日本企業に就職してウキウキだった香港人女性が田舎の工場で夜勤をするはめになって四苦八苦する話:『25歲,日本打工血淚史』 【シリーズ 香港広東語文学の世界】


「香港広東語文学」とわたしがこっそり呼んでいる香港の口語出版物は、厳密に言うと二種類にわかれる。

ひとつは、地の文は標準的な書き言葉で書かれていて、セリフ部分だけ広東語で書かれているもの。これはもともとある書き言葉と話し言葉の区別をある程度は保存するもので、叙述とセリフの両方で構成される小説と相性がいい。前に紹介したガッキーと橋本環奈が出てくる小説もこのスタイルで書かれている。

もうひとつは、ほんとうにすべての文が広東語で書かれているというもの。こちらは全編口語なので、まるで筆者が直接に体験を語ってくれているかのような印象になる。だから1人称で語られるエッセイなどと相性がいい。

こちらの全口語パターンでよく見かけるのが、筆者の職業上の経験や体験を綴ったエッセイだ。一般人からするとあまり馴染みがないけれど、でも絶妙に興味をそそられる題材が選ばれていて、たとえば日本だとコミック・エッセイによくあるタイプの体験談に近い。

この「特殊体験談型エッセイ」(とここでは呼んでおこう)系のなかで、個人的にとても興味をひかれたのが、日本企業に就職した女性が体験談を綴った『25歳,日本労働血涙史』(『25歲,日本打工血淚史!』)というエッセイだった。

(知らないうちに香港の本がKindleで買えるようになっている)

小さい頃から姉の影響で日本のアニメやドラマに親しんで日本語を勉強した香港人女性が大学卒業後に就職した日本企業での苦労をつづる内容になっている。

日本の暮らしにあこがれていた彼女にとってまず予想外だったのは、日本語能力を買われて就職したはずの企業で、いきなり「実習」と称して工場勤務を命じられてしまったことだった。「地獄の労働編」(返工地獄篇)と題された前半部では工場勤務の辛さや職場でのコミュニケーションの苦労がつづられている。

工場長は、生産ラインのどこのパートに興味があるか私たちに聞いた後、日本人の2人に先に選ばせて、そのあとはじめて私に向かって喋った:「じゃあ君はCラインだな!今から君には工場で働いてもらう。」

ん……?ん?????

聞き間違い?????

えっ、工場で実習するんですか??

ああ、なるほど、事業部のオフィスで働く前にまずは工場で働くんだな、と思った。なるほどそれならわかる。自分の会社の製品を売るなら、当然それがどう作られているか知るべきだろう。

「では、実習はいつまでですか?」私が工場長にきくと、彼は答えた:

「……わからん。」

???????????

ってことは1週間?1ヶ月?1年?その時、私には、不吉な予感があった。

そして、私の工場労働の日々がはじまったのだった。

(返工地獄篇・第2章:「初入公司 點知被派去做工場!(入社早々、まさかの工場勤務に!)」より)

その予感の通り彼女の「実習」はいつまでも終わらず(途中、中国人社員大量退職事件があった時には一瞬オフィス勤務に戻されたけど)、途中からは夜勤まで命じられてしまったため、結局9ヶ月でこの仕事をやめてしまっている。

もう一つは、会社の所在地が大都会香港とは似ても似つかない、たぶん彼女がドラマを通じて憧れていた日本の都会ともだいぶ雰囲気が違う、石川県小松市という地方都市(彼女の言葉で言えば「いなか」)だったことだ。

はい、そのとおり、石川は、ひとたび都市らしさのある金沢を離れれば、残りは全部さびれた田舎なのだ。/私が住んでいたのは小松で、ここでは周りは見渡す限り田んぼで、田んぼの方が住宅より多かった。はじめてここに来た時は、こんなにもたくさんの田んぼを見て、その場に立ち尽くし、「わあ」と言ったあと、そのあと何も言えなかった。

(放工天堂篇・第1章「唔知石川喺邊?金澤你聽過喇啩 其實我要講嘅係小松(石川ってどこかって?金沢なら聞いたことあるかな 私がするのは小松の話だけど)」より)

タイトルの「血涙」にせよ、「地獄」という表現にせよ、なんだか『女工哀史』的なルポルタージュを期待してしまうけれども(実際に、そこそこひどい話ではあると思うのだが)、軽快な広東語で書かれていることと、なにかと前向きな筆者な性格もあって、いろいろなトラブルにまきこまれアタフタする彼女の様子をおもしろおかしく読むことができる本になっている。

また別に企業を告発する類の本ではなく(石川や小松は結果としてそれなりにディスられてしまっているけれども)、地獄編の最後には上司への感謝の言葉も書かれている。

本全体の主眼になっているのは、むしろ漠然と外国人として一つの文化に憧れることと、実際にその国で暮らしてみることの違い、つまりいわゆる「カルチャー・ショック」についてで、留学やら何やらで海外経験のある人には、あれこれ共感できる部分もあるんじゃないかと思う。

日本に行くなんて、素敵に決まってる、毎日遊びに出てショーを見て寿司を食べて、って思う?

