見出し画像

GW2川柳句会の結果発表(選評など)

ご投句ありがとうございました。
題詠「指定の題なし」51句。自由詠50句。

題詠の大賞は、
続編と悟られぬよう年を越す/栫伸太郎
自由詠の大賞は、
床オナのうねりの余波は天国へ/林やは
に決定しました。栫伸太郎さまにササキリユウイチ『馬場にオムライス』、林やはさまに「川柳スパイラル17号」を贈呈します。
以下、選評と軸吟など。

題詠「指定の題なし」

あぶく銭 父はロンドンになりましたよ/奥村鼓太郎

第5位。
ロンドンのばからしさ、それからあぶく銭という言葉、敬語、こういったものが、19世紀末のロンドンのフロッグを再び発生させかねない。あるいは20世紀末でもいいが。いや、おそらく何世紀末でもいい。いつでも参照先がある。ワラキアからロンドンへ行ったっていいくらいだから。あぶくに惹かれてきたと見える。題「泡」。過剰な演出、太い線、強すぎるコントラスト、とびっきりにしつこい表情、そこに丁寧語を重ねてきてるイメージが浮かぶ。要するにイメージが面白い。ロンドンみたいなものが馬鹿らしいんだと思い出させてくれる。というか、色々なものごとがばからしいと思えてくる。もちろん、この句が一番ばかばかしい!ロンドンへの変身については、それほど問題になってはいない。こうして、いとも簡単に変身してみせるのだ。これが川柳の強みだ。丁寧に、言い終えてしまったのだ。もう何も言えないんだろう。

われわれに見覚えのない鳥と来る/今田健太郎

第4位。
いちいち忘却の可能性を探してしまうものはなんでかね、君…。鳥なんか、いつでも見覚えがないものだ。どうして忘却した可能性をこんなにも大事にとっておくんだ。はなから覚えてないじゃないか。見覚えがある鳥でもいたか。あの、醜い鳩のことですか。あいつらならたくさんいます、題「鳩」。「ようこそ、われわれへ。ここは貴方が来る場所じゃない。その鳥に見覚えがないのなら、この景色も見覚えがないに違いない。」なんて言われながら、敵対的生成ネットワークから主に天体と大地をもとにしたイメージ群を流し込まれているような気分になる句。

全期間検索しなければ樹海/ウゲツナスハル

第3位。
樹海の意味にいい風を吹き込んだ句だと思えた。樹海の意味は凝り固まっている。だが、樹海という語で締めくくられると、最後の送付先に樹海が指定されているようで、なかなか手ごわい言葉だと思う。なので、風を吹き込んだ程度なのだが。とはいえ、樹海とどう遊ぶかが大きな問題として設定されているわけではないので、題は樹海ではなく「検索」になるだろう。検索してはいけないもののリストのうちの一つを連想させるが、こうして、条件文の前条件として設定されると、奇妙な動作だと思えてくる。この語の多義的で、肥沃な土地を見せてくれてありがとう。

はるしにゃん全集なき世に降るる雹/玉野勇希

第2位。
はるしにゃんなき世は確実に今であり、これからの世もずっとそうなのだが、全集となるとまた変わってくる。彼は多作だったろうか。主に同人やネットを足場にして活躍する書き手を見ていると、さらにその人が多作だったりすると、全集なんかを想像してしまう。ので、はるしにゃん全集という気持ちはわかる。というわけで、どこに納得しないかというと、雹。こちら、題詠「雹」になります。何故ならば、この句は雹からの距離で成り立っているから。雹って妙に格好いいが、ほんとうに降られちゃこまる。氷系の能力者がかっこいいのは、雹が嫌悪されているからで間違いありません。

