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【新歌推介】 Billy Choi 《Sorry呢度係香港》:「悪いな、ここは香港だ」 ラップで紡ぐこの街の絶望と希望 【香港音楽】

曲名:Sorry呢度係香港
歌手:Billy Choi
リリース日:2023/07/15

作曲:Billy Choi
作詞:Billy Choi
編曲:East City
監制:李一丁

香港のラッパーBilly Choiによる最新のラップ。

Billyは香港の中でも都心からはかなり離れ、中国大陸側の深圳にほど近い位置にある新興住宅地「天水圍」の出身。「天水圍」には貧困や非行など色々な社会問題を抱えたコミュニティというイメージもあり、香港映画の題材にもなっている。

2020年1月、彼は同郷のヒップホップグループ「光頭幫」(TomFatKi)と共に、この街を題材にした『天水圍Gang Gang』をリリースし、Youtubeの公式動画が数百万再生を記録するなど、大きな注目を集めた。

ヒップホップ文化があまり根付いておらず、一時的な音楽やファッションの流行として消費される傾向の強い香港において、例外的に明確な「ギャングスタ」的イメージを打ち出しながら知名度を得ているラッパーだと思う。

* * *

『Sorry呢度係香港』(悪いな、ここは香港だ)というこの楽曲は、タイトルの通り、香港という街への不平・不満をストレートに表現している。

「劏房」(トンフォン)と呼ばれる超狭小アパートですら手が届かないほどの異常な家賃高騰など、この街が長く抱えてきた経済問題に加えて、近年の政治情勢に関連する問題、たとえば「水掛け祭り」のような一見無害なイベントに対する警察の取り締まり自発的/批判的思考を養成するための教育プログラム「通識科目」の廃止なども言及される。

かつての街の輝きはもはや見る影もなくなっている。「それでも希望はあるはずだ」という意見を、Billyは「悪いな、ここは香港だ」と嘲笑う。

ビルだろうがホテルの部屋だろうが 劏房*だろうが工場だろうが
金がなければ寝るのは路上だ Sorryここは香港だ
香港島だろうが觀塘だろうが どこだってみんな多忙さ
街中が仕事中毒者 Sorryここは香港だ

パクられようが訴えられようが 自業自得だろうが濡れ衣だろうが
発言の番なんて回って来るもんか Sorryここは香港だ
どれほど以前が豪華だろうが 今じゃすっかり落ち目だろうが
それでもまだ希望があると思うか? Sorryここは香港だ

*:既存の集合住宅の一区画をさらに細かく分割して貸し出している狭小賃貸住宅

イントロや間奏では、1986年の羅文(ロマン・タム)の名曲『幾許風雨』がサンプリングされている。香港の名作ギャング映画『男たちの挽歌』でも使用された楽曲で、人生における苦節を歌っている。

苦痛のない人生などあるだろうか 得失は避けがたい
この世のあらゆる風雨を目撃し その中に身を置いた
絶頂にあっても 頭上に頂いたのは雨粒とそよ風のみ
時折 急な暴風に襲われても この歩みは乱さなかった

この往年のヒットソングは、香港の過去の栄光の象徴であるとともに、旧世代の香港人たちが信じていた「苦しくても努力すれば必ず報われる」という人生訓を象徴しているようにも思える。

努力すればある程度大きな家に住めた親世代と、昨今の若者世代の香港認識は全く異なる。「生仔」(子を産む)など今の「後生仔」(若者)にはジョークでしかないとBillyは広東語のダジャレまじりに言う。

家を買いたければ時給60ドルの労働を60年間続けろ
公共住宅の抽選を当てるには18までに18区全部巡れ
「子を持て」なんて今の若者にとっちゃ悪い冗談
豪邸どころかわずかな空間すら競争の今の状況じゃ

* * *

しかし、Billyはそれでもなお、この絶望的な街で生きていくことを選ぶ。Billyは香港の現状を「無間地獄」と形容しつつ、なら出ていけばいいじゃないかという意見にははっきりと「ここが俺の家だ」と反論する。

香港は無限地獄だと思うやつはput your hands up
現地人も新移民も 住宅はみんなで争奪戦さ
仕事は朝8時から夜9時までか 夜中から昼までのか
外国に行った友人達には聞かれる なんでまだ出てかねえんだ

出てくって ここは俺の家だぞ
よそ者にデケエつらされてるのは嫌だろ
水かけ祭に水かけたら逮捕とか苛立つよ
ここで生きてきたければ嫌でも功利的になる

興味深いことに、ガメつくなってでも生き延びることを望むBillyの決意は、羅文の歌に歌われていたような、旧世代のような香港人が信奉したような、自己努力の精神に収斂しているようにも見える。

彼は問題を抱えた若者たちに、自分のコンフォートゾーンから出て、教育に頼らず、努力によって成功を掴むよう応援する。大学入学のための能力試験「DSE」で最高評価に当たる「5**」を取らなくたって、ヒップホップドリームを実現し、派手な宝飾品「ブリンブリン」を手にすることはできる、と。

どんな家庭にも難題がある どんな分野からも秀才は出る
「5**」(ンシンシン)をとらなくたってブリンブリンは買える
通識科が消えたって 公式バカにはなるなよ
移民できたら大切にしな 親切な親戚たちを

海外に頼れる親戚もいない人には、たまの東京旅行でリフレッシュをし、「鳥貴族」を食べるくらいがせいぜいの贅沢らしい。

続けんじゃねえぞ ヌクヌクと12年間の無償教育
近くには大陸 汚染されたスモッグに天気も蒸し暑く
地獄を離れ しばし休息の渋谷で鳥貴族を食う
ハッピーエンドが望みなら満足せず 鍛え続けろよ筋肉

ジメジメと熱く空気も汚い天水圍の街で、幸せな結末を夢見ながら、Billyたちは筋トレに励んでいる。筋肉だけが、この状況の中でも確実に誰にも頼らず、自分の努力次第で手に入れられるものだからだろうか。

なお、日本語訳では表現しきれていないが、ラップなのでライムもかっちりしている。上に引用したヴァースでは「-uk」という音で執拗に脚韻が踏まれていて「渋谷旅行で鳥貴族」という部分も「離開地 走一轉渋 食餐鳥貴」(lei hoi dei juk, zau jat zyun sip guk, sik caan niu gwai zuk)と「極」「谷」「族」の3字で韻を踏んでいる。

これまでに引用した中だと「5**」(ng sing sing)と「bling bling」、「通識」(tung sik)と「公式」(gung sik)、そして何よりフックを締めくくるパンチライン「你覺得仲有希?Sorry呢度係香」(まだ希望はあるはずって? 悪いなここは香港だ)の「希望」(hei mong)と「香港」(hoeng gong)もしっかり韻を踏んでいる。

広東語を勉強している人は、学習も兼ねて、もとの詞の読解に挑戦してみるのもいいかもしれない。軽妙で心地よいリズムで語られる言葉の中に、今日の香港で生きる若者たちの憤りがよりはっきりと感じられるはずだ。


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