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怒りと祈りー痛みを紐解くとたどりつくもの

幼い頃に経験した「痛み」が、世界に対して働きかけるエネルギーとなる。その痛みを克服するための、社会への抵抗としての原動力が私の中にずっとあった。

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去年の夏の終わり。自閉症の方専用のキャンプでの仕事が終わりアメリカから帰国してから、胸の内で何かが大きく変容していくような感覚を感じた。カウンセラーの業務と飛行機の移動で疲れてエネルギーがなくなったのかなと思ったけど何か違う。しばらくの期間、何が起こっているのか言語化できなかった。

言葉にするのに時間がかかったけれど、やっとその正体がわかった。今までの私を突き動かしていた原動力は、「怒り」のようなものだったのだと思う。これはとっても個人的なことなので発信する必要がないと思っていたし、言葉にしたときに伝えたいことの核が抜け落ちる感覚があったので文章にしようと思っていなかったんだけれど、もし同じような感覚を持っている人がいて、その人が言語化したいけどできないときに、何かの力になれるかもしれないと思って文章にしてみることにした。

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小学生の時からの10数年間で家族に起きた出来事を、既存の概念だけで説明してしまいたくなかった。既存の概念に当てはめて説明しようとしたときにどうしても説明しきれないものを、存在しないことにして諦めたくなかった。割り切れないもの、そこにこそ大事なものがある気がしていた。自分でなんとか新しい概念を創り出すことによって納得したかったのかもしれない。自分の問題を社会の問題に投影し、自分の内側で創り出したい世界を外側で形にしていくことによって、内側にあった「何か」を乗り越えようとしていたのかもしれない。

胸内に感じていたマグマみたいな怒り

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 去年の夏にアメリカから帰国するまでの私は、「発達障害」や人間の意識の中に生まれる線引きに対しての怒りや憤りが原動力となり、社会にアプローチをすることでそれを乗り越えようとしていた。自分の中に元々あったわけではない概念を、外側から押し付けられているように感じていた。抵抗しなければ外側からの抑圧に負けそうだったから、いつも何かに駆り立てられているような感覚があって、既存の概念に対して抵抗力を燃やして活動することが、私にとって「生きる」ことそのものだった。(上の絵の中の、火山の内側から外側へと向かう矢印が私にとっての原動力だった。)

原動力になっていた「怒り」が昇華した

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でも、2回目のキャンプを経験してから、”生きること”が形を変えた。今回のキャンプでの経験は密度が濃すぎて未だにうまく言語化できないけど、一つとっても大きかったのは、陰と陽が双方そろって初めて世界が成り立っていることを、どちらかの比重に傾くことなく受け止められる精神的な体力がついたことだと思う。今まではどちらかというと”陽”の方に無理にでも目を向けようとしがちだったけど、太陽だけを見ていても目がくらんで盲目になってしまうし、反対に陰だけを見ていても暗闇だけで何も見えないということを痛感した。事象から一歩引いて、地球から月を見るみたいに、善悪ではなく陰と陽を見つめながら、自分自身として正直でいることで開かれる命があることを学んだ。
 キャンプの仕事が終わった後、社会に対してアプローチするよりも、言葉を尽くさずに目の前のいのちに向き合っていきたい、目の前にある命と繋がりたい、今までよりも、より強くそう思うようになっていた。漠然と感じていた焦燥感も、沸々と心の底に静かに沸き起こっていた怒りも、感じなくなっていた。何かに押しつぶされる心配がなくなったときに、抵抗力を燃やさなくても生きられるようになった。

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 決して、自分がよくなったから社会がどうでもよくなったわけではない。「自分の中に沸き起こってくる思いを三次元で形にしたい。」昔から抱いているその思いは変わらない。でもそのベクトルは社会に向けてではなく、「自分」に向かうようになった。今まではもしかしたら、火山の内側に居る自分の視点から外側しか見えていなかったのかもしれなくて、今は火山の内と外とを、一歩離れたところから全体像として見られるようになったのかもしれない。自分が抱いている信念が外側の異物と触れた時に、今までは自分を守るために「怒り」として外側に対して反発していた。でも今は反発しなくても信念が脅かされることはないと感じられるようになった分、前よりももっと内側に目が向くようになったから、信念そのものに集中することができるようになった。マグマのような「怒り」が昇華した今は、「大事な人が幸せだといいな」、「地球があるべき姿で生き続けられますように」、「いつか線引きがなくなってあらゆる差別がなくなりますように」こういった純粋に沸き起こってくる想念みたいな祈りを胸に感じている。

