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#42 マーケティングが色あせて見えた日

みなさん「マーケティング」と聞いて何を考えますか?僕は、7年間英語教師を務めた後、音楽業界へ移って10年以上海外営業・マーケティングの仕事をしていました。しかし、今はマーケティングにほぼ興味がなくなってしまいました。今日はそんな、「マーケティングが色あせて見えた日」の話です。


「本来の」マーケティングって何?

日本マーケティング協会の1990年の定義では、「マーケティングとは、企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である。」とあります(ウィキペディア日本語版より)。

ここでの「市場創造」は2分類されることが多く、顧客が「こんな商品・サービスがあるといいのに」と思うものを実現する「ソリューション型」と、「こんな商品・サービスを考案しましたが、使ってみませんか?」と新しいライフスタイルを提供する「提案型」があります。僕がいた音楽・楽器業界でも、両方のスタイルのマーケティングを行いました。


どの車が売れればいいのか?

企業活動は従業員の生活と密接に関わっているので、その会社の製品やサービスで利益が上がることは究極的に重要です。他社と品質や価格で競争する中でよりよい製品が生まれ、社会や個人の生活のクオリティが上がっていくことが期待されているのだと思います。でも、ある時こんなことを考えました。

A社の車とB社の車、どちらが多く売れるのが社会や個人にとって「いいこと」なのだろう?
・A社の車は年間100件の交通事故を起こす、でもB社の車なら10件とする。値段が同じなら、B社の車がたくさん売れる方が「いいこと」なはず。
・A社、B社の車の事故率や性能は同じとして、A社の車は100万円、B社の車は200万円。ならば多くの人がドライブを楽しめるように、A社の車がたくさん売れる方が「いいこと」なはず。

自動車業界で考えてみると……

しかし現実的には、競合他社間で車の事故率が10倍違ったり、価格が倍違ったりすることは今はもうありません。安全装備も、10倍お金を払ったから10倍安全になるという時代ではなくなりました。であるならば、極論すればどのメーカーの車が売れても構わないわけです。ではそんな中で、一生懸命マーケティングをして、A社あるいはB社の車を売ろうとすることの意味はどこにあるのでしょうか?天の邪鬼な見方ですが、企業間の競争がないと品質や国際的な価格競争力が低下することは確かです。ならば、自動車メーカーのマーケティングは、「日本の自動車産業の活気を保ち、産業構造と国際競争力を維持するため」なのかもしれません。それはそれで、大切なことだと思います。

国の産業構造を支えるビジネスは大切、でも「自分がやるか?」は別問題

「現実の」マーケティングが色褪せて見えた

以前勤めていた会社は音楽制作機器を開発・製造しており、それまで100万円を下らなかった高性能機器を10万円前後の価格で実現することに成功しました。10万円ならば、音楽を作って発信したい大学生でもアルバイト代を貯金すれば買うことができるので、その製品は「音楽の創造活動」の門戸を大きく開くことに寄与しました。そういう製品が多く売れることは、文化的にも価値があることです。しかしその製品が他社に模倣され、10万円で買える同等品が乱立するようになれば、やはり上と同じで「どれが売れても構わない」状態になるのだと思います。

どんな製品やサービスも、「それが売れると世界が豊かになる」フェーズから、同等製品・サービスが追従し、「どれが売れても構わない」フェーズへと移り変わっていくのだと思います。本来のマーケティングはそのすべてのフェーズをカバーする概念ですが、現実的には後者のフェーズが注目されることが多く、マーケティングとセールスの境界線が曖昧になってきているのではないでしょうか。


知的活動のサポート

具体的な製品やサービスから少し自由になって考えます。現代日本の問題として、「教員のなり手が少ない」、「日本では理工系人材が育ちづらい」、「交通事故は減るのに、自殺者が減らない」などが考えられますが、それらを解決するのは本当に行政だけでしょうか?小さな試みだとしても、学校教員の業務をサポートするサービスをビジネスとして展開して、それなりに成功しているような例もあります。
 今後は、大規模言語モデルの飛躍的な発展に伴って、問題点の存在場所は社会から個人の頭の中へと移り変わっていくことが予想されます。そこで、「人間が知的活動の主体であり続ける」ことを技術でサポートするような仕事ができれば、「どれが売れても構わない」ことをするよりずっと楽しいぞ、と思うに至ったのです。

今僕がいる AI 業界でも「どれが売れても構わない」サービスがすでに乱立して、自社サービスを売るための「現実の」マーケティングが行われているはずです。経済的に非常に豊かになれるのは、昔も今もおそらく「現実の」マーケティング=セールスで成功した人なのでしょう。
 でも、月に何億円も稼がなくても幸せな暮らしはできます。であるならば、自分自身は知的活動をサポートする仕事をしたい、マーケティングを生涯の仕事にすることはやめよう、と決めたのです。

したこともないのに批判するのではなく、10年以上ちゃんと携わって「やっぱりやめよう」という結論に達したわけですが、AI の社会実装とともにマーケティングの中身も変わりつつあります。いつの日か「やりがいのあるマーケティング」の姿を見てみたいと思います。

今日もお読みくださって、ありがとうございました☕️
(2023年8月23日)


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