一代一聲音

女人的弱點: 次世代の歌姫候補たち 【香港カントポップ概論:1990年代②】

【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】

1990年代:"一起走過的日子" 最盛期と陰り ②


男性アイドル界は、四大天王による寡占状態にあった1990年代のカントポップ、では女性の方はどうだったかというと、それほど圧倒的な人気の歌手はあらわれず、ポスト=アニタ・ムイを狙うさまざまな女性歌手たちが凌ぎを削る時代となった。

まずアニタ・ムイが女性歌手のトップに君臨していた1980年代後半にはひっそりと活躍していた女性歌手たちが90年代になると台頭してくる。

まずは、すでに日本語カバーについての項で言及した陳慧嫻(プリシラ・チャン)がいる。まだ10代だった1983年に他の2名の新人女性歌手とともに『少女雑誌』でデビューした彼女は、「日本的」(らしい)天真爛漫な少女のイメージで売り出され、1986年のアルバム『反叛』から荻野目洋子『ダンシング・クイーン(Eat You Up)』のかなり忠実な広東語カバー『跳舞街』(ダンシング・ストリート)や、しっとり演歌調に歌い上げられた安全地帯『碧い瞳のエリス』のカバー『痴情意外』などがヒットしてブレイクする。


1989年には先述の近藤真彦『夕焼けの歌』のカバー『千千闋歌』が大ヒットして次代の歌姫としてさらに期待がかったようだけど、人気の絶頂だった1990年に芸能活動を休止してアメリカのシラクーズ大学に進学してしまう。その後学業を終えて1995年に完全復帰することになるけど、その前の1992年にも大学の休み期間を利用してアルバム『歸來吧』(帰っておいでよ)を録音・リリースしている(すごい)。

(タイトル可愛い。まさに当時ファンが思ってたことだろう。)

このアルバムからは、平浩二の1972年のヒット曲『バス・ストップ』のカバー、『紅茶館』などがヒットしている。最新のJポップカバーが多い中、誰がどういう経緯で20年前の曲を選曲したのか謎だけど、懐かしい感じのする歌謡曲風のメロディに少し鼻にかかったプリシラの歌い方がぴったりはまっていて、とてもいい。チョイスした人グッジョブだ。

原曲は、男と別れ話をした後に、泣いていたとバレたら相手の男が悪いと思うかもしれないから、とバスが来るまでに涙をふこうとする、というなんとも凄みのある昭和の女心(たぶん)を歌った大人な歌だけど、この広東語詞ではフレッシュな彼女に合わせてか、思いを寄せる男性とドキドキしながら紅茶を飲む歌になっている。

間奏には、なんだか歯が浮くようなクサい「語り」が入っていて、彼女の売り出され方を想像する上で興味深い(ちなみにもう彼女はこの時アラサーである)。

你喺度諗緊咩呀?諗緊你女朋友呢!你冇女朋友?梗係唔信啦!...
冇理由㗎!你幾好吖!點會冇人鍾意你喎?或者有你唔知啫!
(ね、今何考えてんの?わかった、彼女のことでしょ!彼女いない?うっそだー。そんなはずないでしょ。君、なかなか悪くないと思うよ。誰も好きになってくれる人がいないなんて、ありえないでしょ?もしかしたら、いるけど、自分で気づいてないだけかもよ!)

そんなプリシラと並んで80年代後半に活躍した新人女性歌手が、葉蒨文(サリー・イェー)だった。レスリー・チャン主演映画『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の挿入歌『黎明不要來』などを歌ってヒットさせている。1990年になると、アニタ・ムイが5年間受賞し続けたTVB最優秀女性シンガー賞を受賞し、その後94年まで4年連続で同賞を受賞した。

マドンナ的バッド・ガール風のアニタや、日本的少女のプリシラとは違い、サリーは比較的古風な女性らしさを強調した「待つ女」「尽くす女」系のイメージの歌を得意としたようでよく歌っている。特にCHAGE & ASKAの『You are free』のカバーである『女人的弱點』(女の弱点)は、サビの「You are free, girl」というバックコーラスとは裏腹に、愛する男を待ちながら耐える受動的な女性の気持ちを歌っている。

原來對你愛得深早已變了極端
(あなたを深く愛しすぎて 極端になっていた)
難憑理智去解開事情
(理性で状況を解決できないほどに)
原來每個女人都總有某個弱點
(女にはみんな どこか弱点がある)
明明抗拒結果心又軟
(抵抗しようとしても 心は弱い)

