一代一聲音

每天愛你多一些:四大天王たち 【カントポップ概論:1990年代①】

【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】

1990年代:"一起走過的日子" 最盛期と陰り ①

新たなアイドルたちが台頭し、日本も含めた国際的な注目も集めた(らしい)1990年代のカントポップは間違いなく全盛期と言っていいと思う。でも同時にポピュラー音楽の産業化/規格化が最高潮に達した年でもあり、市場の独占、ステレオタイプな女性表象、カラオケソングの粗製濫造など、後の没落に繋がる問題点が露わになった時代でもある。

だから『カントポップ簡史』はこの時代のことを、チャールズ・ディケンズの小説『二都物語』の書き出しから「最良の時代、最悪の時代」と読んでいる。

その書き出しとは、こんな風だ(この記事を書くため慌てて買ってきた)。

「あれは最良の時代であり、最悪の時代だった。叡智の時代にして、大愚の時代だった。新たな信頼の時代であり、不信の時代でもあった。光の季節であり、闇の季節だった。希望の春であり、絶望の冬だった。/人々のまえにはすべてがあり、同時に何もなかった。みな天国に召されそうで、逆の方向に進みそうでもあった。要するに、いまとよく似て、もっとも声高な一部の権威者 [noisiest authorities] が、良きにつけ悪しきにつけ最上級の形容詞でしか理解することができないと言い張るような時代だった。」(新潮文庫版、加賀山卓朗訳、13頁)

ちなみにここで「あれ」と言われているのはフランス革命勃発直前の18世紀末フランスで、「いま」というのはこの小説が出版された19世紀中頃(のイギリス)のことだろう。なのに、確かにまるで1990年代の香港の楽壇をあらわすために作られたかと思えてしまうほど普遍性のある描写になっているからさすが名作小説の書き出しだ。

興味深いのは、この「最良の時代、最悪の時代」という表現は、90年代の他地域のポップス事情をみても当てはまりそうなことだ。

「Jポップ」という表現の定着した90年代が、日本のポピュラー音楽のピークであることは疑いようがない。でもその時代は同時に、ビーイング系アーティストやTKファミリーのブームなど、ポップスの囲い込みとパッケージ化が頂点に達した時代でもある。

またイギリスでも、90年代はオアシスやブラーを含む新世代のアーティストが多数登場し「ブリットポップ」と呼ばれるブームとなった非常にケバケバしい、ブリティッシュ・インヴェイジョン以来の全盛時代だった。しかしそれはメディアが無理やり盛り上げた「ハイプ」を多数含んだもので、「その焦土作戦が終わり、煙が晴れてみて初めて何が失われたかが明らかになった」(John Harris『Britpop!』Da Capo Press, 2003)ような、後に何も残さない最悪の時代でもあった。

つまりこの時代は、20世紀の「口うるさい権威」(noisiest authorities)の一人であるドイツの哲学者・評論家テオドール・アドルノが軽蔑的に「構造的な規格化」と呼んだポピュラー音楽の特徴、すなわち似たような歌の大量生産という産業モデルが、日本でも、イギリスでも、香港でも、もっとも「成功」を納めた時代だった。

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1990年代の香港アイドルファンはきっと、まさに「みな天国に召されそう」な気分でいたと思う。

なにせ、アラン・タム、レスリー・チャンの消えた楽壇に、その名も「四大天王」(英語では”Four Heavenly Kings”だ)と呼ばれるまさに天国級のスターたちが現れたのだから。

80年代にTVB俳優としてドラマや映画で活躍していた劉德華(アンディ・ラウ)、同じ時期にアランとレスリーの影で実力派シンガーとして頭角をあらわしていた張學友(ジャッキー・チュン)、更に90年代に入ってから台頭してくる郭富城(アーロン・クォック)と黎明(レオン・ライ)を合わせた4人である。

1990年代、TVBが選んだ「最優秀男性シンガー賞」のリストは以下の通りで、圧巻である。

1990年:アンディ・ラウ
1991年:アンディ・ラウ
1992年:アンディ・ラウ
1993年:レオン・ライ
1994年:アンディ・ラウ
1995年:レオン・ライ
1996年:ジャッキー・チュン
1997年:アーロン・クォック
1998年:アーロン・クォック
1999年:アンディ・ラウ

このTVBの『勁歌金曲頒獎』と並んで権威ある賞とされた公共放送RTHKの『十大中文金曲頒獎』もこの4人がほぼ独占していた。同賞が選ぶ1993年の年間ベストテンは、こうなっている。

ジャッキー・チュン《只想一生跟你走》
アンディ・ラウ《獨自去偷歡》
アンディ・ラウ《永遠寂寞》
レオン・ライ《夏日傾情》
アーロン・クォック《狂野之城》
ジャッキー・チュン《等你回來》
シャーリー・ウォン《執迷不悔》(國語)
Beyond《海闊天空》
アンディ・ラウ《謝謝你的愛》
ジャッキー・チュン《你是我今生唯一傳奇》

