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そして、もうひとつの豊かさについて。
この旅を企画してくれたツアー担当の方が、移動の車でお話ししてくれた印象的な話がある。

砂漠をモロッコの友人と歩いていたとき、喉が渇いたと言う友人に自分の飲み水をあげた。そしたら、彼は一口飲んで、「自分はもう大丈夫だから」と言って残りの水を砂漠に撒いた。

東京生まれ東京育ち(西の田舎だけどね)の私は幼少期に、植林計画でメンテナンスされた木に登り、人によって作られた公園や池のまわりを探検して遊んだ。
当時の記憶の主要要素は「自分」と「遊んでくれた友人」。

モロッコで生きる「自然の循環に命を感じる豊かさ」を潜在的に持つ人たち。
生まれたときから身近にある砂漠やオアシスなどの圧倒的大自然はもちろん、1日5回モスクという静かな安息の場で祈るしきたりも、自己・自然との調律を助けているのかもしれない。
自然のなかに、自分がいる。自分が世界の中心でも主人公でもない
この感覚をナチュラルに持っていることを、尊く羨ましく思う。

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今回の旅で出会った「ひと手間から生まれる豊かさ」「自然の循環に命を感じる豊かさ」
豊かさは、環境ではなく感じる側によって生まれる。
豊かさの余地は、常に人間側に委ねられている。
そんなことを考える、モロッコ旅でした。

ありがとうモロッコ。
私も豊かな心で生きたいです。

شكرا يا المغرب
أريد أن أعيش بقلب غني مثلك.

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