あるはずだと信じているものが外側の世界にはないことを認知した時に、悲しみや苦しみと呼ばれる痛みが生まれるという仮説

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 きっと私は幼い時から、どこか自分も気がつかないような無意識の奥底で、人格や性格、凹凸や欠損、弱さ強さがあるがままそのままに存在し、比較や差別がなく受け入れられる世界があると信じていたかったのだと思った。何かができる・できないで価値がはかられるのではなく、生きているだけで価値があるという世界があると思いたかった。自分の中にある信念・祈りに意識的になったのは、自分が外側からの抑圧を感じるようになってから。反対に言うと、信念があったから、既存の概念を「抑圧」だと感じたのだと思う。だから、そうじゃない現実に直面したときに、心が痛んだ。その世界を受け入れたら自分が自分じゃなくなってしまうような気がして、必死に抵抗していた。

「あってほしいと信じていたものが、世界にはなかった」

この体験によって得たショックと痛みが、私のこの10数年間を突き動かしていた。そして今回、帰国後の私の胸の内で起きていたのは、怒りが消えたというよりも、”外側へ向けて抵抗しなくても、「自分」が脅かされる心配がなくなる”という体験だったのかもしれない。既存の概念をどう覆すかということよりも、元々自分の中にあった信念をいかに形にしていくかということを集中して考えるようになった。そういう意味で、”純粋に沸き起こってくるもの”としての祈りをより強く感じるようになったのだと思う。

”人格や性格、凹凸や欠損、弱さ強さがあるがままそのままに存在し、比較や差別がなく受け入れられる世界があると信じていたかったのだと思った。何かができる・できないで価値がはかられるのではなく、生きているだけで価値があるという世界があると思いたかった。”

世界に、自分が信じているものが「ない」ことを感じ取れるのは、きっと、自分の中にはそれが「ある」からなんだと思う。あるはずだと信じているものが外側の世界にはないことを認知した時に、人の心に悲しみや苦しみと呼ばれる痛みが生まれるのかもしれないと考えるようになった。

その痛みがその人がその人であることを意味している

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 今の社会の中では、欠如から生まれる悲しみが「弱み」だとみなされることが多い。欠如はなるべくなくしていくべきだとする思考に多く出会ってきた。例えば「できないこと」を矯正して「できる」ようにしたり、あるがままじゃ認めてもらえないという風潮の中で、はりぼてのように外側から持ってきたスキルで武装したり。そういったものに出会うたびに違和感を抱いてきた。最初は、どうして自分がこんなにも大きな違和感を持つのか、どうしてその考え方に適応できないのか、わからなかった。でも今ならわかる。自分が自分自身でいることを許されないことの悲しみを、自分が自分自身を感じられない痛みを、なかったことにしたくなかったからだった。自分が自分自身であろうとしたときに生まれる感情を大事なものとして受け止めたかった。だからずっと、欠如に対しての考え方を、もっとあたたかなものに変えたいと思ってきたんだと気が付いた。それは、その欠如こそがその人がその人であることを意味しているから。その人がその人であるために必要な痛みをみんな、どこかで感じているのだと思う。
 
 そして、多くの人が、幼い頃に何らかの痛みを無自覚にあるいは自覚的に負っている。その負った痛みに基づいて思考も行動も生まれてきていて、痛みを回避する行動パターンを増やすことで自分を守ってきた人(痛みが大きすぎて心自体を麻痺させて何も感じなくさせることも含む)、もしくは痛みを克服しようとするエネルギーに転換することで生きようとしている人に多く出会った。自分もその一人だった。その痛みを紐解いていくと、自分が外側の世界で創り出したいものにたどり着くことを知った。「こうであってほしい」という信念がなければ、「こうだとされていること」への適応を迫られたときに痛みや抵抗を感じないはずだから。

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 自分が外側の世界に対して「ない」と感じていて、そこに痛みが生じているのなら、それが、自分の内側が本当に求めていることを知るためのヒントになることがある。私の場合は、それが、幼い頃から抱いてきた”この世界で創り出したいもの”への思いにつながっていた。痛みは、私が小さい頃から、自分の創り出したい世界のヒントを、私に教えようとしてくれていたのかもしれない。そう思うと、自分が抱いてきた痛みの全てが、大事に抱きたい愛おしいものに思えた。

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