続編と悟られぬよう年を越す/栫伸太郎

第1位。大賞。
単純な構文だが、面白い。まさかゴールデンウイークに年越しのことなんて考えたわけでもあるまい。題の読みは一旦おいておこう。読み下していると、即座に感じる面白さは、人生の1ページといった言葉(その他の数多の言葉)にみられるように、ほとんど慣用的な生の物語化を前提にして、そこから転じて悟られることを防ぐ方法がまるであるかのような態度にある。今年からは心機一転の言いかえでもない微妙な感覚がここにある。私が描く他の作品が今年に相当する、ってわけでもない。これはもちろんないんだ。もうすっかり別の存在ってわけ。作者が異なる作品だとか、同じ作者の異なる作品とか、そういう想像に引きずりこんできて、放りなげてしまう。放り投げられたので考えるのだが、やっぱり悟られの可能性を感じているのが面白い。こいつは、あんまり超越的な問題ではなく、近い生活の話ってわけ。まったく別の私になるってわけ。生活レベルでね。題「生活」ってわけか。まったく別の私になるということは、現代川柳の大きな掛けです。

軸吟
無味乾燥な舗道と禁書目録と/ササキリユウイチ

自由詠

Everything is つかまってて gonna be alright/西脇祥貴

第5位。
まずそもそも、Everything’s gonna be alrightって言葉が笑っちゃうんだよな。適当な画像に硬いフォントでこの言葉を添えておけば、なんだか面白くなっちゃう。大丈夫ってそもそも面白いんだよな。大丈夫?、うん大丈夫、いや大丈夫じゃないでしょ、大丈夫だってば、大丈夫にしてあげるから、えっ?。ってわけ。大丈夫にしてあげるから、ってなに。本来的に人間的であるもの以外におかしさはない。この句はキモくなってしまっている。嫌悪を感じる。こうしたダサさとカッコよさとには痺れない。最高にイイ状態だとしても、笑うだけだ。しかもビニール袋のなかで、カサカサの笑いだ。バズライトイヤーのおかしさとかマシなんだぜ。この句が言うには、灰色のうっすいパーカーの野郎とかが助けてくれるんだってさ。

海綿体は石器時代の作曲家/西村鴻一

第4位。
なんだろう、この説得力。なぜかわかってしまう。よくわからないけどな。石器時代と聞いて、ひどい場合には動く石像なんかを想像するってことも人間はするらしい。だけど、あんま変わらないんだよな。あの頃の人類には、単にソリッドなやつが多かっただけだったと聞く。そりゃ、もちろん作曲家は多くなかったよ。さらにいうと、海綿体は、ソリッドなやつなら誰も好まなかった。そういう類の人間は、しっかり火を通していたという。

妹の特にそういう除光液/西沢葉火

第3位。
この句は体言止めというよりは、なんというか、途中で壊れてしまってんだよな。まだ話の続きがあったんだろう?ないか。特にそういう除光液か。わかるわかる、わかるぜ、はやかったりへたくそだったり。まさか闇の力ってわけじゃないんだろう。だったら困るよ。そういう場合は、特にそういう場合じゃないからな。そういう場合は世界ってもんに塗らなきゃ。妹の特にそういう時期における除光液だってわけなんだから。違ったか。おいおいでも続きは知らないんだろう。

水際に二人は要らず立ち去れり/小橋稜太

第2位。
この省略。痺れるね。二人が要らないってことなんてあるか?飲み会ならあるだろうな。おいそこ貴方だけに聞こえる声で秘密の話してにこにこしてんじゃねえぞ。飲むな、もう飲むな。ああ、飲み放題か、飲め。どっちでもいい。立ち去れ。要らん、要らん、視界にちらちらとはいりやがる。話しかけるかどうか悩んだよ。立ち去れ。悩んだ末に発話すると、ここまで言えるもんだとびっくりしている。楽しんでいるかい?が最初の候補だった。立ち去れ、こいつは今浮かんだ。…水際はいつも汚れている。水際には常に汚染物が停泊しているのだ。苔でも、ゴミでも、油でもなんでもしっかり情景が浮かんでくる。水際対策、こういう使い方をしてもやっぱり水際はしっかり汚染されている。イイ判断だ、立ち去れ、立ち去ったか。立ち去ったあとか。もう帰るの~?こんなに綺麗に輝いているのに。

