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洋服への情熱が再燃している

多くの女性たちが通る道だと思うが、子どもの頃から洋服が好きだった。わたしの世代だと、小〜中学生の時はナルミヤ系のブランドの全盛期で、いま考えれば大人顔負けの値段の洋服を、母親に拝み倒して買ってもらったものだ。

高校は私服の学校に入学したのだが、そこでもなんとか「オシャレ」に見られようと必死だった。オシャレ=個性的、という等式が頭のなかにあったわたしは、突飛な色の組み合わせの服を着て学校へ通った。高校時代に「古着」というものを覚え、手元にある限られたお金は、ほぼ洋服に使っていた。

上京して大学に入ると、服への情熱はさらに高まった。テレビや雑誌のなかだけで知っていた「渋谷」「原宿」「代官山」が近くにある。モデルが着用しているあの服が売っているお店に、すぐいける。お母さんの了承を得なくても、好きな服が好きなだけ買える。

縦縞のストール、ミネトンカのブーツ、UGGのムートン。振り返れば流行りに乗っていただけだけれど、自分が「かわいい!」と思ったアイテムはいち早く手に入れた。自分が先端のオシャレをしているようで、すごく楽しかった。バイトのお金はほぼ洋服に注ぎこんでいたし、友だちと買い物に出かけた時に原宿でスナップ撮影に声をかけられたこともある。


しかし、だ。社会人になって企業に就職したわたしは、徐々に服への興味を失っていった。いや、失っていったというより、失わざるを得なかった。社会人になり、当然大学時代に親からもらっていた仕送りはなくなる。生活のすべてを自分の給料で賄わなければならなくなるが、新卒の給料はたかが知れていた。

そして、わたしにとって一番よくわからなかったのが「オフィスカジュアル」だった。普段のわたしの服装はかなりカジュアルだったから、会社に着ていくために、少ない給料のなかから“キレイメ”の服や靴を買わなければならなかった。

社会人3〜4年目からは、「会社でも着られて」「普段も着られる」というどちらも満たすような服装を探すようになるが、それも結局は無難なものになった。そうしていくうちに、次第に「ダサいと思われなければいいや」と思うようになり、定期的に足を運んでいたファッションビルにも足を運ばなくなり、必要なものはインターネットで購入するようになった。

興味を失うと、不思議なもので欲しいと思う服が全然なくなる。時代的にも「ノームコア」の潮流があったことで、それを形だけ取り入れて、シンプル、定番、実用的な格好だけをするようになった。


2020年 ・30歳。いま、わたしは急速に洋服への情熱が再燃している。

原因はいくつかある。ひとつは、転職をし自由な格好で会社にいけるようになったことだ。いま改めて考えると、わたしは「オフィスカジュアル」というものをまったくしたくなかったのだ。基本的にスニーカーとジーンズが好きなわたしは、気負わない格好で仕事にいけることが本当に楽しい。

もうひとつは、自分の時間ができたことだ。わたしは最近、数年付き合っていた人と別れた。土日は大抵会っていたので、その時間が空いたことで自分の時間ができた。そうすると必然的に買い物へいく時間が増え、欲しいと思える服にたくさん出会うことができている。

きのうもあるジーンズを目当てに買い物にいった結果(試着をしてみるとシルエットが違って断念した)、別の店で「これは出会いだ......」と思えるトップスに出会うことができた。そのトップスにあうコーディーネートはどんなだろうか、と夢想するだけでいまとても楽しい。

ああ、洋服について考えることが大好きだ。だけどかわいい洋服ほど、値段はかわいくないことが多く、次は財布の中身とのにらめっこの時間が続く。楽しいことにはお金がかかり、悩みは尽きない。

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