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鳥取とゾンビ——『ゾンビ』上映に寄せて①

「○○と映画」の初回『動くな、死ね、甦れ!』上映は無事に終了。ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。作品が作品だけに解説役が務まるか不安でしたが、jig theaterの柴田修兵さんに巧みにフォローしていただき、それほど硬くならずに喋ることができました。また上映後、楽しんでくださった方の声を聞くことができて一安心しました。

自然学校で日常的に子どもたちと接している得田優さんの映画評にも感銘を受けました。子ども/大人の図式的で固定的な二項対立で考えるのではなく、まさに今ここで試行錯誤を重ねながら「学習」していく子どもたちの姿をスクリーンに見出し、だからこそ、誰にでも容赦なく訪れる死によって閉ざされた未来に、深く心を痛める……得田さんの教育者としての思想や姿勢を知る機会としても有意義なトークイベントになったのではないかと思います。

さて、「○○と映画」第二弾は2021年10月31日(日)。「ショッピングモールと映画」というテーマのもと、倉吉シネマエポックで映画『ゾンビ』(ジョージ・A・ロメロ 、1978)の上映が行われます。

以下、当日の上映とトークを楽しむために、事前に知っておくと良いかもしれない事柄をいくつか紹介したいと思います。

日本初公開復元版とは?

そもそも『ゾンビ』には「米国劇場公開版」「ダリオ・アルジェント 監修版」「ディレクターズカット版」など非常に多くのバージョンが存在することが知られていますが、今回上映するのは「日本初公開復元版」。

公式ウェブサイトによれば、これは1979年3月10日の日本初公開時に、配給会社(日本ヘラルド映画)が「ダリオ・アルジェント監修版」をベースとして独自の編集を加えたもので、2019年に日本公開40周年を記念してクラウドファンディングで資金を集め、復元版の制作と上映を実現させたそうです。

主な変更点としては、残酷描写の緩和を意図した編集や映像処理、説明テロップの挿入(前作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が日本で未公開だったため)のほか、「冒頭の惑星爆発|ゾンビ発生が惑星イオスの爆発による光線という設定で追加」という凄まじい改変も含まれています。今のところソフト化や配信の予定はないようですので、鳥取近辺にお住まいの方はぜひこの機会にご覧ください。

鳥取の映画館と『ゾンビ』

せっかく『ゾンビ』を日本初公開時のバージョンで見ることができるのだから、しかもパープルタウンというショッピングセンターの中で(「モール」ではありませんが)それを見ることができるのだから、1979年という時代に想いを馳せ、初めてゾンビ映画を目にする当時の観客になりきって作品を味わってみるのも一興かもしれません。

先にも触れたように、『ゾンビ』の日本初公開は1979年3月10日。その頃の日本海新聞と朝日新聞を調べてみると、鳥取県では二館で『ゾンビ』が上映されていました。(残念ながら倉吉の映画館では上映されなかったようです。パープルタウンのオープンは『ゾンビ』公開から2年後の1981年、シネマエポックのオープンはパープルタウン全体がリニューアルされた1996年でした。)

『ゾンビ』を上映した一つ目の映画館は、米子市角盤町の「米子国際プラザ」。1979年3月31日から4月27日までの約1カ月間、上映を続けています。ちなみに同時上映は『ケンタッキー・フライド・ムービー』(ジョン・ランディス、1977)。何だかすごい組み合わせです。以下は日本海新聞(1979年3月31日付)に掲載された『ゾンビ』の広告。

米子国際ゾンビ

米子国際プラザは、米子市公会堂の隣に位置する米子東宝会館にありました。同じビル内で「米子シネマ」「米子東宝」と計3館の映画館が営業していましたが、1990年に揃って米子駅前の米子サティに移転し、「米子VIVRE東宝1・2・3」と改称します。その米子VIVRE東宝は2001年に「米子SATY東宝」と改称し、しばらく米子市唯一の映画館として営業を続けましたが、2012年8月31日に閉館。跡地には、米子ガイナックスによる映画館再生プロジェクトとして2014年から2021年まで「ガイナックスシアター」がオープンし、米子映画事変など様々なイベントが行われました。

なお、1990年に東宝系の映画館が立ち退いた後の旧米子東宝会館ビルには、同年12月に「米子松竹1・2」が入り、1997年8月まで営業しました(この映画館の閉館が、米子シネマクラブ設立のきっかけとなったそうです)。旧米子東宝会館ビルは現存しており、一階は居酒屋になっています。