床オナのうねりの余波は天国へ/林やは

第1位。大賞。
ののはへ。冗長性のある句だ。驚くべき野心。の、を二度重ねた挙句、天国へ送付先を指定するか。うねりも余波も、ほとんど同じことを言っている。一方で、だからこそ自然な言葉の運びになっているのだが、振幅の小さな波であるにも関わらず華麗に飛躍している。こういった綱渡りをしているところが、この句の野心的なところだ。ところで、うねうねしていると書いてしまってはあまりにも軽くなりすぎる。誰かが無為に過ごしてしまった一日の途中で尻をうねうねさせてみたんだと報告してみたり、暇すぎてうねうねしていると言ってみたりするところを想像しておくれ。どうでもよすぎて泣けてくるんじゃないか。誰かがうねうねしていることなんか、きわめてどうでもいい。基本的にわれわれは、他人のうねうねに関心なんぞないのだ。だが、うねりと言われると、少し話を聞いてやろうという気持ちになってくる。この語は重さをもっているから。震えだからだ。しかも世界的な震えだ。始まりを示す震え、うねりはその前兆だ。あるいは後光だ…。要するに人々の関心を集めてやまない。関心を集めようとするわけではない、はじまりの極だから、否応にも振り向かせるのだ。余波だと?余計な言葉だ。うねりに飲まれて何も言えなくなったのだろうか。余波ニー。余波でイっとけ…。