やれやれ、世の中そんなに甘くないのよ。

日本で働くのとただ旅行に行くのはまったく別物。移住者として日本人と一緒に働いて交流するのと、お客さんとして旅行にいき日本の文化に触れるのとでは、まったくもって天地の差!私もたくさんのカルチャーショックを経験して、いろいろな同時にたくさんの異文化体験をした。

「そんなに悲惨なら、どうしてまだ日本で働いてるの?」

一言で言えば、まあやっぱり日本が好きだからかな。

(序文より)

彼女が経験した「異文化」というのは日本の文化のことなので、この本を読んでいると、じぶんたちが当たり前だと思っている習慣が、実は案外不思議なのかもしれないと改めて気づかされる。

特に「地獄の労働編」で描かれる企業での「奇習」の数々には、きっと「あーわかる〜」とヒザをうちたくなるようなところもあるはずだ。

・なぜ新人研修がこんなに長いの?(2章コラム「日本の企業の新人研修って?」)
・なぜ始業時間前に準備しなきゃいけないの?(8章「日本人の原則①時間厳守」)
・なぜ就活中の女性はみんな同じような格好をしているの?(9章「日本人の原則②服装」)
・なぜ日本企業は社章を大切にする意味って何?(10章「世にも奇妙な物語:消えた社章」)
・なぜ辞表も履歴書も全部手書きなの?(13章コラム&14章コラム)

などなど。

日常編にもいろいろな異文化体験が書かれていて、ここからは香港と日本の暮らしの違いを感じることもできる。

たとえば彼女は、小松で人生初の「一人暮らし」を経験している。

一人暮らしは、日本ではある程度当たり前な経験だろうけど、不動産価格が異常なほど高い香港では、若者が親元をはなれて一人で暮らすことは現実的ではない(アパートを買ったり借りたりするのは、たいていパートナーと2人で暮らす場合くらい)。

だから大学の寮などを除けば、香港の若者にとっては「一人暮らし」はなかなかレアで新鮮な経験らしい。彼女もわざわざオフ編の1章をつかってその苦労を語っている。

香港にいたころは、父さんと母さんがいて、仕事が終わって家に帰れば、くつろいでご飯を待っていればよかったし、ラッキーな時は家事を一つもする必要はなく、ちょっと家事をすれば偉いねーと褒められた。でもここは外国!!!!私が家事をやらなきゃ虫が湧くから、家事はマストなのだ。

(放工天堂篇・2章「一個人生活—同意志力既微妙、又纏綿嘅「搏鬥」(一人暮らしとは意志の力との地味で長い闘争である)」より)

なんでも自分でやらなければならない生活は辛いけど、香港では得難いプライバシーももたらしてくれる。これは香港では、一生の夢に匹敵するほどの高級品だ。

香港の家では、二人の姉と同じ部屋に住んでいた。今では自分だけの世界があり、結局はそれがとてもうれしかった。それで私は香港人があれほどアパートを買いたがる理由がわかった気がした。別に金のためでもいいし、何でもいいけど、やっぱり小さな自分だけの世界が欲しいからなんだろう。

日本では当たり前にあって香港にはあまりないもののもう一つの例が、「車の運転」だ。日本では、大学生であっても免許や車をもっていることは、かなり当たり前のことだけど、土地が狭く公共交通機関も便利な香港では、自家用車はむしろかなりの贅沢品に近い。

彼女も例外ではなく運転免許は持っていなかったのだが、日本の田舎で車なしで暮らすのはなかなか大変だ。

ここでは、誰もが車を持っていて、職場の18歳の女の子だって運転ができた。いまでも覚えているのだけど、会社の同僚と話すとき、最初の会話は私がどこから来たかどうか、つぎがどこで日本語を学んだのかで、そして3つ目はこれだった:

同僚:運転できますか?
私:できないんです…
同僚:大変ですね…

結局、彼女はしかたなく、これまた人生初めての自転車に挑戦するのだった(そして、鍵を無くしてアタフタする)。

そんな彼女の日本での楽しみのひとつがライブを見ることで、ロットングラフィティというバンドを追いかけるオタ活のようすも多少描かれている(そして名古屋までの長距離バスを乗り過ごしてアタフタしたりしている)。

橋本環奈やガッキーは出てこないけど、男性アイドル・俳優や彼らが活躍するバラエティ番組の話は出てくるから、そのあたりも楽しめる。

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小松での仕事をやめた彼女はその後、大阪に移住し、第二弾となる『大阪に働きに行ったらまさかの……』(『那一年,我去咗大阪做嘢,點知…』)を出版している。

大阪編の彼女は、「I Love City Life – No More INAKA」とのっけからハイテンションで、大阪の不思議な人々に次々激しいツッコミを入れている。小松編は若干よそ行きで落ち着いた印象のあるけど、こちらでは使われている広東語もより素に近い感じ(要するに汚い表現もたくさん含む若者言葉)で、なるほどこちらが本当の彼女なんだなという感じがする。

これらのエッセイのもとになる体験を、彼女はFacebook上で投稿しているのだけど、そこへの書き込みによると最近東京に移住したらしいから、いつか第3弾の東京編も読めるのかもしれないから楽しみだ。

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