女性歌手である王靖雯(シャーリー・ウォン)の1曲とバンドのBeyondの1曲以外は全て四大天王の曲である。

これを快挙と見るか業界の腐敗と見るかでこの時代に対する評価は決まるだろうけれども、とにかく良くも悪くも90年代は彼らの時代だったようだ。

彼らについては日本のメディアでも当時よく取り上げられたりして人気だったようだから、当時を知らない私が新ためて語ることもあまりないのだけど、一応一人ずつごくごく個人的な印象を書いていってみようと思う。

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劉德華 アンディ・ラウ

基本的に全員歌って踊れて演技もできる四大天王の中でも、俳優出身だけあって一番映画などでの活躍が目立つ。通称「影帝」(映画の帝王)。日本でも『インファナル・アフェア』などでの活躍を見たことがある人が多いはず。

彼の1991年のヒット曲のタイトルである『一起走過的日子』(共に歩んだ日々)は、博物館の展示やら昔の香港を語る何かの題によく使われているのを目にする。


張學友 ジャッキー・チュン

素人歌のど自慢コンテストで頭角を表してのしあがったまさに実力派シンガーで二代目「歌神」の称号も持つ。香港最強の歌うまお兄さん。

TUBEの前田亘輝のソロ曲『泣けない君へのラブソング』をカバーした『分手總要在雨天』(別れはいつも雨)をはじめJポップカバーも多く、サザンの『真夏の果実』のカバーである『每天愛你多一些』(毎日もっと好きになる)や、KAN『愛は勝つ』のカバー『壯志驕陽』、など彼の歌を通じて中国語圏に広く知られている日本のヒットソングも数多い。

『Lonely Far』(『情不禁』)や『行かないで』(『李香蘭』)など、日本最強の歌神・玉置浩二の曲も堂々と歌い上げていて必聴。

一方で、マイクを持っていない時はなんかパッとしないというか、映画では情けない役所がよく似合う。晩年のアニタ・ムイと共演した『男人四十』で教え子に女子高生に誘惑される国語教師を演じていて、とてもはまっていた。


郭富城 アーロン・クォック

四大天王のダンス担当。通称「舞王」。

台湾でバイクのCMに出演してブレイクした。だから田原俊彦のカバーである『對你愛不完』をはじめ、北京語でのヒットも多い。

今月8日、「娘のオムツを買いに」愛車のランボルギーニでお出かけ中にたまたまデモ活動に遭遇、すぐさま正体がバレて取り囲まれる変わらぬスターっぷりを見せつけた。


黎明 レオン・ライ

北京出身で小さい頃香港に移住した。だからサビで「I, I, I was born in Beijing」と連呼する『我來自北京』という曲もある。こんな曲が受けるのだから、大陸と香港の関係にもある種希望があった時期だったのだろう。

大陸出身のイメージを活かしてか、映画『甜蜜蜜』(邦題『ラブソング』)ではなかなか香港に馴染めない大陸出身の新移民をコミカルに演じた。

さて、そんなわけで歌えて、演技もできて、しかも4人の中でも一番スッキリして爽やかなイケメンである彼なのだけれども、今ではどうしても四大天王の「オチ」的な扱われかたが多く、しばしば「アンディ・ラウは影帝、ジャッキー・チュンは歌神、アーロン・クォックは舞王、ではレオン・ライは?」というのがある種の大喜利のお題になっている。

インタビューなどで度々独特の迷言を残すことでも有名で、言い間違いや天然ぼけ、あるいは独特の感性から生まれた哲学的で難解な名台詞の数々が、香港のネットで「金句」として親しまれており「金句王」の異名も持つ。

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四大天王が支配した90年代カントポップだけど、他にも活躍した人はいた。

例えば1992年、サザンの『涙のキッス』のカバー『喜歡你是你』などでブレイクした許志安(アンディ・ホイ)はコンスタントにヒットを飛ばし、TVBの賞こそ四大天王に阻まれたものの、1999年にラジオ局・商業電台の権威ある賞『叱咤樂壇流行榜頒獎』で最優秀男性歌手賞を受賞している。

その後、同じく90年代に活躍した女性シンガーであるサミー・チェンと結婚。2019年4月には不倫スキャンダルが報じられたが、涙ながらの謝罪会見を行ったこと、その潔い謝りっぷりが2ヶ月後に逃亡犯条例をめぐる抗議運動の最中直立不動で謝罪をした行政長官の姿と対比されたこともあり、なんだかゆるされた感がある。

もう一人は、1992年に『それが大事』のカバーである『紅日』をヒットさせた李克勤(ハッケン・リー)。

カントポップ界では珍しい作詞もできる系の歌手であり、オリジナルと同じく前向きな応援ソングになっているこの曲の詞も自分で書いている。

入れ替わりの激しい香港芸能界においてこれまた珍しく息の長い歌手でもあり、1980年代、90年代、00年代、10年代、と4つの年代に渡って音楽賞を受賞している唯一の歌手でもある。

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では一方で女性の方はどうだったのか、というのが次回のテーマ。こちらも新世代の魅力的な歌手がたくさん登場したけど、一部の歌手による独占というのとは別のある問題が浮かび上がってくる。

→(2)女人的弱點: 次世代の歌姫候補たち


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