画像1

(ちなみにこのアルバムのジャケットはなぜか超大胆。情熱的なのに受け身というのがどうやらカントポップの理想の女性像のようだ。日本での発売時には下半身をカットしてバストアップ写真に修正されたらしい。ブックレットの中にはもっとすごい写真もあるから気になる人は今すぐ香港の中古店を巡ってCDを買うのだ。)

元来、カントポップの作詞は圧倒的に男性中心であり、女性の作詞家は今でもほとんどいない。シンガーソングライター文化も根付かないなかで、男性職業作詞家によるステレオタイプな女性のイメージの歌詞が蔓延することになる。これは「女の弱点」などではなく、むしろ女性歌手の表現の可能性を狭めるカントポップ業界の弱点だった。

80年代後半、アニタの影にいた女性シンガーのなかで、おそらくもっともそんな業界のステレオタイプに苦しんだのが林憶蓮(サンディ・ラム)だった。純粋な少女的イメージのアイドル歌手として85年にデビューした後、自らアレンジャーを手掛けはじめた87年頃から実力派路線を追及、シンガポールや台湾の市場を開拓することに成功して、90年代には北京語ポップス市場を中心に活躍するようになる。

このように、女性表象パターンの貧困という「カントポップの弱点」は、そのイメージに当てはまらない女性歌手の他地域への流出にもつながっていくことになる。

1990年代にはいっても女性歌手に実力や表現力よりも、アイドル的=偶像的なイメージをもとめる風潮は続き、「玉女」(お嬢様)的イメージで売り出された周慧敏(ヴィヴィアン・チョウ)などが活躍する。

この人ほど自分の作り出したイメージに忠実にセルフプロデュースをした人は居ないと思う。もともと宝石のような美女や仙女を意味する「玉女」という言葉はこの人の代名詞になってしまった。広東語辞典すら「玉女」の例文として「周慧敏は誰もが認める玉女だ」と書くほどに。一つの形容詞を自分のものにしてしまった、ある意味一番90年代らしい女性歌手かもしれない。

一方で、短命に終わったけれども彭羚(キャス・パン)のような実力派も登場した。ラジオ局商業電台に大プッシュされた彼女はTVBの最優秀女性シンガーに輝いた。今もそうだけどテレビや映画出演を繰り返して「顔を売る」ことが基本的な営業戦略の中でメディア露出を控えめにして、ラジオ中心の活動を行ったようだけど、1998年に商業電台のスターDJ林海峰と結婚して以降は積極的な歌手活動を行わなくなりフェードアウトしていってしまう。

歌っている歌詞は、結局『愛過痛過亦願等』(1991;愛して傷ついて、でも待ちたい)みたいな典型的な待つイメージの女の歌だけど、1994年の新曲つきベストアルバム『未完的小説』(未完の小説)からヒットした『讓我跟你走』で見せた叫ぶような熱唱はカントポップの女性歌手にはなかなか見られないもので、今聞いても新鮮(G.E.M.とかにも似てる)。まさに未完小説のようなキャリアとなってしまったからこそ、もし長く活躍していたら、と惜しまれる歌手だ。

キャス・パンと同時期にブレイクした歌手に鄭秀文(サミー・チェン)がいる。1993年に日本語を大胆に残した大黒摩季のカバー『Chotto 等等』(チョット)でブレイクした彼女は、特徴的な「Nike」ロゴ形の眉毛など奇抜なヴィジュアルも含め、既存の女性アイドルのイメージを打ち破るパフォーマンスを行い、アニタ・ムイに次ぐ二代目「百變天后」(百変化の歌姫)とも呼ばれるようになる。

(「さよなら」とか簡単な単語ならまだしも、「チョットマッテヨ」という日本語の歌詞をフレーズごと広東語歌詞に残してしまった例は他にはなかなかない気がする)

サミーのような例外を除けば、カントポップに新しい女性イメージがもたらされるのは1990年代後半、新たな感性をもった新世代の詞人二人が台頭するのをまたなければならなかった。

しかしその前に、独力で香港アイドル歌手の殻を破り、さらにカントポップ業界全体を突き抜けて世界に羽ばたいたひとりの歌姫がいた。既存のスター育成モデルを否定するかのような彼女の成功はもうすぐそこまで迫るカントポップの時代の終わりを予感させるものになる。


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