軸吟
胸糞と南無三のオーデコロンを!/ササキリユウイチ

以下、題詠「指定の題なし」の選外評

題「自由」 切符の裏の紙やすり/西沢葉火
 切符の裏の紙やすり、という75がとてもよかったのでもったいない(いやこの題詠が悪かった)と感じた。
ササキリ、題決めるのやめるってよ/雪上牡丹餅
 相当前に流行った小説、というほど昔でもないが、この構文は擦り切れきってもいないし、ある世代の人間にとってはどうしようもなく擦り切れてしまっている。私くらいだと、青年時代にまさに流行っていた感じ。
日常は臭い追い風の階/太代祐一
 これは結構勢いがあるので面白いと思った。言っていることは正しい、だが言い方があるだろう?となる句。
告白を台無しにした砂トイレ/成瀬悠
 そもそも砂トイレが関わる告白は、それなりに台有りだからね。告白の準備と深くかかわる「台」(台本)ともっと遊べたと思う。
     ←日光に当て5分待て/森砂季
 OK. 夥しい題の中から、5分で選べるなんて魔法みたいだね…、と言っていると、灰原が析出の原理を解説しはじめ…
配達に来た男の手知らない手/のんのん
 わかる。男がどうとかはしらないが、他人が配達をしていて、それが数年部屋にあるという事実にたびたび耐えきれなくなっています。ただし、気づきの的確な描写ではないので採れず。
白亜紀に屋号を継いだダイナソー/公共プール
 実は『馬場にオムライス』の最後のページに、「白亜紀に新発売を配置した」という拙句があって、それを思い出しました。それはおいといて、この句はたいへんテキトウな思考で成り立っています。ばかっぽい句って感じ。その飄々さが面白いという向きもある。
ちらし寿司の股関節から天気雨/西村鴻一
 身体化するにはばらばらすぎないか、ちらし寿司は。天気雨もそう。助詞は普通で無理はないのに、そのあたりがこの句の無理をしている点だと感じた。
ごめんだけ言えないスズメとの会話/スズキ皐月
 このアホっぽい挿話、好きなんだよね。といった小説の謎のシーンみたいな面白さがある。
陽を避けて森に生えた毛 爛々と/林やは
 こんなこってりした言葉の中に毛、と置かれると大抵滑るんじゃないかと思う。毛って時点で笑いと哀愁の土俵に立ってしまう難しさ。
妖怪は無から光を切り出した/下城陽介
 まあ妖怪だしな、というのがある。トリコという漫画を読むと、切り出すことの馬鹿らしさみたいなのが増幅する。切り出すことで、大抵のものはなんでも生み出せる。要するに、当たり前だと感じた。
気まぐれと呼べばサラダの光りだす/上崎
 呼んで、光る。なんと呼んで、誰が光るか。おっと、「の」か…、こいつは大変難しい戦いになると思う。野心的。
水の泡ひとつひとつに指定席/まつりぺきん
 少し考えさせられた。水の泡なんてないよ。いや、あるんだな。しかも慣用句としてあるんだ。ないです。そんなの見たことないよ。この言葉は過渡期にある。斜に構えると同等の道を歩むか、このまま消えてなくなってしまうかのどちらか。消えるだろう、もう消えかかっている。だが、豊潤な生成のことを言うようになったら、私はそちらに興味がある。小さく数え難いものひとつひとつに目をむけてしまうのはきわめて現代川柳的だと思う。
さっきまで笑顔向けられていた地図/おかもとかも
 この句は、第7位だった。ぞっとする感じがある。笑顔にはつくづく怖い思いをさせられる。川柳でもそう。探されている。
川柳じゃない川柳を以下白紙/川合大祐
 循環。この題のなかに陥ったさま。意外に技巧的なリズムがある。
ばいこくの靴を頭に乗せている/西脇祥貴
 漢字を開いても何もでないよ、と思った。風刺画的なもの以外で面白がるとして、風刺画的なものから逃れられるだろうか。風刺画的なものでは私は面白がれない。
「自由」のはらい、ドーナツの揚げ油/さわみ
 こいつは面白かった。自由を書かされたとき、毎回初手ははらっているのなんか面白いよな。そのあと止めばっかでさ。ドーナツの揚げ油もついちまうぜ。てか揚げをつけちゃったら、なんかドーナツのべたべた感からはちょっと遠くなるでしょう。
手掛かりを唄う硝子の蚊になって/未補
 勝負している、という気概があった。硝子の蚊というワードを引き出してきてもってきてくれたことがうれしい。このワードが飛翔するのをみたい。
恋文に無題と付してしまいます/小橋稜太
 恋文に題を付さないでほしい。
いつ見ても優先席にいるモスラ/もん
 そうかも。こいつはもうモスラ。なんかちょっと嫌だなと思いながら座ったり立ったりしていると、モスラがでる。
Hello World. さみしいよ忠臣蔵/府田確
 ハロー…キティ。近現代句、よりももっと昔。忠臣蔵忌ってわけにはいかないか。
言えば言うほどウエストマーク/公木
 確かに、これは意外にこの題詠をちらっと見た感じがしてくるのが不思議。首がしまる感覚。

