見出し画像

トニー滝谷の孤独

精神が削り取られる地獄の1週間をなんとか渡りきり、ようやく漂着できた土曜日。ここ1ヵ月ほど何かと仕事を抱えて土日を迎え、思うように進まず(あるいは手をつけられず)月曜に重たい足取りで出社……を繰り返していたから、久々に頭をもたげることが何もない休日は、身体と気持ちが大変に軽い。

手元のスマートウォッチを見ると、どうやら今日の私はその軽い足取りで、1万3000歩ほど歩いたらしい。午前中から家を出てとある読書会に参加し、気になる展示を2つ回って、買い物をして、お茶をした。絵に描いたような、自分を癒す楽しい休日だ。

最後に立ち寄った近所のお茶屋さんで、摘みたての新茶を味わいながら、おすすめをされた村上春樹の短編「トニー滝谷」を読んだ。村上さんの作品は結構目をとおしている方だと思うけれど、この掌編は存在さえ知らなかった。しかし、急に現れたこの伏兵は、見事に私の胸を撃ち抜いたのである。その話は静かで、孤独で、読んでいると涙が出た。

話の筋は詳述しないが、そこにはある男の「孤独」が第三者的な視点でたんたんと描かれている。空白と虚無。その孤独は、いま自分が抱えているそれと重なって見えた。

私は最近、ようやく「誰かに依存しないこと」を決意し(これまで〈結婚〉に執着していたのは、精神的経済的不安から逃れたかっただけなのだと気がついた)、孤独を前向きに引き受けようとしている。まずは経済的不安を克服するために、少しずつお金の勉強も始めた。だが、いつもは自由で楽しいお一人さまライフにも、地震の後の水面のように、突如として寂寥感が襲ってくることがある。大抵はそれから目を背けたり、そもそも存在をなきものとしてやり過ごすのだが、気が緩むといともたやすく貯水池は決壊する。「トニー滝谷」を読んで、私は心の中にひた隠しにしている自分の寂寥感を、まざまざと自覚させられた。

なんだか随分抽象的なお話になってしまいましたね。曲がりになりにも普段は社会人面をして気を張って生きているから、たまに心の柔らかい部分をくすぐられると、最近の私は簡単に泣いてしまったりする。まあ、それさえ出来なくなると人間としての大切な何かがいよいよ欠如している気がするので、とりあえずはこれでよいのだろう。終

いただいたサポートは、本の購入費に充てたいと思います。よろしくお願いいたします。