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「大人になったと思うこと」 2024/4/10 日記

 気が付いたら四月になっていた。年を取るたびに、こういう、体感時間が短くなっている事実に驚く。地球が同じように公転して自転する限り、この世界を刻む時間というのは不変なはずだ。なのにどうして、日に日に(年々というよりも日に日にの方がなんとなく身近だ)体感時間が身近くなるのだろう。昔よりも一日一日を精一杯過ごしていないせいか。いや、そんなことは無い。昔は昔で、今は今で精一杯過ごしている。時には自分の力不足さに辟易することもあるけれど、それでも頑張って生きている。そうだろ?(初期のBLEACHの始まり方)ただ、昔はこうやって自分を見つめる時間が無かったな。
 自分を見つめる時間が増えること。これが大人になるということなのだろうか。だとしたら、そこまで悪くないかもしれない。自分を見つめたおかげで知ることができたものもたくさんあるからだ。例えば自分の好み。私はコーヒーが好きだ。深入りの。苦くてコクのある、そう、グアテマラなんてぴったり。それにお菓子も好きだ。サクサクのパイを食べる幸せはこの世に存在する極楽のうちの一つだと思う。今挙げた食だけでも、私は私らしさを体感できている。それは自分を見つめた末にたどり着いたものだ。幸せは意外とお手頃なんだ。
 で、最近、子供のころ考えていた疑問にようやく回答がついた。『大人になってしまったらおしまいなのか』という問。答えはNO。大人になったその次は、更なる大人になれるが正解だと思う。あの日、憧れたと同時に恐れてもいた大人は、案外すぐになることができるものではないし、きっとその大人もさらなる大人に憧れていたんだよと今なら言える。と言いつつ、なりたいかと言えば別にと突っぱねるかもしれない。結局のところ今が一番楽しいから。

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