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歌だけは残った:統計から見る2021年の香港音楽 【未定義的衝撃:Mirror現象と国安法時代の香港カントポップ(1)】

2021年、香港の音楽業界に何が起こったのか。

まずその大きなトレンドを統計を通じて概観しておこう。

香港のネットメディア『立場新聞』に掲載された2021年香港の音楽シーンを振り返る連載の一つに、Spotifyの公開するデータを分析した素晴らしい記事があったので、本記事では主にその分析をお借りしつつ話を進めることにする。

(統計分析以外にも、インタビューに基づき何名かの香港人の個人的な音楽体験もまとめている読み応えのある記事なので、中国語の読める人はぜひ読んでほしい。
*2021年12月30日追記:立場新聞は29日、幹部の逮捕と資産凍結によって廃刊に追い込まれたので、このページももうアクセスできない。それでもこのリンクは香港にそういうメディアがあったという記録としてここに残しておこうと思う。)


ちなみにこの立場新聞の連載には「至少有歌」(少なくとも歌はある)という象徴的なタイトルがつけられている。これは香港のラジオ局「商業電台」の音楽番組用ジングルとして今年1月にリリースされた黃妍(キャス・ウォン)という歌手の同名の楽曲からとられたものだ。

你話這城市眼淚太多
(この街には涙が多すぎると 君は言うけど)
大霧別退後就渡過
(濃い霧が晴れたら 乗り越えられる)
你話這城市冷漠太多
(この街の人は冷たすぎると 君は言うけど)
竟想不到尚有些歌
(それでも意外と まだ歌はあるんだ)
(…)
聽著聽著發現我又出生一趟
(聞いてるうちに気づく もう一度生まれ変わった自分に)
聽著聽著發現再累也至少有歌
(聞いてるうちに気づく どれだけ疲れても少なくとも歌はある)

黃妍《至少有歌》[作詞:王樂儀]

「少なくとも歌はある」というこの歌のフレーズに象徴されているように、2021年の香港は、政治的に重苦しい雰囲気の中で、ポップソングの持つ底力が再注目された1年だったと思う。少なくとも歌だけは残ったのだ。

先述の立場新聞の記事もこう書いている。

多くの人が、2021年は、香港人のカントポップへの情熱が前代未聞に高まった年だったと言っている。事例をあげればキリがない。たとえばMirrorがポップカルチャーを超越した社会現象となったこと、メインストリームの歌手だけでなく、インディーズミュージシャンの多くのライブでもチケットが入手困難になったこと、毎週各マスコミが発表するヒットチャートが世間話の話題に返り咲いたこと。

この2021年の香港人とカントポップとの交際(あるいは復縁)の物語は、どこから説き起こすべきだろうか。統計がなんらかの時代の輪郭を示してくれるのではなかろうか。

以下では、この記事を参照しつつ、2021年のカントポップに生じたいくつかのトレンドをみていきたい。

* * *

特徴(1)広東語歌謡の復権

カントポップの歴史をざっくりまとめた以前の連載「時代の声、時代の詞:香港カントポップ概論」でも書いたように、返還後の香港の音楽業界は、市場規模という点では多くのスターを輩出した全盛期の80年代、90年代には遠く及ばないほど衰退し、「カントポップの死」すら囁かれる状況にあった。

立場新聞の記事でインタビューを受けた80年代末〜90年代生まれのインフォーマントも、00年代初頭には陳奕迅(イーソン・チャン)や容祖兒(ジョーイ・ヨン)、Twinsといった歌手の広東語の歌を聞いていたが、その後は香港発のスターがなかなか登場しなかったこともあり、台湾の歌手やK-Popをより好んで聞くようになっていったと語っている。
(参考:K歌之王:ラブソングの死と最後のメガスター下一站天后:Twins現象と歌姫のジレンマ


そうしたカントポップの衰退、アジアの他地域のポップスの台頭もあり、2020年の段階では、Spotifyの香港での再生数上位200曲のうち広東語楽曲の占める割合は40%前後に過ぎなかった。

しかし2021年に入るとこの比率は上昇し、2021年下半期には60%程度にまで達している(2021年のデータは10月末まで。以下同様)。

図1:Spotifyの香港再生数トップ200のうち広東語楽曲が占める割合の変化(出典:立場新聞前掲記事)