以下、自由詠の選外評

G嫌うクセにWつきゃいいの?/雪上牡丹餅
 Gホイホイ。そんなこと言われてもねえ。GWが最高!ってのは、Gは最悪!とほとんど同列にあるから、まあまあまあって感じになってしまう。
あさぼらけ等間隔の御老体/太代祐一
 御老体って単に数的にリッチな人間なんだから、等間隔だっていいんだぜ。
放尿はモーツァルト聴きながら冬/太代祐一
 じゅうぶんにありうる日常だ。多くの人にとって、排泄は退屈である。
運命と宿命なんかが燃えやすい/成瀬悠
 あまり知人の前で言うべきでないだろう、明らかに当たり前だから。
桃太郎出ない速度でカットする/森砂季
 カットという語を選んだのがまず不思議。金太郎飴という慣用句のほうが浮かんだ。おそろしくはやいカットってわけか。ゆっくりカットすればいいってもんじゃないし、てか「カット」ではないでしょう。
すいか割り手によみがえる硬き骨/のんのん
 すいか割りが年に一度だとして、硬き骨が年に一度だけしかよみがえらないとしたら大変問題があるかもしれない。毎日よみがえるぜ。
コウテイの足元にいるナンミンペンギン/スズキ皐月
 言いたいことはわかるし、ミナミ的な洒落もかすかに読み取れはするが、という感じ。
目をあけて月のまぶたに触れてみて/スズキ皐月
 OK.やってみた。恥ずかしくなった。
黄緑の相互作用を思い出せ/下城陽介
 色彩を持ってくる句についてはよく考える。良い句になりえたと思うが、個人的に疵だと感じるところは、まず相互作用という空間的な抽象語であること。そもそも相互作用自体が空間に色を与えているから、色の指定が功を奏しがたい。また、思い出せもまた、実を言うとあまりにも色彩的すぎる。たぶん、命令すべき作業は別にある。
さよならとふことばを排泄しつつ罅/玉野勇希
 さようなとふことば、まで文字を使った上で、罅で落とせているかどうか。排泄するは基本動詞らしいぜ。take、take
うるさくせがむしちゃらんぽらん/まつりぺきん
 最初の3文字うるさ、でそのお方のほとんどすべてについて言い終わっている感じする。せがむはキャッチコピーには使わないワードだけどね。
花びらは換算すると約2B/おかもとかも
 いやもっとあるだろ。めちゃくちゃ複雑にしわしわで脈が走っていて3次元的な立体物なんだぞ、という突っ込み待ちか。
浴槽で春のクオリア振りほどく/上崎
 浴槽という適度に小さな空間で振りほどくという適度に大きい動作をすることへの躊躇いと奇妙さがあった。まずそこで引っかかって、クオリアのひっかかりがじゅうぶんに生きてこないと感じた。というか、振りほどくだけで成り立ちかねないとさえ思った。
キャプテンの竪穴ねばりつく朝陽/川合大祐
 キャプテンの○○で面白い並びは確実にあると思う。竪穴とかだと、ちょっと重厚すぎたかなとも。ねばりつく朝陽も妙に文学の香りがあり(なんというか大江健三郎とかを素朴に思い出した)、そっちの方向にいくのか、でもキャプテンが妙に笑えるしな…。
泣きながら飲み込まれゆくカステラの/さわみ
 カステラの擬人化として読める構文になっていて、カステラの擬人化にのれるかどうかが関門。
宛先の無数に取り締まる庇/未補
 宛先って言葉は大変貴重で奥深い単語なので、宛先の輪郭の特異な特徴を言ってもどうか、とも思うが、場合によっては面白く読めるときが来るかもしれないとも感じた句。今の私には読みきれない。どうしても庇の現実的光景に赴きたくないのだが。自信をもって採れず。
歯ブラシ咥えよ 陽が沈むまで/もん
 わけわかんないリズムで言われても、言うこと聞かないと思う。荘厳さを取り繕う必要があると思った。
ここに蓋 被せるならばわからない/今田健太郎
 くすっとくる。外国語ができない人のコメディみたいな面白さ。こいつは言葉と人種がつながっているため差別的な文脈に乗ります。じゃあ、簡単に組み立てられるものを全然完成できないよって人の面白さ。こいつは発達障害の文脈に乗りますかね。被せるって単語自体がそもそも面白いんだが、そいつを極めて微妙な方法でちょうどよく料理していると思う。
七つの海に七つの通帳/府田確
 これは大変いい句だと思った。第6位。七七句をつくりたかったんですよね!と言われても仕方ないよね!言っていることもばからしくて面白いし、色んな読みがあると思うし、しかもどれものぞいてみたら面白そうだった。何がばからしいかというと、明らかにつまらない物語だから。0円と兆円のやつがいて、他はどうでもいい感じにならないか。その意味でワンピースはすごい。トリコの八王とかもやばい。数字って面白い、ばからしすぎる。
マツエクが眩しいようでは継承者/公木
 継承者でないものは、どこまでのものなら眩しいと思わないでいられるっていうの、って考えることを面白がれるかどうか。

