短編小説|空の声


秋の夕暮れは空っぽか

映る世界が幻か


―――

大海原。

産み落とされた故郷の地は、何もかもが渦巻いている。

塩水は辛く、血は甘い。
溺れないようにと藁に縋り、
息継ぎの合間に空に叫んだ。

「ふざけるな!」

殴るようにぶつけた声に、
返ってくる言葉はなかった。

空は罪深く、冷徹だ。



海の底に沈みゆく人を、ちゃんと見つめたことはあるか。



あの日から雨の日も、曇りの日も、
叫ぶことはもうなくなった。
届かない声はひたすらに無駄だった。
みな口を揃えて立派だと褒めた。
しかし気を抜くと今にも膝から崩れ落ちて
車道で地団駄を踏んでしまいそうだった。

そんな生活を続けていたら、
ある時いのち以外に意味を感じなくなった。
開き直ったと言ってもいい。
だから街を捨てた。

しばらく当てもなく彷徨った。
流れ着いたのは草原だった。
そこには草と空と、太陽だけがあった。

僕は横になった。
色んな思考が浮かんでは消えていった。
でもどれも取るに足らなかった。


今思えば、夜を待っていたからだろうか。

時はじりじりと遅かった。




夜。

太陽すら沈んで静寂な青。

夜の支配者、幾千の星。

今日もそいつらが僕を見下してきた。

何もない者を嘲笑うかのようにお高く止まっている。

キレイなものは嫌いだ。
こちらの都合も考えずに自分だけ。

できることなら手を伸ばして、星をひとつずつ捻り潰してやりたかった。
でもそいつらはあまりにも遠かった。
だから僕は叫んだ。

「失せろ!」

それでも星は輝きを止めなかった。

「なんか言ったらどうなんだ」

それでも星は輝くだけだった。

何もかもが気に食わなかった。

僕は思いつく限り、ありとあらゆる悪口をぶつけた。
これまでため込んだ鬱憤を晴らすかのように、
声が嗄れるまで叫び続けた。
それでも星は静かに聞いていた。

頭の血は時を忘れさせる。

いつの間にか僕は寝そべっていた。
罵詈雑言を浴びせたというのに、草は優しく受け止めていた。
星たちはなお一層、輝きを増していた。

叫んで気が晴れたからだろうか。
ほんの少しだけ、それをキレイだと思ってしまった。

そしてふと思った。

僕が叫ぶように、星は輝いているのかもしれない。
僕が叫ぶように、夕暮れは赤いのかもしれない。

本当は言葉が違うだけで、誰もが言葉を持っているのだとしたら。
見ようとしていなかったのは僕の方か。
わからない。
妄想かもしれない。
けれどさっきまで空っぽだった空は、今、しっかりと輝いていた。

声と声。
音と光。
はじめて、誰かと対話をした気がした。


それでも。

満たされることはなかった。
むしろ穴は広がっていた。
言葉があまりに違いすぎる。
音には音で返してほしい。

それに気づいた僕は、急に人肌恋しくなった。

そうしてようやく草原を後にするのだった。



ーーー

残された草原に、今日も月は降り注いでいる。



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