特徴(2)Mirrorの台頭

この広東語歌謡の復権には、Mirrorブームが果たした役割が大きかった。

下のグラフは、図1のトップ200内の広東語楽曲の割合に加えて、さらにMirrorとそのメンバーのソロ曲が占める割合を示したものだ。広東語楽曲の割合の増加がMirror関連楽曲の割合の増加とほぼ一致して起こっていることがわかると思う。Mirrorの楽曲の流行が、広東語歌謡の割合を大幅に押し上げたのである。

図2:Spotifyの香港再生数トップ200のうちMirrorが占める割合の変化(出典:立場新聞前掲記事)

また2020年の段階では、Mirrorの関連楽曲がほとんどトップ200入りしていないこともわかる。Mirrorのデビューは2018年末だったけど、この統計を見ても、Mirrorブームは2021年に入って起こった新しい現象だったと言える。一部のコアなファンを除く大部分の香港人がMirrorを知り、注目するようになったのは2021年に入ってからだったと思う。

私が最初にMirrorを知ったのも、2021年の1月1日に行われた商業電台の主催する歴史ある音楽賞「叱咤樂壇流行榜頒獎典禮」(Ultimate Song Chart Awards Presentation)で、Mirror関係者が多くの音楽賞を受賞したことがきっかけだった。特にリスナー投票部門で男性歌手賞と楽曲大賞(『蒙著嘴說愛你』)の2冠に輝いた姜濤については、その甘いルックスも含めて大いに注目され、SNSに写真やイラストが多数掲載されていたのを覚えている。

(受賞時の様子と記念パフォーマンス)

その後は、3月にはグループの新曲『Warrior』がリリースされたり、5月には6日間のワンマンライブ「MIRROR 「ONE & ALL」 LIVE 2021」も行われて大盛況に終わったりして、Mirrorに関する話題をたびたび目にするようになった。5月のライブの頃には、香港の新聞にMirror現象を分析するコラムなんかも多数掲載されるようになっていた。

6月末からはメンバーのうち盧瀚霆(アンソン・ロー)、呂爵安(イーダン・ルイ)、邱士縉(スタンリー・ヤウ)が出演する香港版『おっさんずラブ』(『大叔的愛』)が放送され、ViuTV開局以来最大のヒットドラマとなるなど、ますます話題が増えて、Mirrorに関する情報をSNSで見ない日はないほどの状況になった。

立場新聞の記事で紹介されている統計データはSpotifyのものだけど、私が普段利用しているApple Musicでも8月や9月のあたりには香港チャートの上位がほとんどMirror関連曲で埋め尽くされていたのを覚えている。

立場新聞の記事には、Spotifyの他に、香港でよく利用されている音楽配信サービス「KKBOX」の年間再生数トップ20(10月31日段階)も掲載されている。下の図では、この記事に掲載されているSpotifyとKKBOXの再生数トップ20曲のうち、Mirror関連曲の色を反転させて示してみた。

図3:Spotify、KKBOXの香港年間再生数トップ20(出典:立場新聞前掲記事に基づき筆者作成)

特にKKBOXでは20曲のうち13曲がMirrorのグループ曲とメンバーのソロ曲で占められており、無双っぷりがより目立つ。KKBOXはSpotifyとは異なり詳細な再生回数データを公表していないので、立場新聞の記事でも詳細な分析の対象にはなっていないけど、こちらの再生数を元にしたグラフが作れれば、トップ200圏内の広東語楽曲に占めるMirrorの割合はもっと増えていたであろうことも想像できる。

2021年度の商業電台の「叱咤樂壇流行榜頒獎典禮」でも、リスナー投票部門の最終候補に残った5候補のうち、男性歌手賞候補の5人中4人がMirrorのメンバー(呂爵安、姜濤、陳卓賢、盧瀚霆)、楽曲大賞候補の5曲中3曲がMirrorのメンバーのソロ曲であり(姜濤『Dear My Friend,』、 呂爵安『E先生 連環不幸事件』、盧瀚霆『Megahit』)、今年の賞レースもMirrorが席巻することは確実な趨勢である。


特徴(3)流行発生装置としてのViuTVの台頭

ただし、今年注目を集めた香港の歌手はMirrorだけではなかった。

上の図2の表を見ても、2021年の中頃まではMirrorの伸びと広東語歌謡の伸びとが大まかに一致しているけど、2021年の終盤にはMirrorの割合は若干減少しているにも関わらず広東語歌謡全体の割合は上昇を続けている。この時期には広東語で歌うMirror以外の歌手にも注目が高まったことがうかがえる。