あとがき

・形式的な話。
 それぞれ無記名にてランダムに並べ選をし、第1位(大賞)から第5位を決めました。人が見事にばらけましたね。被ってもよかったんですが。
 選外評は、5位までに入らなかった方のうち、同じ方の句を並べたので、2句出しの方は無記名のままですが、どの2句を提出したのかわかった状態で書いています。なので、片方の句を選べました。
 また、選外評希望の句か否かを紐づけて、かつ無記名で閲覧することがかなり面倒だったので、一回全部に書いてしまって、あとで希望しない方の句評は削除しました。(これは、誰かが他に同じ形式でやるかたがいたら、簡単な方法を編み出してほしいです。)
 全句をまとめて乗っけようとしましたが(注意事項に「句は、結果発表時にすべて公開する可能性があります。」と記載していました)、時間の都合上、本記事ではやめて、結果発表を優先します。全句公開の意図は、どんな句の中から選んだのかを示すためです。いずれこれを読むことになる人が楽しめるようにです。なので、乗っけるかもしれません。現状、選外評を希望しなかった方で選外だった方、2句提出した方で片方しか言及されていない方の句については、本記事に記載がございません。繰り返しますが、あとで公開するかもです。皆さんがそれぞれ公開してもらっても勿論かまいません。

・雑談的な話。
 4月末、東京文フリが近づいてきて、創作欲がでてきました。要するに、フリぺ、何なら本などをつくりたい(無理にきまってるだろ)、と。でも間に合わない!てか、何かお祭りがほしい。ということで突発的にオンライン句会です。互評の句会は結構(オンライン上ですが)やっているので、久々に選をする句会をやりたくなりました。以前やった「マダガスカル句会」と同じく、厳選、抜句全評のタイプです。
俳句時評158回 川柳時評(5) 川柳の選について―「厳選」と「抜句全句評」の試み 湊 圭伍 - 「詩客」俳句時評 (goo.ne.jp)
 このタイプの句会については、「詩客」の湊氏の記事がくわしいです。今回はさらに、希望者限定の選外評を設けました。どちらかと言うと辛めなことを言うことにしたのは、覚悟のうえです(『※取らなかった理由が書かれる可能性があることを了承した上で、選外評希望としてください、しかし面白がりにもいきます。』と注意事項に記載しています)。やってみたところ、取らなかった理由を長く書くことは、作者のことを気にしなければかなり容易だとわかりました。一方、「選外評希望?はい、いいえ」だけのクエスチョンだったので、辛さの唐辛子の数がいくつなのかわからないところが気になってしまいました。だから、結局長く書いていません。短くほのめかす程度になりました。辛いのをお求めでしたらご連絡ください。
 また、己の選ぶ眼が正しいのか、大変不安になりました。厳選だけでも重い作業ですが、しかも選外評を書くことは、かなり重い仕事です。私の川柳の読み方も、評の書きぶりを、あまり上品とは言えないから、自信を保つことが困難でした。素に近いテンションで評を書いたり、ちょっとかしこまってみたりしているのは、書いた日に差があるからです。エクスキューズとして賞品を用意した感じです。川柳をマッシュアップする方法を探しています。
 選外評を用意した理由は、採らなかった句を語ることで川柳の技術向上に貢献したいからです。現代川柳のジャンルとしてのレベルを底上げしたい。あとは、サービス精神。このサービスに需要があるか不明なので、全然前者の意図のほうが強いです。
 題詠と自由詠とを用意してみましたが、あまりうまくいった感触はなく、もっと良い句を引き出せる制限があるはずだと思いました。「指定の題なし」で自由度をかなり制限してしまったと感じています。このあたりのやり方はこれからの課題です。