旧米子国際プラザmini

米子国際プラザに少し遅れて、1979年4月4日からは鳥取市内の「世界館」でも『ゾンビ』が公開されました。同時上映は『ブルース・リーを探せ!』(リー・ツェナム、1976)。両作は4月17日まで上映され、翌日からは『オーメン2/ダミアン』(ドン・テイラー&マイク・ホッジス、1978)と『マジック』(リチャード・アッテンボロー、1978)の公開が始まっています。

(ちなみに日本海新聞(昭和54年4月17日付)に掲載された『オーメン2』の広告には、「夜中はねるもの!オールナイトやらない」「日本唯一禁煙励行館」という世界館独自の文言が掲載されています。これはオールナイト上映を敢えて中止することで恐怖を煽る手法なのか、それとも作品とは無関係の理由に因るのか……)

以下は日本海新聞(1979年3月31日付)に掲載された『ゾンビ』の広告。

世界館ゾンビ

世界館は、1914年9月1日に開館した鳥取の映画館の老舗です。広告に「祝 開場95周年の春」と書かれているのは、前身の芝居小屋「幸座」の開館が1885年頃なので、そこから数えてのものでしょう。

もともと世界館が建っていた川端通りには、他にも帝国館名画座といった映画館が並び賑わっていました。しかし1973年1月16日に世界館は経営難により休館し、同年7月14日に椅子席100人のミニ劇場ニュー世界をオープン。さらに1978年7月1日には川端から南吉方に移転し、再出発を図ります。移転後の初上映作品は『スター・ウォーズ』(ジョージ・ルーカス、1977)でした。

以下は日本海新聞(昭和53年6月30日付)に掲載された世界館の移転広告。駅南の世界館の外観を撮影した写真はまだ見つかっていないので、貴重なイラストです。

世界館(南吉方)01

世界館はその後、1991年7月13日に「シネマスポット フェイドイン」と改称してリニューアルオープン。映画を通じた「大人のための遊び」を掲げ、ミニコミ誌「スペース」と組んでレイトショー企画を実施するなど、ミニシアターのない鳥取でそれに代わる役割を果たす貴重な映画館として、コアな映画ファンや若い観客たちに愛されていたそうです。

フェイドインは2006年10月27日に惜しまれながら閉館しましたが、同館を経営していた有限会社世界館は現在も市内に唯一残る映画館「鳥取シネマ」を経営し、鳥取の映画文化を守り続けています。

岡本健さんと「ゾンビ学」

最後に、10月31日のゲストを紹介したいと思います。上映後のトークにオンラインで参加してくださるのは、「コンテンツツーリズム」や「ゾンビ学」の著書で知られる研究者・岡本健さん(近畿大学准教授)。

奇しくも、と言うべきか、私は前回のゲストである得田さんと同様に、岡本さんも非常に熱心な「教育者」であるという印象を持っています。

岡本さんの著書『ゾンビ学』(人文書院、2017)と『大学で学ぶゾンビ学~人はなぜゾンビに惹かれるのか~』(扶桑社新書、2020)は、ゾンビに関連する膨大な作品や先行研究リストを惜しげもなくシェアする、まさに「ゾンビ学入門」であると同時に、大学に入学してきた新入生たちが「ゾンビ」という親しみやすいテーマを通じて文献の探し方や読み方を学ぶことができる「研究入門」あるいは「学問入門」でもあると言えるでしょう。

さらに岡本さんは、Twitterでの情報発信や、YouTuber/VTuberとしての活動も精力的に行っています。専門分野である「コンテンツツーリズム」や「ゾンビ学」を自ら実践=体現し、日々増殖を続けるゾンビコンテンツの一端を担うような活動を通じて、これからの教育のあり方、研究のあり方を模索しておられるのではないでしょうか。

■『YouTubeゾンビ大学』【第1回】自己紹介とこの番組の紹介

■ゾンビ先生の初代『バイオハザード』実況プレイ

■YouTube岡本ゼミ『卒業論文・レポートの書き方講座』 #1

今回の上映で掲げているテーマは「ショッピングモールと映画」ですが、関連して「メディアとゾンビ」あるいは「インターネットとショッピングモール」といったテーマが話題に上るかもしれません。その辺りは私にとっても以前からの関心領域なので、お話ししてみたいことがたくさんあります。当日、どのような方向に話が転がっていくか、今からとても楽しみです。(岡本さん、柴田さん、どうぞよろしくお願いします!)



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