図2':白枠で囲った2021年終盤はMirrorの割合が若干減少している(図2に基づき筆者作成)

その理由の一つとして、Mirrorの台頭によって彼らを送り出したテレビ局ViuTVへの注目も高まり、同局の音楽番組に出演する他の歌手が人々の目に留まる機会が増えたことが指摘できるかもしれない。

ViuTVは、2016年4月、経営不振により停波した「亞洲電視」の周波数を引き継ぐ形で放送を開始した新興の地上波テレビ局である。ちなみに香港は歴史的に地上波テレビチャンネルの選択肢が極めて少なく、現在でも民放チャンネルは、最大手の「無線電視」(TVB)と、ケーブルテレビ局「有線電視」の地上波チャンネルとして開局し2017年5月から放送を開始した「奇妙電視」、そしてViuTVの3局しかない。返還前から事実上TVBの独占状態であり、香港エンタメ業界は「TVBか、それ以外か」という状況が長らく続いていた。80年代〜90年代のカントポップのスターの多くも、TVBのコンテストや養成所の出身者である。

そういった環境の中でTVBの一強状態を打破する期待もかかるViuTVは、開局当初こそ、犬猿の仲の2人の著名人を一緒に旅行させる『跟住矛盾去旅行』(Travel with Rivals)など、エッジの利いたイロモノ的なリアリティショーの印象が強かったものの、徐々に自社制作のドラマやオーディション番組、音楽番組など、元来TVBの十八番であった本格的なエンタメ番組にも力を入れるようになっている。

Mirrorも2018年7月から同局がゴールデンタイムに放送していた公開オーディション番組『Good Night Show 全民造星』をきっかけに結成されたグループであり、同番組を手がけたViuTVの女性プロデューサー(黃慧君;通称「花姐」)がマネージャーとしてプロデュースを行うなど、ViuTVとは切っても切れない関係にある。Mirrorのメンバーが出演し話題になった先述のドラマ『大叔的愛』もViuTVの自社制作ドラマであり、Mirror関係者が多くの楽曲賞を受賞した先述の音楽賞「叱咤樂壇流行榜頒獎典禮」も、毎年ViuTVがテレビ中継を行なっている。

(「花姐」は例えるならNizi ProjectにおけるJ. Y. Parkのごとく視聴者の注目を集める存在でもあり、ViuTVが今年6月に放送したMirror出演のリアリティショー『調教你Mirror』では、Mirrorと「花姐」との関係性もフィーチャーされた。)

ViuTVは、2021年からは自社の音楽番組『Chill Club』(2019年10月放送開始)の名を冠した視聴者投票に基づく年間音楽賞「Chill Club 推介榜 年度推介」(Chill Club Awards)も新設するなど、音楽の流行発信にも力を入れてきている。

2021年4月に最初の授賞式が行われた同賞は、新興テレビ局の新設音楽賞であったにもかかわらず、それなりのインパクトがあった。この授賞式では20-21年度の楽曲大賞(Chill Club年度之歌)、男性歌手賞(Chill Club年度男歌手)をはじめ数多くの賞を林家謙(テレンス・ラム)という歌手が受賞したが、立場新聞の記事は、授賞式翌日以降、Spotifyで彼の楽曲の再生数が急増したことを指摘している。

テレンスは、レーベルに所属せずに独立して楽曲制作を行うシンガーソングライターでありながら、先述の図3に示した今年のSpotifyの年間トップ20にも5曲をランクインさせる成功をおさめている(うち1曲は別歌手とのデュエット)。Mirrorに並ぶ2021年の出世頭と言える彼については本連載の第4回目の記事(4)「香港の歌手は死んだのか:ニュースターの誕生」で再び取り上げることにしよう。

図3':図3で示したリストのうち、林家謙(テレンス)関連曲を色を反転させて示したもの

(テレンスと陳凱詠(Jace)のデュエット曲『隔離』。もともと陳凱詠のソロ曲としてリリースされた楽曲で、コロナ禍で注目された「隔離」という言葉に、恋人の間に生じる心の溝が重ねられている。)

Mirrorを輩出したタレントショー『全民造星』もその後シリーズ化され、新人歌手の新たな登竜門になっている。たとえばSpotify、KKBOXともにトップ20に『反對無效』という楽曲をランクインさせている張天賦(MC)は、2019年放送の『全民造星』第2期で準優勝したことをきっかけに見出された歌手である。2020年末にメジャーレーベルのワーナーと契約を結び、今年デビューした。

