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2024/08/26

来月から出張続きの夫が、パスポートを受け取りに新宿へ行かねばならないというので車で送迎をする。土日はしっかり遊び倒したので、いつものごとく月曜日は疲れている。せっかく新宿まで出るし、どこかのカフェでのんびりしようかなと思ったけど、涼しく静かな家の方が気が楽な気分だったので、まっすぐ帰る。仕事に取り掛からなければいけないけど、お湯をため、湯船に身を沈め、読書をする。さまざまなアーティストが、生活をするために、稼ぐこと、暮らすことをどう運営しているか、というオムニバスエッセイだ。

そこである文筆家の方のエッセイを読む。その方は、小説やエッセイなど自身の制作のほかに、インタビュー記事などクライアントワークを生業としている。長く豊かに書き続けられるように考え続けているという彼女は、ある占い師から言われた言葉にひとつの解が見えたという。それは「陰と陽のバランス」についてだった。

詳しいことは割愛してしまうけど、このなかで話に出ていた「陰」、黒子のような仕事をここのところずっとやっている。私も彼女と同じく、生業としているのは書くことだ。が、違うのは、自分の制作には取り組んでいない。日々ひたすら、誰かが話したことの意図を汲み取り、的確な言葉を当てはめ、文章にしている。好きな仕事だ、と思っていた。他者の言葉は、自分の枠を越えられ、視野が広がる感覚がある。けれど、先週あたりから言葉を紡いでいると、胸が苦しくなってパニックになることが増えた。突然、目の前の物事が判断できなくなった。自分がわからなくなり、軸がなくなったコマのように、何を拠り所に回ったらいいか、まったく見当がつかなくなってしまった。これは精神を崩しそうだ、と本能的にキャッチ。このままでではだめだと、娘が寝た後に仕事するのをやめ、読書をしたり、ゴロゴロしたりした。

今の仕事も、家事も、黒子の仕事だ。夫を送迎するのも、細々した黒子の仕事のひとつ。裏方に徹していると、私の場合、おおげさだけど他人軸、別の人格で生きることになり、本来の自分との整合性がとれなくなくなる気がする。この状態で生活をすると、自分から腐敗臭がしてくる(多分、本当に臭いを発していた気がする)。

極端につきつめるのは、私に取って精神衛生上、よくない。∞という文字のように、循環を意識したいと思った。そのためには、自分には今、陽のエッセンスが足りない。自分が何を考え、何を思って日々生活しているのかをアウトプットしてバランスを取る。だから今、noteを更新しようと思った。


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