食卓と映画——『お茶漬けの味』上映に寄せて①
「○○と映画」シリーズ@倉吉シネマエポックもあっという間に最終回。2021年11月14日(日)、トークゲストに蒜山耕藝の高谷裕治さんと絵里香さんを迎え、小津安二郎監督『お茶漬けの味』(1952)の上映を行います。「食卓と映画」というテーマを踏まえて、今回も二回に分けて作品の見所を紹介したいと思います。
『お茶漬けの味』と鳥取
『お茶漬けの味』は1952年10月1日に全国公開されました。52年と言えば、鳥取市民にとっては鳥取大火の年です。旧市街地の3分の1が焼き尽くされるという大災害で、当時市内にあった五つの映画館のうち、世界館、帝国館、末広座が焼失し、世界館と末広座は同年8月に復興しましたが、帝国館はそのまま閉館してしまいました。
(出典:鳥取デジタルコレクション)
鳥取県での『お茶漬けの味』の上映は全国公開から一ヶ月遅れの11月、鳥取市内で消失を免れた富士館で5日〜11日まで、米子市の米子館で12日から18日まで行われました。大火後の混乱がまだ続いていたであろう鳥取で、この映画を見た人々はどのような感想を抱いたのでしょうか。
小津芸術の粋を集めてしみじみと味わう感動の名畫! 名優 人気スタァ一同に會するこの壮観! 「晩春」「麦秋」を凌いで永遠に燦然たる光芒放つ豊潤華麗の珠玉篇!!(『日本海新聞』1952年11月4日付)
一年一作の名匠小津安二郎にして、十余年の構想を練ったこの一作「晩春」「麦秋」に引きつゞき三年連続ベストワンを約束された豊醇比類なき名画(『日本海新聞』1952年11月11日付)
丸傘の電気スタンド(鳥取の民藝家具)
鳥取と『お茶漬けの味』の関わりでいうと、作中に登場する丸傘の電気スタンドにもぜひ注目してみてください。これは鳥取の民藝家具で、「民藝のプロデューサー」と呼ばれる吉田璋也がデザイン、もしくはプロデュースに関わったものであると思われます。(参考「木製電気スタンドについて」「鳥取の民藝木工の今」)
(『お茶漬けの味』より)
『お茶漬けの味』に限らず、小津映画には鳥取の電気スタンドがたびたび登場しますが、実は作品ごとに微妙に異なるデザインのものが使われていたりして、こだわりが感じられます。コラムニストの中野翠さんによれば、昭和10年か11年頃に撮られたと思しき深川の自宅の写真にもこの電気スタンドが写っているそうで、かなりのお気に入りだったのではないでしょうか(『小津ごのみ』筑摩書房、2008)。
小津映画の画面には、電気スタンド以外にも様々な美術品や工芸品がとして登場します。戦後の作品には「美術工芸品考撰」という役職が設けられ、撮影所の備品を使うのではなく、わざわざ美術商に選定を頼んで取り寄せたものを小道具として使用していました。
映画研究者・批評家の伊藤弘了さんは、こうしたこだわりは役者やスタッフにも影響を及ぼしていたのではないかと指摘しています(「小津映画と美術工芸品——『彼岸花』にみるキャメラの眼の主体」2017)。高級な美術工芸品が時間をかけて厳密に配置されることで、撮影現場の緊張感も高まり、「俳優からよりよい演技を引き出し、スタッフに最良の仕事をさせるための雰囲気作り」にも役立っていたのです。
ちなみに伊藤さんの著作『仕事と人生に効く教養としての映画』は、専門性を維持しつつも易しい語り口で、これから小津映画に入門したいという人にお勧めです!
『彼氏南京へ行く』から『お茶漬けの味』へ
監督の小津安二郎にとって、『お茶漬けの味』は戦前から温めていた念願の企画でした。日中戦争のために1937年から39年まで中国に派兵された小津は、帰国後に『彼氏南京へ行く』と題した脚本を執筆。自身の経験を手掛かりにして、倦怠期の夫婦が夫の出兵をきっかけに和解するというプロットを書き、これが『お茶漬けの味』の原型となったのです。
しかしこの脚本は、1939年に制定された映画法により撮影前に検閲を受け、制作を断念せざるを得ませんでした。その理由は、戦時下であるにもかかわらず女性たちが呑気に遊び歩いていることや、出征は名誉なことなのに前夜に赤飯ではなく質素なお茶漬けを食べるのはけしからん、というものだったようです。
こうして一度お蔵入りとなった『お茶漬けの味』でしたが、小津は決して諦めることができず、戦後になって再び企画を動かし始めます。時代が変わったこともあり、夫が出征する物語をそのまま使うことはできませんから、代わりに南米ウルグアイのモンテビデオに赴任する物語に変更。夫の佐竹茂吉役に佐分利信、妻の佐竹妙子役に木暮実千代を迎え、初稿執筆から13年後の1952年にようやく完成に漕ぎ着けたのでした。
台所のシーンの初々しさ
念願叶って完成した『お茶漬けの味』に対する小津自身の評価は、残念ながら芳しいものではありませんでした。
ぼくは、女の眼から見た男——顔形がどうだとか、趣味がいいとか言う以外に、男には男のよさがあるということを出したかった。しかし、あまり出来のいい作品ではなかったな。(小津安二郎『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』日本図書センター、2010)
評論家からも、生死の懸かった出征を海外出張に変えるのでは失敗が約束されたようなものであり、実際「この映画は小津の作品としてはもっともつまらないものになった」(佐藤忠男『小津安二郎の芸術』)とか、「ほかの立派な小津作品より愛好する人も多いが、『晩春』あるいは『東京物語』のような完成度を欠いている」(ドナルド・リチー『小津安二郎の美学』)と語られる等、同作を失敗作と見る向きもあるようです。(実は先ほどご紹介した『日本海新聞』でも、『お茶漬けの味』の広告と同じページに、同作に対してかなり批判的な映画評が掲載されていたりします。)
けれど、私は個人的にこの作品がすごく好きで、数ある小津映画の中でも特に印象に残っています。何といってもクライマックス、夜遅くにお茶漬けを食べるために夫婦で台所に立つシーンが素晴らしい。
深夜に特有の静けさの中、二人はそろそろと台所に入り、糠床を探し始めます。普段は女中のふみ(小園蓉子)に家事を任せっきりなので、茂吉も妙子も、どこに何が仕舞ってあるのかまったく把握できていません。先ほどまでは倦怠期を迎えた長い付き合いの夫婦を演じていた二人が、このシーンではぎこちない動作と間の取り方によって、まるで同棲初日のような初々しさで画面に映っている。見ているこっちまでキュンキュンしてしまいます。(この関係は夫婦だけでなく、カップルにも、もっと別の関係にも置き換えて見ることができると思います。)
確かに設定が出征から海外出張に変わったことで、もう二度と会えないかもしれないという別離の悲劇性は相当に弱まってしまったかもしれません。しかし、わだかまりを抱えたまま一人で時を過ごさなければならず、いずれ無事に戻ってきても、どうせまた喧嘩を繰り返すか、惰性の生活が続いていくのだろうという静かな絶望を前にしての、ささやかな出来事、ささやかな変化だからこそ、より二人に親しみや共感を抱くことができる。そういう見方もあるのではないかと思うのです。
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