『反對無效』は、彼が2021年6月にリリースした2曲目のシングルで、どれほど反対の声があろうとも君への愛は変わらないと歌うR&B調のラブバラードである。

張天賦は他にも2021年10月にリリースした『記憶棉』が「叱咤樂壇流行榜頒獎典禮」の視聴者投票部門の楽曲大賞の最終候補5曲のうちの1曲にも選ばれている。


このようにViuTVと関係の深い歌手の活躍が目立ち、同局が新たな流行発信のプラットフォームとして台頭したことも、2021年の香港音楽業界の特徴だろう。

特徴(4)懐メロの後退

Mirrorやテレンスといったニュースターの台頭とともに、ベテランスターの影響力が相対的に低下し、新旧交代が起きたのも2021年の特徴だった。

図3のランキングを見ても、陳奕迅(イーソン・チャン;活動期間1995-)、張敬軒(ヒンス・チョン;2002-)、Dear Jane(2006-)、C AllStar(2009-)など90年代〜00年代にデビューしたベテラン組の新曲もランクインこそしているものも、もはや彼らの影響力は圧倒的なものではなく、Mirrorやテレンス、張天賦といったここ数年にデビューした新人たちの台頭が目立つ。

こうした世代交代を強く印象づける2021年現象として興味深いのが、音楽配信サービスの再生数チャートからの懐メロの退場である。

大スターの不在が続く中で、香港音楽業界では全盛期の懐メロが繰り返し聞かれたり、カバーされたりして長く評価される懐古的な傾向も生じていた(参考:每當變幻時:変化のなかのカントポップ)。

こうした傾向は音楽配信サービスの再生数にも反映されており、立場新聞の記事によれば、2020年の段階では、Spotifyでもっとも再生された広東語曲上位50曲のうち17曲が10年以上前にリリースされた楽曲であったという。

しかし2021年には、2020年以降にリリースされた楽曲が大部分を占めるようになっている。

図4:2020年と2021年のSpotifyにおける広東語曲再生数上位50曲のリリース年の分布
(出典:立場新聞前掲記事)

中でも特に統計上の凋落が目立ったのが、香港が生んだ「最後のメガスター」として00年代以降の業界を長くリードしてきた陳奕迅(イーソン・チャン)である(参考:K歌之王:ラブソングの死と最後のメガスター)。

彼のヒット曲である『單車』(2001年リリース)や『富士山下』(2006年リリース)といった楽曲は、カントポップにおけるスタンダードナンバーとして長く愛聴され、Spotifyでも安定して毎日4000回〜5000回は再生されていた。しかし2021年の後半になると再生数の減少が目立つようになり、再生数トップ200の圏外に転落することも珍しくなくなっているという。

(ViuTVの『Chill Club』で『富士山下』をカバーするMirrorのメンバー。歌唱順に柳應廷 [Jer]、盧瀚霆 [Anson Lo]、呂爵安 [Edan]、姜濤)

(『調教你MIRROR』の中で『單車』をアカペラで歌唱するMirrorのメンバー。
  歌唱順に、江𤒹生 [Anson Kong]、盧瀚霆 [Anson Lo]、柳應廷 [Jer])

香港音楽業界にとっての2021年は、ニュースターの誕生により新たなスタンダードナンバーが生まれ、懐メロの地位が相対的に低下した1年でもあった。


特徴(5)音楽の政治化?

陳奕迅(イーソン・チャン)の楽曲の再生数が減少した背景として、Mirrorをはじめとする新人の台頭以外にも、別の理由を指摘することもできる。

2021年3月、新疆ウイグル自治区の人権問題への懸念から「新疆綿」の使用を取りやめる動きが国際的に広がった際、中国のタレントがSNSを通じて新疆綿支持を表明する動きが相次いだ。イーソンも3月25日に同様の声明を発表している

立場新聞の分析によれば、イーソンの楽曲の再生率が減少しはじめるのは、その声明の直後からである。同記事には、やはりそれを機に彼の楽曲を聞かなくなったというファンの声や、「彼はもう香港を代表できる存在ではなくなってしまった」と嘆く意見も紹介されている。