・総評的な話
※これは、結果が開いてからの選後感として書いています。
 このGW2川柳句会以外で輝く句もいくつかあったと思う。
 いわゆる日常詠を面白がれないこと(社会性川柳も然り)。それもそうで、現代川柳に出会ってびびっときたのだから。ただし、語彙はそういった類のものでも、たとえば、さっきまで笑顔向けられていた地図/おかもとかもを読んでみるとどうだろう。大変普通の場面なのだが、空恐ろしい雰囲気の構築に成功している。配達に来た男の手知らない手/のんのんを似た風に読める。ありうる風景を切り取ることで感じる空恐ろしさという点では似たところがある。一方、「男」の文脈が濃く、手が二度重ねられることによって、視野が狭くなってくる。ここに引っかかってしまうのがある。放尿はモーツァルト聴きながら冬/太代祐一はこの日常詠という流れで読んだが、日常すぎるきらいがある。
 句の世界観の話。陽を避けて森に生えた毛 爛々と/林やはキャプテンの竪穴ねばりつく朝陽/川合大祐の句は、「毛」の句は、毛以外のものが同じ文体に属している。例えば、やや幻想的な児童文学らしさ。「キャプテン」の方は、キャプテン以外の部分は、近代日本文学的な雰囲気がある。この取り合わせ文体の取り合わせに入っていけるかどうか、と考えさせる点で、世界観そのものは存在している。
 きらめくワードについて。手掛かりを唄う硝子の蚊になって/未補や、浴槽で春のクオリア振りほどく/上崎や、宛先の無数に取り締まる庇/未補は、それぞれ豊かな言葉の接続がある。既に選外評で書いたが、きらめくワードをいかに扱うかで、到達するばしょが変わってくるもので、その道は難関だぜ、などと。
 気づき句について。「自由」のはらい、ドーナツの揚げ油/さわみは、気づき句に掠っている。気づき句というのは、すでに知っていたはずのことを絶妙に気づかせてくれたり、大変すばらしく言い表している句のこと。独断だとなおいい。この句は気づき自体が面白かったので、さらに前段からの独断的な飛躍のところがもっと出ているのを見たいと思った。日常は臭い追い風の階/太代祐一も気づきに掠っている。現代川柳をよむとき、当たり前のことではなく、それほど当たり前とも言えない気づきを待っている。このそれほどの塩梅が重要だ。
 笑えるというほうでの面白さについて。この観点から言えば、Everything is つかまってて gonna be alright/西脇祥貴が一番だった。ここに蓋 被せるならばわからない/今田健太郎はかなり伝統的な笑いに属していると思った。“人間の身体による態度、身振り、動作がどれくらい笑いをとるかは、当の身体が単なる機械をどの程度までわたしたちに連想させるのかということと、正確に対応している”とベルクソンは『笑い』で強調符をつけて分析している。”本来的に人間的であるもの以外におかしさはない”もまた『笑い』からの引用である。いずれも1章の「おかしさ一般について」からで、ここだけ読めば笑いの基礎的な分析で頭を整理されるのでいい。笑いの川柳は探求されるべきだと思う。何も笑顔にさせる必要もなければ(これは実際、コントや講演のほうが向いている)、うまいと思わせる必要もない(これは大喜利でいい)のだ。現代川柳は、笑いにいくなら、笑い一般に向かっていってほしい。七つの海に七つの通帳/府田確もまた、笑い一般に指向している。
 助詞について。われわれに見覚えのない鳥と来る/今田健太郎は助詞にむりな働きを加えた句であった。気まぐれと呼べばサラダの光りだす/上崎も同様。前者はそれでも完結した文章になっており、単に「われわれ」が本来場所でないから無理な働きかと思うだけであって、「来る」という動詞に対応した正しい助詞ではある。一方、後者は、「呼べば」に対して「が」が引き出されずに、「の」としているのであって、動詞に対しての助詞が不正確。だからなんだ?句の良しあしにこういったことはそこまで影響してこない。要するに、助詞が関わるむりな働きというのは、コロケーションの問題なので、句の良さを考える上でこういったことを考える、分析することがいかに無意味かということがわかる。
 命令について。基本的にこのジャンルの句は好きだ。     ←日光に当て5分待て/森砂季は命令であって、しかも命令がわかりやすい。この句はもっと輝く場所が別にあるだろうとも感じたが、この五つの空白に現代川柳はあらかじめ何か入れてしまうとも思った、それが現代川柳的命令句だとも。黄緑の相互作用を思い出せ/下城陽介歯ブラシ咥えよ 陽が沈むまで/もんの選評はセットで読んでほしいかもしれない。

2023年5月17日 ササキリユウイチ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?