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おはようございます。
昨晩友人の「あき」が2人目の子どもができたとの報告を聞き、自分が一番ハッピーになってしまった佐々木譲崇です。

子どもができたことをわざわざ直接電話もらえるってめちゃめちゃ嬉しいことですよね。
その人の貴重な時間を僕のために使ってくれる。
時間は誰しも平等で、それを自分につかってくれることほど、大きなものはないなと改めて感じました。

僕は時間をどのように使うかは本当に大切だと思っていて、一つのことをやっている時は没頭するし、今後のために必要なことがあればそのための行動をする。

一番ダメなのは、思っていたのにやらないこと。

これは、かなり多くの人が言っているのを耳にします。
正直このことには、「思っているならやったらいいやん」としか言えず、やらないならやらないという選択をきちんとした方がいいと思います。

金銭的な話にはなりますが、その人が何かをしたくて考えている時間を何かしらのバイトをすればそれだけ稼げるわけで。
この何も生み出さずに考えているだけの時間は本当にもったいない。
やってみてだめならだめだし、その前にだめにならないように行動すればいいだけの話です。

では、今日の本題の「努力なんてものはない」ということについて解説していきます。

ゲームのように生きる

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僕はたまに「頑張りすぎ」や「努力していてすごいね」と言われます。
客観的に見たら努力しているように見える行動はとっているかもしれませんが、やりたくやっていることなので自分にとっては大したことではありません。

皆さんもゲームや漫画、ドラマや買い物など自分の好きなことに対しての時間を過ごすときは、特に頑張っていないですよね。
それと同じで、好きなことに没頭してひたすらにやっているだけです。

この状態を仕事にも当てはめればいいだけの話です。
人が作ったゲームをやったり漫画を読んだりするよりも圧倒的に自分の人生をゲームにした方が面白いと思います。

ゲームで戦いに負けたら強くなれるように育てる。
人生でも同じで出来なかったらできるようになるように育てる。
生きている中で、自分自身の人生ゲームを常にやっているわけです。

でもここで大切なのが、何のために育てるかということです。

ここがないと、活力が出ません。
では、どうすればいいか。
それは、やりたいと思っていることをいますぐにやってみるということです。

今の環境があるから無理。
無理ってやってみないとわからないですよね。
それなのに、やる前から無理と壁を作ってしまうとそこで自分の人生ゲームは止まってしまいます。

止まってしまったゲームに魅力なんてものはなくなりますよね。
だから人の人生を見て、一喜一憂してしまう。
こんなに勿体無いことはありません。

努力というものは、必死に取り組む行為ですが、やりたくてやっていることは必死ではないので、それは努力ではないと僕は思っています。

では僕からは以上です。

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