愛国的な政治表明により、香港出身の歌手が「香港を裏切った」とみなされるようになる事態は、香港における政治対立が顕在化した2019年にもしばしば見られた現象である(参考:每當變幻時:変化のなかのカントポップ)。

反対に民主化運動に親和的とみなされる楽曲の再生数が増加することもある。

たとえば2021年7月には、香港の高校生が学校内の歌唱コンテストでロックバンドDear Janeの楽曲『銀河修理員』を歌おうとしたところ、「乱世」「対抗」といった歌詞が含まれることを学校側が問題視し、歌唱を認めないという事態が発生した。そうした意味深な歌詞は含まれるものの、同曲は直接的なプロテストソングではない一般的なポップソングであり、国安法下での音楽の自己検閲の兆候を示す事例として大々的に報じられた。『銀河修理員』は2020年3月にリリースされた楽曲だったが、立場新聞によれば、この報道が出た2021年7月7日からSpotifyでの再生数が急増しており、年間トップ20にもランクインしている。。

除了會痛一切都美好
(痛みはあるが その他は何もかも良好)
除了挫折面前仍有路
(挫折はしたが まだ目の前に道はある)
除了厭世總有某些 修補可以做
(嫌な世界だが まだどこか直せるところはあるはず)
(…)
儘量去彌補 難逃那煩惱
(なんとか補っていこう 逃れがたいあの悩みを)
修修補補亂世中 一起蒼老
(補修していきながら この乱世を一緒に老いていこう)
(…)
形勢壞透只好對抗
(芯まで腐った情勢には 対抗するしかない)
由我硬撑著 使你心安
(僕はなんとしてでも 君を安心させたいから)

Dear Jane 《銀河修理員》[作詞:黃偉文]

(Dear Janeと共に『銀河修理員』を歌うMirrorの柳應廷 [Jer] )

ViuTVというテレビ局の台頭も、こうした政治情勢の中で理解すべき面もある。返還前から香港の民放業界をほぼ独占し、多くのスターを輩出してきたTVBは、近年では中国資本との関係が取り沙汰され、体制よりの偏向報道が問題視されるなど、民主化運動を支持する層からは極めて評判が悪くなっている(参考:翡翠劇場:『啼笑因緣』とドラマ主題歌の流行)。一方で新興のテレビ局であるViuTVにはこうした悪印象はなく、同局の娯楽番組は民主化運動を支持する層にとっても相対的に抵抗が薄かった、あるいはTVBのライバルになり得る存在として積極的に応援したいという気持ちがあったことも想像できる。

今後、香港では、国安法に基づく文化への検閲や自己検閲の動きが進むことは不可避だろう。しかしこうした2021年の香港の音楽シーンのトレンドは、「愛国」的態度を植え付けようとする当局や大手資本の態度には、やはり市民からの一定の抵抗が予想されることを示している。

今日の香港において、音楽は重要な政治的戦いの場にもなりつつあるのである。

こうした近年の香港の音楽の政治化の動きの中で、Mirrorが保持している独特な政治的(あるいは脱政治的)立ち位置については、次々回の記事(3)「青い鏡と黄色い鏡:Mirrorと(脱)政治」で考察したい。

また検閲を掻い潜る社会風刺の試みもある。本連載の最後の記事(5)「それじゃあ、またな:表現の不自由と社会風刺」では、そうした試みの例として、図3のランキングでもSpotify20位、KKBOX19位にランクインした異形のヒット曲であるMC $oho & KidNeyの『係咁先啦』(それじゃあ、またな)を取り上げたい。

このMC $oho & KidNeyという二人組は、2021年の11月にはMirrorブームを風刺した『Black Mirror』という楽曲も発表している。

次回の記事(2)「十二人のイケメンたち:パロディから見るMirror現象」ではこの楽曲を参照しながら、Mirrorブームがどんな特徴を持っていたかを見ていこう。


* * *


目次「未定義的衝撃:Mirror現象と国安法時代の香港カントポップ」
はじめに:暗い時代に歌う歌
(1)歌だけは残った:統計から見る2021年の香港音楽 ←今ココ
(2)十二人のイケメンたち:パロディから見るMirror現象
(3)青い鏡と黄色い鏡:Mirrorと(脱)政治
(4)香港の歌手は死んだのか:ニュースターたちの誕生
(5)それじゃあ、またな:表現の不自由と社会風刺
おわりに:「鏡」に映るもの

[バナー画像出典:am730(CC BY)に基づき筆者作成]

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